【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 昨年の10月から3カ月間、石巻市役所健康部健康推進課へ、母子保険業務と仮設住宅支援に就いた。仮設住宅は10月11日に全て閉鎖。生活は落ち着いてきたが、喪失体験が大きいため、心の問題を抱える人や、落ち着いてきた今に孤独感を感じる人もいる。保健福祉の分野での被災地支援をとおして、今後の課題と、自治体の防災に今後、どのように生かすことができるかなどを考える。



石巻市の支援報告

京都府本部/自治労京都市職員労働組合・京都市下京保健センター 西村 佳恵

1. 派遣先

 石巻市役所健康部健康推進課(本庁)

2. 派遣期間

 2011年10月1日~2012年12月31日

3. 派遣先での業務内容

① 母子保健業務
  主に乳幼児健康診査および未受診者対応。
② 仮設住宅支援
  市内131団地ある中の1団地を担当。担当団地は487戸の仮設住宅が建っており、市内最大規模の団地である。9月末から入居が始まり、10月2週目から全入居世帯を対象とした健康調査を実施。市外の保健師チームから協力をもらい、その中で把握された要支援者の対応を行った。11月からはコミュニティづくりの活動に入り、集会場での健康相談会や健康教室を職員保健師と一緒に開催。孤立や閉じこもり予防にも重点をおいた。12月からは年末に備えて孤独死予防のため、独居者リストを作成し、関係機関と連絡会を行いながら支援体制を整えた。

4. 現地の様子について

 2005年に1市6町が合併し、現在の石巻市となる。人口は約15万2,000人(12月時点)で、宮城県内で2番目に大きい市である。本庁の管轄人口は約10万人。震災前の22年度の高齢化率は約27%で、出生数は年間約1,100人だが、今回の震災で転出が増えて乳幼児は減少傾向にある。
 石巻市は沿岸部が多く、半島もあるため津波の影響を大きく受け、建築物の解体やがれきの撤去が続いていた(がれき量は600万トン以上)。ライフラインは戻っていたが、住宅改修は順番待ちの状況。沿岸部はおよそ1m地盤沈下し、満潮時は浸水していた。被災による死亡者は3,280人、行方不明579人(2月時点)である。
 避難所数は県内半数を占めたが、仮設住宅への入居が4月下旬から始まり、10月11日に全て閉鎖。生活は落ち着いてきたが、そこで現実を感じてきている人が多い。今回は喪失体験が大きいため、心の問題を抱える人や、落ち着いてきた今に孤独感を感じる人もいる。
 都市計画はこれからであり、見通しのたたない今後の生活に不安を感じてきている。産業も打撃をうけ、失業者も多い。経済面が安定しないなか、自立を進めていく難しさを感じた。
 しかし、その中でも前向きに生きていこうとする人も多くおり、家族やボランティアなどのさまざまな絆が人々を支えていた。

5. 保健活動の今後の課題

・仮設住宅を巡回している市立病院の看護師チームが雇用の関係で、年度末にかけて半数以下に減少。それにともない、保健師の仮設支援の負担が大幅に増加する。支援体制をどうするか。
・仮設でのコミュニティがまだ組織できておらず、自治会があるのは20団地のみで、本庁エリアは8団地しかない。マンパワー不足があり、組織づくりが進まない。
・民間アパートに移った者や、自宅へ戻った者の状況把握ができていない。年始から県に委託して健康調査を実施する予定だが、その後のフォローは市の保健師が行うため負担が大幅に増加する。

6. 京都市の取り組みに活かせると感じたこと

・住民の危機管理意識が人的被害の大きさを左右していた。避難訓練などは有効である。
・被災直後は自らの判断で、優先度をつけた支援をしていく必要がある。保健師一人一人がそのような状況になることを自覚し、知識を習得しておく必要がある。
・平素の組織づくりが災害時に役立つ。(石巻では育成した運動ボランティア、傾聴ボランティアが自主的に活動している。)保健師の行う地域活動は、長期的な地域の財産となる。
・石巻市職員がメンタル障害で病休した者は震災前の1.5倍。保健師自身も被災しており、各々が抱える気持ちを語りあえる時間を設けるなど、定期的な職員のケアも必要である。
・復興は被災地だけでは限界があり、長期の支援が必要である。被災時から継続的な支援を受けられるよう、事前に県外派遣者の雇用体制も整えておく必要がある。