【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 奈良県十津川村は過去(1889年)に死者168人を出す大水害にみまわれ、被災者2,691人が新天地を求め北海道の「新十津川町」に移住した経緯を持つ村である。
 2011年9月2日から4日に発生した豪雨水害によって、6人の尊い村民の命が失われ、組合員とその家族が被災し行方不明者となっている。本報告では被災状況とその後の復旧に携わってきた村職員の対応や自治体の課題等について紹介していきたい。



台風12号災害時における自治体の対応について
(災害対応における課題と職員の労働状況)

奈良県本部/十津川村職員組合 上垣 智一

1. 豪雨災害の概要

(1) 記録的な豪雨と人的被害
① 記録的な大雨
  2011年8月30日17時からの台風12号による総降水量は、紀伊半島を中心に広い範囲で1,000㎜を超え、奈良県上北山村上北山(カミキタヤマ)で総降水量が1,808.5㎜となるなど、総降水量が年間降水量平均値の6割に達したところもあった。
  本村(風屋観測局)では、時間最大44.5㎜、降り出しからの5日間で、1,358㎜の雨量を観測しており、一部の地域では解析雨量で2,000㎜を超えるなど、記録的な大雨となった。
② 人的被害
  この豪雨により、大規模な土砂災害、浸水、河川のはん濫等により、死者6人、行方不明者6人の発生や全壊18戸、半壊30戸、床下浸水14戸などの住宅被害、田畑の冠水などの農林水産業への被害や土砂崩壊や路肩決壊による道路の交通障害などが発生した。
  この災害で亡くなられた方6人、行方不明の方6人、重傷者3人の併せて15人の内、11人は野尻地区にある村営住宅の入居者であり、その原因は、対岸の山が崩れ大量の土砂が河川をせき止め、流れの変わった河川に家屋が押し流され、2人が死亡、6人が行方不明、3人が重症となった。



2. 台風発生からの主な被害状況と自治体職員の対応

(1) 9月2日(金)<準備>
 真夜中2時すぎ、主要道路の国道168号線が雨量規制により通行止となり、3時34分、奈良地方気象台から大雨警報を役場総務課が受信、午前6時、十津川村災害対策本部が総務課内(庁舎2階)に設置された。
 当時は1号動員(34人体制)であったため、多くの職員は通常業務を行っていた。
 午前10時頃、広範囲(約1,400世帯)で停電が発生、この頃から村内のいたる所で、道路崩落被害が出始め、緊急車両も通行不可能な箇所が出始めた。
 午後には「土砂災害警戒情報」が発令されたことから、民家への浸水予防のため、消防団(役場本部分団)があらかじめ土のう袋をトラックに積載するなどの出動準備を行った。
 午前中、対策本部と村福祉事務所との間で人工透析患者や要介護者などの要援護者状況を再確認と、本部から各大字(54地区)代表者に現在の被害・自主避難状況の確認と今晩の役場の勤務体制について電話連絡を行った。閉庁後、村長をはじめとする対策本部と1号動員(約20人)、消防団員(10人)、倒木等により帰宅不能となった職員の約30人により泊まり勤務体制を執った。
 河川の水位計は設置されていなかったが、午後6時頃からは30分毎に「風屋ダム・二津野ダム・小森ダム」の3つの管理事務所から電話とFAXによる放水量の報告が入り、随時情報は入手できた。
 午後10時、南部地域で谷水増加による浸水被害の報告があり、役場の消防職員が地元消防団と共同で水防(土のう積み)活動を行った。同じ頃、国道168号線上野地地内で土砂崩れが発生、小原~折立間も車両が通行不能となったことから、9月19日に供用開始予定の「十津川道路(小原~折立間4.3km)」を臨時的に使用した。

(2) 9月3日(土)<不通>
 午前10時、上湯川地区で人的被害発生の一報が本部に入り、災害対策本部は3号動員(全職員対応)に変更。
 この頃から、固定及び携帯電話が各所で不通となり、防災無線により各戸へ自主避難を呼びかけた。
 午後3時40分、出谷地区において、この台風初の避難勧告が発令された。その後、幾分か雨量が弱まったかに感じたが、午後6時50分、119番に入電があり、野尻地区で村営住宅2棟が倒壊し、負傷者4人が役場横の診療所に搬送された。
 午後11時40分、役場の電話が全て不通となった。



(3) 9月4日(日)<崩落>
 午前0時、村長が知事に災害状況報告、午前1時42分、国道168号線「折立橋(幅5.5m、長さ271m)」の一部約95mが落橋し流された。
 その後、役場内TV・インターネット等の情報が不通となり、午前2時40分、村は県防災統括室を通じて自衛隊の災害派遣要請を行った。その5分後には自衛隊の派遣決定の連絡がもたらせられた。
 午前7時50分、1889年8月に出現した、明治の土砂ダム「大畑瀞」が越流し、下流部の重里地区に避難勧告が発令された。
 午前9時、長殿発電所及び長殿集落で家屋が流出しているとの連絡が対策本部に入った。(未明に下流部で大規模な土砂崩れが発生し、湖が出現、その湖に大規模な山崩れ土砂が流れ込み逆流した水にのみ込まれた)
 午前10時15分、五條市大塔町で堰き止め湖出現の報告があり、防災無線で高所への避難を呼びかけた。

(4) 9月5日(月)< 孤立状態>
 午前9時、沼田原地区で道路崩壊により5世帯10人の集落が孤立との連絡が入る。
 同日、長殿谷で堰止め湖が発見され、下流地区に避難勧告を発令する。
 午後3時45分、道路が寸断され人工透析治療ができない11人を3回に分けて県防災ヘリコプターにより県立五條病院に搬送し、ことなきを得た。
 この段階では、住民と役場をつなぐ唯一の通信手段は、アマチュア無線機となっていた。

(5) 9月6日(火)<人命救助>
 陸上自衛隊の先発隊60人と国土交通省地方整備局からリエゾン、テックホース(技術応援)の隊員20人以上がヘリコプターにより役場に到着した。
 当時、村内道路の崩落などにより通行できない箇所が多くあり、役場職員120人のうち約60人しか勤務できていない状況にあった。



3. 災害時における対応と課題、職員の労働状況

(1) 自治体の対応と課題
① 災害弱者
  2011年、台風6号接近後に急遽、要援護者台帳を作成・把握していたが、把握が不十分であり定期的にリストを見直す、更新するなど、医療・福祉・介護と連携した取り組みが必要との意見が出された。
  また、保健所など県健康福祉部局からの支援に対してその場その場の判断で乗り切った感じがあり、十分な対応ができなかったとの反省がある。援護・支援の優先順位を的確に判断し指示を出せる管理職員が必要という意見が出ている。
② 避難所
  村内には避難所を35か所、一次避難場所(集会所や公民館)を44箇所指定していたが、多くの施設が急峻な場所にあり、必ずしも安全が確保された場所ではなかった。
  当村においては、広大な平坦地が元々なく、全く危険のない集落地域がなく、その意味でも、災害弱者の方々に緊急避難をしてもらえる福祉避難所の指定や設置を考えて行かなくてはならない。
③ 教育(保育所、小・中学校、高校)
  2日から休校となっていた県立十津川高校(生徒数159人)の授業は、9月20日から10月11日再開までの間、学習プリントを使った通信教育を行った。村立の保育所では、災害後いち早く安否確認と訪問活動を実施した。小・中学校でも、教員が家庭訪問と郵送による学習プリントを配布した。
  また、県教育委員会から、児童・生徒や教員の「心のケア」にあたる「スクールカウンセラー」を、十津川高校(10月3日~)と村内の小・中学校に派遣していただくなどの対応をいただいた。
④ 情報収集
  災害時は防災無線とアマチュア無線しかなく、衛星携帯も役場に1台だけであり、各地域からの情報がない中で避難勧告を的確に出さなければならず、災害対策本部はとても神経を使っていた。
  その後、奈良県や近畿地方整備局、自衛隊の到着と、NТТの衛星電話を各地域に配備できたことで、徐々に救援体制ができたが、村外の方からの安否確認が非常に多く、各地域の衛星携帯の電話番号を案内し、そこに掛けてもらった。
  災害を受け、今後は情報を的確に収集する方法を確立することと、地域の自主防災組織を充実することが重要で必要だと感じている。職員からも、安否確認や被害状況、必要物資の請求等が大字(地域)から自発的に役場に対して報告できるような仕組みが構築できないかという意見が出ている。
⑤ 土砂ダムの発生と多数の山腹崩壊
  「深層崩壊」と考えられる大規模な土砂崩壊が発生し、「赤谷(五條市大塔町)」、「長殿谷(十津川村長殿)」、「栗平(十津川村内原)」の3つの土砂ダムが出現し、現在も警戒監視中である。
  災害発生後、赤谷土砂ダムの崩壊の可能性が高まったとして、9月16日より警戒区域が設定され、10月30日の見直しまで、一切の立ち入りが禁止され住民の生活に影響が出た。
  今後も継続的な河川の土砂撤去対策や土捨て場確保が重要な課題となる。

(2) 労働に対する評価 
① 時間外手当カット
  9月下旬、当局から組合に対して災害時の時間外手当カットについて打診がある。内容は住民感情と今後の財政負担増に配慮してほしいとの事であるが、奈良県本部とも相談し、職員の総時間外の把握もせずに支給額のカットは認められないとして交渉を行い、一律朝夕各1時間のカットという内容で妥結した。
  組合としては職員の正当な労働に対する対価を満額支給できるよう努力したが、不満の残る内容となった。
② 災害時宿直
  職員の就寝場所の指定はなく、男性は応接ソファー、床、廊下の長椅子等、女性は更衣室で寝ており、だれがどこで就寝していたか不明であった。
  緊急事態に備え点呼等が必要と感じた職員もいた。


4. 復興に向けた取り組み

① 仮設住宅の建設
  2011年10月14日、豪雨による災害や土砂ダムによる警戒区域設定の影響で、避難生活を余儀なくされている住民向け応急仮設住宅の建設が始まった。
  村内で建設された仮設住宅は11棟(30戸)で、平谷地区6棟(18戸)、谷瀬地区3棟(7戸)、沼田原地区1棟(3戸)、湯之原地区1棟(2戸)であり、通常はプレハブで建てるところを全ての住宅で村産材を使用し、寒冷地対策として二重サッシや断熱仕様の外壁などが設置された。(奈良県産材を90%使用、内、村産材60%使用)
  施工には、村内の建設業者9社でつくる村応急仮設住宅建設共同体が作業にあたり、奈良県で初めての試みとなる木造の仮設住宅は11月17日から入居できるようになった。
  2012年4月、復興住宅(谷瀬地区、猿飼地区に2013年10月末完成予定)への入居希望アンケートを仮設住宅入居者に実施した。
  今後、村では仮設住宅からの入居のみならず、これから新たに住宅建設を検討している方を対象とした「木にこだわった復興モデル住宅」2棟(2種類)を2012年度中に建設する予定とし、自立再建者の支援と新たな集落づくりをめざす。
② 観光振興の取り組み
  10月28日、十津川温泉では、豪雨で被害が出た源泉ポンプ室、引湯管が仮復旧し運転が始まり、宿の湯船に2ヵ月ぶりにかけ流しの温泉が溢れた。
  「復興は温泉と共に」を合言葉に、各地で観光客誘致と温泉や資源に感謝するイベントを行っている。
  また、台風災害により、荒れた古道を修復する「道普請ツアー」が企画され、ボランティアスタッフの力をお借りして修復を実施している。