【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 神戸市職労は、阪神・淡路大震災での全国からの支援に対して感謝の気持ちを忘れず、国内外の被災地を支援しています。国内で自然災害が発生すれば、必ず現地に駆けつけ義捐金を届け、ボランティアを派遣しています。そうした活動の契機となったのが2004年10月に発生した台風23号豪雨災害での兵庫県日高町です。その支援活動について報告します。



神戸市職労被災地支援活動を発展させた台風23号豪雨災害支援行動


兵庫県本部/神戸市職員労働組合 川崎 真二

1. はじめに

 「日高町朝倉地区は、300人ほどの小さな集落です。町は4月に豊岡市に合併することになっています。今回の台風23号は町の有史以来の大災害でした。円山川の水位が9.5メートルも上昇し、家や11町の田畑が浸水しました。『もうだめか』と思った午後10時30分水位が下がりました。下流の豊岡で円山川が決壊したためでした。
 国道312号線を救援の自衛隊や各地域からの消防の車がやってきました。しかし、1台も集落には寄らずに通過していきました。また、どの情報機関も日高を取り上げてくれませんでした。高齢者の多い集落で、40センチの泥とごみを目の前に、区長として眠れない日が続きました。
 そんな時に市職労のボランティアが入ってくれることを役場から聞き、飛び上がって喜びました。子どもたちには甘いお菓子をたくさんいただきました。赤い腕章を巻いて、長靴を履きスコップを手にしたみなさんの、何とたくましかったことでしょうか。やっていただいたのは床下や縁の下の泥かきと、みんな汚い仕事でした。看護師さんも来ておられ、みなさんの体調を心配しておられるのを拝見し、さすがは経験の神戸だと思いました。
 みなさんのお陰で、今は家屋の80%が回復できました。これからの難問は田畑の復旧です。しかし、みなさんから受けた心を背に頑張っていきます。」
 2004年12月16日に開催された神戸市職労第55回定期大会での兵庫県日高町朝倉地区吉田区長(当時)のあいさつです。大会に参加していた私は、このあいさつに胸にこみ上げるものがありました。それは私一人だけの思いではなくボランティアに参加した職員、送り出した職場、みんなで共有した感動でした。


2. 支援の手が届かない地域へ

庭に堆積した土砂を除去する組合員
 2004年10月20日から21日にかけて、本州を縦断した台風23号は、全国各地に大きな被害をもたらし、兵庫県下でも洪水や土砂崩れなど甚大な被害が発生しました。特に、現豊岡市(2005年に1市5町が合併)では円山川の決壊などにより、死者7人、全壊333棟、大規模半壊・半壊3,733棟、床上・床下浸水3,871棟という大きな被害を受けました。
 ニュースで報道される泥水に飲み込まれた町の映像は衝撃的でした。阪神・淡路大震災以来の大規模災害に、何かしなければならないという思いが強まります。震災を経験した多くの組合員からも、「被災地のために何かをしたい」「カンパに取り組んでほしい」「ボランティアとして被災地にいきたい」という声が市職労本部に寄せられました。
 市職労は、10月23日に緊急執行委員会を開催し支援カンパやボランティアの派遣を決定し、被災地の情報収集にあたりました。マスコミの報道は、被害が大きかった旧豊岡市が中心となっていました。そのためボランティアも豊岡市に集中し、日高町には支援の手が届いていませんでした。町職員約150人は不眠不休で救援業務に取り組んでいましたが、疲労もピークにありました。市職労は、日高町、同町職員組合からの要請を受け、ボランティアを日高町へ派遣することを決定しました。それは、震災に対する支援のお礼だけでなく、困難に直面している職員のみなさんの少しでも役に立ちたい、大震災でのつらい経験から同じ思いをしてほしくない、そうした思いからでした。


3. つらい思いを共有して

 17年前、阪神・淡路大震災で、神戸市職員は自ら被災しながらも懸命に救援復旧業務にあたりました。しかし未曾有の災害の前に、一自治体の力だけでは困難を極めました。懸命の努力にもかかわらず市民の要望にこたえきれないことに厳しい批判にもさらされました。言い表せない無念の思いと、もっとできることがあったのではないかという自責の念を抱きながらも職員は全力をあげました。そうした中で、全国のみなさんからいただいた支援は大きな励ましとなり、私たちはその支援に感謝の気持ちを忘れることはありません。
 ボランティアには緊急の呼びかけにもかかわらず多くの組合員から応募があり、10月29日~11月2日まで、3班100人の組合員が活動にあたりました。
床板を外し、床下の泥の除去作業を行う
 市職労が作業を行った日高町朝倉、赤崎地区では、高齢者世帯が多く、泥かきなどの重労働が大変な負担になっていました。庭一面に堆積した泥の除去、家屋の床板をはがし、床下にもぐりこんでの泥の除去、堤防に打ち上げられた瓦礫の撤去など、市職労の組織されたボランティアの献身的な活動は、町民のみなさんに感動をもって受け止められました。
 最初に現地に入ったのは先遣隊です。現地の状況確認、受け入れ態勢の準備などが任務でしたが、到着早々から家屋の復旧作業にあたることになります。圧倒的に人員が不足していました。先遣隊は、途方に暮れる一人暮らしのおばあさんを前に、何とかしたいという思いで作業にはいりました。作業をする私たちに向かって手を合わせるおばあさんの姿に、私たち自身が励まされ感動をもらいました。KOBEからの支援が被災地を励ますことができるという充実感と同時に、大震災以来、胸の内にある無念の思いから解放されていきます。震災を経験した神戸市職員だからこそできる支援がある。被災地支援が私たちの使命であることを実感することができました。


4. 被災地地場産業を支えて

 市職労の支援は人的支援だけではありません。組合員からの支援カンパは、短期間で約450万円が寄せられました。また、大丸神戸店、北野工房のまちテナント会の協力を受け、日高町に毛布100枚と不安な生活をおくる子どもたちにお菓子125組を届けています。被災地に支援物資とお見舞いの品を送りたいという神戸市職労の申し入れに、大丸神戸店と北野工房のまちテナント会は採算抜きにこたえてくれました。
 さらに市職労は、豊岡の主要地場産業であるかばんメーカーの復興に向けた取り組みを支援していくために、同年12月15日に「豊岡かばん市」を開催しました。このかばん市では組合員をはじめ多くの神戸市職員の協力があり、約40万円の売り上げがありました。
 こうした取り組みは、その後の被災地支援活動にも活かされています。


5. 最後に

 大震災後、神戸市職労は、全国からの支援に対する感謝の気持ちを込めて自然災害被災地へ義捐金を届けるなど被災地支援活動を行ってきました。その被災地支援活動が日高町への支援活動を契機に大きく発展することになりました。
 日高町での支援活動は、大震災での支援に感謝の気持ちを表すとともに、被災地の状況を知った組合員の「被災地のために何かをしたい」という思いを集め一つにする取り組みでした。そして、被災地に駆けつけ人のために行動する大切さ、絆の大切さを実感させるものとなりました。そのことが被災地を励まし、そして職員自身が励まされ、神戸市職員でよかったという達成感へとつながっています。以来、市職労は、KOBEという言葉が被災地の励ましとなるよう全国の自然災害被災地に駆けつけています。被災地支援活動を続けることは神戸市職員の誇りとなっています。