【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 2011年4月23日から5月1日までの9日間(実働4日間)で感じたことを報告させていただきます。約1年半前のことなので曖昧なところがあると思いますが宜しくお願いします。



災害の中で感じたこと


熊本県本部/山鹿市職員連合労働組合・山鹿市役所鹿央総合支所・市民生活課 竹田 有寿

1. 石巻市 遊楽館避難所

(1) 施設の概要
遊楽館避難所
 災害の復興支援ということで私が勤務した「遊楽館(ゆうがくかん)」は、石巻市の河南地区(?)にある体育施設と教育施設を併せた多目的施設で、体育フロアに避難所を開設してある。震災発生から1ヶ月半ほど経過していたが、生々しい傷跡はそのままだった。
 施設の場所自体が小高い山の上にあることと駐車場も広々としているため全国からの支援物資等(自衛隊が管理している)もこの場所に運ばれていた。河南地区は、津波の影響は無かったようだが、施設の目の前には、沿岸部から運ばれてきたであろう住宅の木材などが高く積まれていた。


(2) 避難所
 遊楽館避難所は、要介護者や持病をお持ちの方を中心とした避難所になっていた。4月23日の段階では、8割から9割の方がそのような方だった。(あとは、赤ちゃんのいる家族や付添いの家族の方)ほかの避難所とは違い、ダンボールで仕切りを作るなどはしてなかった。このような避難者の状況から4月20日頃に「福祉的避難所」に認定をされており、石巻市立病院の看護師や介護士などの医療関係者が24時間在中、勤務をされていた。また、全国各地から医療関係のボランティアもたくさんこられていた。避難所というよりは、臨時の病院や介護施設というような雰囲気だった。
 ダンボールなどで仕切りがなかったのも避難者の体調管理や異常をすぐに発見できるため。

2. 業務内容

(1) 日々の業務
支援物資(自衛隊が管理)
 勤務は、24時間勤務・1日休み・24時間勤務の繰り返し。ベースキャンプの松島から勤務先の避難所までは約2時間かかる。到着すると前任者からの引継ぎが始まるが主な仕事は、透析患者の方が早朝より通院されるので、朝食と昼食の準備や自衛隊からの物資の受け取り・要求書の提出、毎日配送されるパンやおにぎりなどの食品の管理(避難者の方とスタッフも同じもの)など。夜間の避難所運営となっていたが、夜間も看護師の方たちがフロア内に常勤されていたし、私たちに出来ることも無かったのでただ朝まで事務スペースにいるだけだったのでものすごく夜間勤務の必要性に疑問を感じた。
 避難所の運営は、北海道庁の職員の方と石巻市立病院の医師の方がメインで切り盛りをされていた。特殊な避難所だったこともあり各地からの取材陣の対応にしばらく追われていた。たまに、モラルのない取材の方もおられた様子だった。


(2) 石巻市職員
 市職員の方(遊楽館避難所)は、施設の管理者と施設の運営者、対策本部との連絡調整を主に行われていた。5人ほどの方と一緒に仕事をすることができたが、ご本人達も被災をされておりさすがに皆さんとても疲れた様子だった。当時は、対策本部もそれほど機能していなかったようで、直前までどこの避難所に行けばよいかもわからず避難所の状況把握もままならい中で勤務しなければならないとのことだった。
 発生日から1ヶ月半の間でそれぞれの避難所ではルールのようなものが確立されているようで始めて行く避難所だと対応が難しいこと、避難所からの要望や苦情がなかなか解決できないなど様々な問題も抱えておられた。
 震災当日からしばらくは、市役所に閉じ込められ外の状況がわかるようになると避難所の開設や非常食等の配布などがあり本当に体を休める暇がなかったことなどたくさんの話しを聞くことができたが、市職員としての責任感というか使命感というものを見習わなくてはいけないと思った。

(3) 非番の日
 勤務明けの時間帯を利用して石巻市内の状況を見たくて熊本県から派遣された仲間たちとタクシーの運転手さんに案内をお願いした。震災当日、テレビで津波の状況などをリアルタイムで見たときは、特撮の映画だろと目を疑うほどだった。
 運転手さんに案内してもらったのは約1時間半だったと思う。実際に被害にあった状況を目の当たりにするとこの地域はこれからどうなるだろうとかガレキや泥の撤去にどれほどの時間がかかるのかなど不安なことしか考えることができなかった。


津波と火災の被害にあった門脇小
復興作業が始まった様子
津波により被害を受けた港の倉庫や造船中(?)の船

 もちろん、このような悲惨な場面ばかりに遭遇したわけではない、商店街の中や石巻駅の周辺には「OPEN」や「○○日より営業再開」といった明るい話題も少しずつ出てきていた。
 ベースキャンプ近くの居酒屋もすでに営業を開始されていて、宮城のおいしい料理やお酒に舌鼓を打ちました。

3. 最後に

(1) 感じたこと
 今回、避難所の運営に携わる中で住民と行政職員の信頼関係がどれだけ大切か改めて実感した。日ごろの業務では、忘れがちになっていることかもしれません。職場の意思統一、情報を整理・共有することなど曖昧になっていたことを見直す機会になりました。
 復興作業は、まだまだこれからだと思います。これからも自分が出来る支援活動を行い一日でも早く復興完了することを祈ります。