【論文】 |
第34回兵庫自治研集会 第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~ |
忘れてはいけない「東日本大震災」。しかしマスコミ報道は日に日に減り、原発再稼動の話ばかりが流れている。被災地の「イマ」はどうなっているのか? 自治労の仲間たちは元気なのか? 実際に見て、聞いて、感じるために組合有志による復興ツアーを企画。日本の復興には人の繋がりが大事だと再認識したツアーの報告。 |
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1. 未曾有の大震災発生! 2011年3月11日に発生した東日本大震災を受け、全国の自治体が復興支援の取り組みを展開している。 2. 1年経過~自分の目で確認したい! 震災後、1年を過ぎ、マスコミ報道の頻度も少なくなった。政府は原発の再稼働に向けて動き始め、復興が進んでいる報道も多く見られるようになった。果たしてそうなのだろうか。 3. 郡山・原発事故の影響は? 5月10日(木)の業務終了後、訪問団は貸切バスに乗り込み、一路郡山市へ。何度かの休憩をはさんだものの、業務終了後からの移動という疲労を感じつつ、明朝8時45分に郡山市役所に到着した。 |
4. 支援隊として過ごした石巻へ再び! 郡山市訪問を終え、再びバスに乗車して宮城県石巻市まで移動。昼過ぎに石巻市に到着した。石巻市副市長と意見交換をする前に、石巻市職労の役員の好意によって、石巻市内を案内していただいた。 5. 組合役員の葛藤、人の繋がり その後、東北労金の会議室に会場を移し、石巻市職員労働組合の畑山執行委員長をはじめ、組合役員と訪問団全員が意見交換を行った。 |
6. 自然に育まれた南三陸の今 次の日は、南三陸町役場を訪れた。津波に流されるまで防災無線で住民に避難を訴え続けた女性職員の話は有名であるが、どうにか助かる方法がなかったのかと感じていた。 |
犠牲になった自治体職員の仲間に献花し、約30分、各自が周辺を散策した。土台だけ残った建物。地盤沈下してできた水たまり。ひびが入った堤防。どこから手を付けるのか。ここにもう一度町を作っていくのか。行政職員としてどうすべきか。立場を置き換えて考えると途方にくれてしまった。 |
その後、「南三陸さんさん商店街(復興商店街)」で昼食休憩をとった。石巻市中心市街地にあった復興商店街は地元住民向けであったが、ここの商店街は来町者向けの造りであった。イベントスペースが設けられ、飲食店(海鮮丼がおいしかった)や土産物が中心であった。そうした中でも、訪問団の皆が足を止めたのは、とある写真店であった。 |
7. 自治体職員として 南三陸から再び石巻に戻って、石巻災害復興支援協議会の語り部(元市議)から、震災直後の状況を伺った。様々な話の中でも、『自治体職員は、自分も被災者なのに、自分の身を顧みず本当に頑張ってくれた』、『全国の自治体職員が助けてくれたおかげで今がある。本当に頼もしかった。人の繋がりを大切にして、これからもよろしくお願いします』という締めのお言葉に参加者全員が胸を熱くした。 〇余談 彼は、ツアーの最後に、「被災地を訪れて本当によかった。ドイツに戻ったらこの経験をドイツの仲間に広めたい」と語ってくれた。石巻の語り部さんが言われた「この状況を知り、広めてほしい」というとおり海外にも広がることを祈る。 |