2. 県立尼崎病院の入札で従前労働者が撤退
(1) 病院の事務委託の実態
病院における事務業務の請負委託の範囲は、各契約によって様々。しかし、これらの業務が本当に請負契約に馴染むとは言い難い。職安法の詳細は割愛するが、早い話、これらの業務は医師や看護師等々他の病院職員と混在して働く場合が多い。その連携こそが良い業務に繋がる。この実態の中、厚労省は、この請負の業態を認めるために特別の基準を示している。つまり、本来の職安法上の趣旨からは極めて違法に近いグレー契約になっている。グレー=中間搾取が臭うのが、この業態。しかも従事者のほとんどは女性。業界は職安法違反スレスレに女性の差別賃金の実態を悪用し成長してきた。そして今回、尼崎病院で落札したC社は、この業態が誕生した時から操業する老舗で業界第1位の会社である。
請負契約で病院に勤める業界従事者の賃金は、ビル清掃員と並び、最低の賃金水準となっている。何れもビルないし病院からの発注に基づく間接雇用であり、求職と求人の受給関係は買い手市場なのであろう。とりわけ医療事務は、厳しい女性の求職世情にあって「(業界)資格をとっておけば何時でも働ける」の行き届いた業界宣伝により、業界各社のスクールに通う女性は多い。
(2) 今次入札の経過の概要
病院は、先の(尼崎市内2カ所の)県立病院の統合を見据えてか、B社に委託していた外来受付・医事課業務・病棟事務業務等の、2011年4月からの契約に係る入札を実施することにした。一方の塚口病院の委託は幾度か変更を経て現在、業界最大手のC社となっているが、尼崎病院は11年間地元業者との契約で、従事者の実態から見れば開院以来の一貫した契約が続いていた。
尼崎病院は現在の病院が開院して以来、D社が受託し、2001年にはD社の倒産が危惧される中、当時の従事者全員の引き継ぎを表明した県下南東部を中心に営業する地元のB社への引き継ぎが、労使の阿吽の呼吸で達成された。この職場には1993年8月に委託労働者のA労組が結成されており、阪神間で多くの病院が被った翌年のD社の倒産による混乱を免れ、2004年に公示された入札にはB社しか参加せず入札は実施されなかった経過がある。
今次入札は2010年11月1日に公示され、初のプロポーザル方式で実施された。10日後に業者説明会が開催され、現行業者であるB社とC社を含む5社が参加したが、12月6日の提案には2社が辞退、3社による実施となった。もう1社は、従事者が自治労で組織される業者で、落札の際には従事者全員の引き継ぎを表明していた。(厳しい業者間競争がなかったD社との契約前期と)労組結成以来の18年間、他社からの触手が延びなかった職場に、いよいよC社が挑み、C社が契約権を得た。
C社の契約権決定後もA労組は、聞かされるC社の処遇の改善や希望者全員の採用をC社に求め、病院へもC社への働きかけを求めた。しかし、普段は発注者の強みで契約額の引き下げ等を強く迫る病院が、今回は形通りの要請に留まり、C社は病院の要請を無視。A労組の求める団交にも、業務開始20日前にようやく応じ、その姿勢(病院からも要請されたが応じる意思はない)を伝えるのみだった。結果、3月中旬に多くが離職することが確定した。諸事情から尼崎病院に留まることにした5人がC社に採用され、80人はB社解雇の形で職場を離れた。
(3) 適切な業者選定であったのか?
プロポーザル方式の採用は、病院経営で重要な収入事務を担う、先ず最初に患者と接する業務を、単に価格だけで決めるのを避けたのだろうが、その方策は正しかったのか。指定管理者制度によく見られるような、この施設の運営を任したい-のような「契約」なら、この方式が長所を発揮しようが、結局は「人入れ」契約の実態である契約に馴染むとは思えない。
契約は「この事務の処理を」という請負であるが、病院内で病院のシステムによる事務処理で、受託者に業務の仕方や方法の選択の余地はない。処理方法は病院全体の運営方法で決まり、事務部門や受託者だけで築けない。もし、正確・適正に処理ができるのかを見極めるためだったのなら、(5)(6)に見るように見極めが失敗だったのだろうし、そもそもその能力があったとは考えにくい。
B社曰く「現行業者に不利な制度」(なぜ今までやらなかった-と、新たな提案ができない)。さらに筆者は考える、大企業ほど選択者に好印象を与える提案が巧い。
(4) 離職者の状況
病院の事務委託職場は低賃金で、業界の労務施策も「使い捨て」感覚が強い。一事業所毎に、数人の核となる従事者を配置する以外、大勢は時間給や日額制などで、退職金や夏・年末の一時金の制度もないのが一般的。この中、A労組は、僅かながらも定昇制や退職金・一時金の制度も継続させてきた。正規職員の比率を高め、真に必要なパート(業務の意図的な分断はせず)の賃金も、正規職員との均等を図っていた(正規職員の賃金が低い-も背景)。
この実情の中、A労組組合員らの就職活動は次のような条件であった。医療事務の仕事を続けたい者の内、診療所等に直接雇用される者は、処遇が改善されるか同水準。同様の委託による病院での勤務は処遇低下。医療事務にこだわらない場合は、低賃金の職もあるが、同水準か処遇改善となる場合が結構ある。もちろん尼崎病院と同水準以上の直接雇用の医療事務は求人が少ない。C社の採用条件は最低水準で、求職活動の手間と通勤条件以外、処遇面で尼崎病院に残るメリットはないのだ。他、経験の永い組合員は、失業保険給付がC社の賃金水準程度ある。
この条件の中、組合員側の条件もある。俗に言う夫の収入の家計補助の立場だった者あるいは実家住まいの者は、処遇の高低は絶対条件ではない。しかし、シングルマザーや自立者はそれなりの処遇が必要だった。自立者の内、尼崎病院で一定の経験を経ていた者が、同水準の処遇の職を探すのは困難だったようだ。
結局、業界内では若干高めの処遇を築いていたA労組だが、相対的に低賃金だった故に、尼崎病院を切り盛りした自尊心を砕かれたものの、生活実情に沿った求職活動で強い困難を被った者はそう多くない。離職後A労組組合員は3月後と1年後の2回、労組解散手続などのため一堂に会しているが、「路頭に迷う」の報告は1件もない。
(5) 尼崎病院の現状
当該職場の労組がなくなった中、詳細の実態を把握することは困難であるが、県立尼崎病院では次のような実情になっていることが覗える。
① 保険収入
病院収入の大部分は、診療報酬による。国保連合会や支払基金に正確な診療報酬明細書(レセプト)で請求しなければ、病院の収入につながらない。レセプトの作成・点検、返戻のチェックなど、高い専門性が求められ、病院経営の核となるものである。
業者変更時の2011年4月時点では、通常なら月平均11億1千万円程度の診療報酬請求をしなければならないところ、レセプト未請求等が顕在化、2011年4月請求(3月分)が、7億7千万円程度に落ち込んでいると伝えられる。
2012年4月時点では、支払基金や国保連合会への診療報酬請求額は以前と同水準に概ね回復していると見られているが、これはDPCによる係数の増加や、システムが使えるようになれば数字はおのずと増加するものである。
しかし、業者変更から1年以上経過するなか、現状それを使っての管理は未だに改善されていないと推測される。その理由の一つとして、診療報酬請求に対する返戻の多さや誤請求がそれを物語っており2倍~3倍以上に膨れあがっていると伝えられている。返戻に関しては、通常毎月3千5百万円から4千万円で推移するところ、1億円を超えていると言われている。
また、患者が会計窓口で支払いする未収金が多いのも経済状況が2年前に比べ悪くなっているが、「請求が遅い、間違いが多い」というスキルによるところが多いものと思われる。
上記は推定値であり、正確な数宇ではないが、3割も減収する経営上の重大な事態であることは確かである。
② 他職種への負担分散
B社からC社に変わり良くなったかとの質問に対して、以前からいる人はまずNOと答えるであろう。これまでB社(従事者)が行ってきた業務が、C社に業者変更した途端、一部の業務で看護師や検査・放射線技師が対応するなどの場面が長期間にわたり発生したようだ。現場の職員には相当な負担が生じたと推測される。
③ 患者への影響、待ち時間等
比較できる具体の数値はない。さらに院内の他の職員の異動や臨時職員の変更もあり、仕事のやり方も変わるので、何らかの数値があっても一概に比較はできない。ただ、技術や経験の承継ができなかったことは確かだ。
委託料が極端に変動することがなかった尼崎病院では、病院職員とも良好な関係が維持されつつ、他病院の医事業務の委託職場より比較的安定していたと言われる。B社の委託労働者89人のうち、10年以上のベテランが4割も占め、多様な資格を持っていた労働者や医療事務のスキルと経験を持つ熟練労働者の集団だった。これを失ったことで生じた不都合は想像に難くない。「慣れた人がいなくなり不便」等々の患者の声を集められないものか。
④ その他
②との関係で、尼崎病院で近年採用しているナースアシスタントが、業者変更以降、急増しているようだ。この採用に要する経費、看護師や技師の超勤等には変化はないのであろうか。
他職種への負担分散は、近年、確保が困難となり過重労働が指摘される医師へも同じで、直接・間接に影響を受けている。医師の異動は平年からもあり、転院を希望したり開業した医師の本音を把握することは困難であるが、従来の職務遂行が困難になったことを機に、転院・開業を決意した医師がいよう。
(6) 結果は熟練労働者を排除しただけで多方面に損失
発注業者変更、ほとんどの従前労働者が職場を離れた結果、上記のような事態が発生している。これは何を物語っているのか。無策な契約先選定が、誰も得をしない、多方面に損失を招く不幸な結果をもたらしている。A労組が築いていた「私たちが働かないと病院はまわらない」は、ストライキ態勢の確立であり、その示唆に病院は気づかず、C社はストを無意味に終わらせないかの賭に出た。仲裁役のいない全面戦闘が陥りがちな事態を、尼崎病院内に持ち込んでしまったのだ。
関係者が被った損失を要約すると、①当該労働者は、慣れ親しみ低賃金ながら尊厳を持てた職場を離れざるを得なくなった。②病院は(5)のように大きな損失を被っているようだ。③慣れない委託労働者の業務は、患者へ不便をかけている。④地元地域のB社は大きな契約先を失った。⑤全国企業のC社は、事態を予測し業務開始時、近畿圏内の事業所から多数の従事者を長期間動員し、地元採用者中心に業務を処理しだしてからも定着が悪く、募集の負担が大きくなっているだろうし、何と言っても大きな信用失墜になったであろう。
(7) たたかいがめざしたもの
委託労組の取り組みの方向としては、たとえ新たな落札者・使用者が良くない会社で劣悪な条件であっても、皆で新たな会社内で運動しよう……とするのが、労組が進むべき基本方針だろうことは確認できよう。しかし、(紙幅の関係で割愛するが)実行は相当困難と考えられたし、C社は労組役員排除を中心に従前労働者全員の継続就労を認めなかった。
では、A労組はこの闘争で何をめざしたのか? 現象面から言うと、労組は次項に挙げる事態を予測(意図して他の者にはできない仕事を構築=仕掛け。職安法は労働者保護が目的だから敢えて無視。その場さえ良ければ……の病院は職安法など無関心)し、落札したC社が辞退となり、元のB社との継続契約となることを第1とした。次項の事態は専門業者であるC社は当然、一定の予測はしていたであろう。しかし、資本力に優れたC社は賭に出た。無謀な賭を止められるのは、契約の一方で対等の関係にある病院でしかない。しかし、請負業者の実態や公契約の弱点などを熟慮しなかった病院は、労組の忠告に耳を傾けず、負けたC社の賭に付き合う結果となった。
つまり労組は、100人足らずの低賃金の集団でありながら、今日の労働崩壊の現状を構成する重要な要素である間接雇用や女性差別を悪用し発展する資本に、真正面から果敢にたたかいに挑んだのだ。
(8) 内部での点検・検証を
(3)から前項で列挙したことが良い方向に外れているのなら良いが、大方当たっているということであれば、(4)項を含め尼崎市、兵庫県(失業保険の給付を考えれば国も)として、大きな損失をしたことになる。
役所気質からいうと、自らがやったことに間違いはない……の姿勢を押し通す傾向が見られるが、契約先選考手続きが適法だったのかという立場ではなく、本件の結果がどうだったのかを、上に挙げた点を指標に是非、内部で点検されたい。プロポーザルでは(7)に挙げたようなことも見極めようとしたはずである。しかし実情は、病院が求めたと言われる「業務の円滑な移行」は全く実行されていないと言える。
その点検・検証の中で事務手続きは遵法であったにも関わらず、その損失が現れたのであれば、兵庫県としても都道府県で全国初の公契約条例の制定にむけた取り組みを開始されたい。
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