1. 公契約条例制定にむけた全国的な状況
(1) 全国的な流れ
1990年代の日本経済は長期停滞にあえぎ、構造改革・規制緩和路線のもとで、公共事業の総額の削減と競争強化が推し進められ、リストラなどで職を失う労働者が続出した上、「就職氷河期」と呼ばれる世代は正規雇用として職を得ることが困難となり、非正規の不安定な形で職に就くことが少なくなかった。日本の雇用慣行では新卒として正社員の職を得られなかった場合、その後に安定した職業に就くチャンスが少ないため、氷河期世代にはその後も長らく非正規雇用として働き続けている者も多い。
こうして、労働市場の流動化と経済の長期停滞といった要因が複合的に絡み合い、ワーキングプアに代表される、生活保護水準以下の年収となる低賃金労働者が増加し、社会問題となっている。
また、公共サービスの分野でも、小さな政府を掲げ、「官から民へ」業務を移管する中で、公共サービス分野の民間委託、指定管理者制度などが進められた。こうした中、公共サービスに従事する労働者においても「官製ワーキングプア」と呼ばれる貧困層が生じた。
このような厳しい労働環境を改善するために、公契約条例・法制定の運動が、主として公共工事における現場労働者の適正賃金確保をめざし、公契約分野の公正な取引、働くルールの確立、公共物や公共サービスの品質確保など、構造改革路線に対抗する広範な分野の運動として発展してきた。
(2) 公契約条例とは
公契約条例とは、公契約における労働者に支払われる賃金について、規定水準以上の支払いを受注者に対して義務付ける条例である。
その理念は1949年にILO(国際労働機関)で採択された「公契約における労働条項に関する条約」(第94号)に求めることができる。この条約は世界61カ国が批准しているが、日本では未批准である。
条約の概要としては、「公の機関はモデル雇用主たるべきであり、公の機関が発注する入札において、受注者に対し、労働者に社会的保護水準以下の賃金・労働条件を強いるような契約をすべきではない。」というものである。
この理念に基づき、公の機関が発注する契約において、労働者の賃金・労働条件、また、地域の賃金相場を守るために制定されるものが公契約条例である。
(3) 先進地の状況
公共サービスの民営化が進む中、従来、自治体の直営業務であった清掃、給食をはじめ、保育所、病院、図書館など、様々な職場への民営化が進められてきた。
また、正規労働者が削減される中、嘱託職員といった非正規公務員も急激に増えており、その給料だけでは生活できない、いわゆる「官製ワーキングプア」が社会問題になっている。
さらに、財政の逼迫を理由とした事業の削減や予算の縮減が行われ、特に公共工事や施設管理等の委託業務においては、そうした流れが顕著に表れており、入札のたびに落札価格が大幅に下がり、公共サービスの質の低下や、そこに働く労働者の賃金・労働条件の悪化が問題となっている。
こういった状況に対して、国や自治体においては入札改革といった側面から様々な取り組みが行われてきているが、直接に労働者の賃金・労働条件を規制する法律の制定には至っていない。
その中で、2009年9月、千葉県野田市は、全国で初となる「市が発注する工事や委託業務を受注した業者は、市が独自に定める一定以上の賃金を労働者に対して保障しなくてはならない」とする公契約条例を制定した。この条例のポイントは以下のとおりである。
※ 野田市条例のポイント
① 公契約にかかる最低賃金条例である。
② 公契約の対象は建設工事と委託事業である。
③ 下請け、孫請け、派遣労働者についても適用しており、監視と制裁措置もある。
④ 建設工事は設計労務単価の8割相当、委託業務は技能労務職の時給829円の最低賃金を定めている。
また、それに続いたのが川崎市であり、2010年12月に条例を制定。2011年4月から施行している。川崎市の条例においては、工事現場での「一人親方」や指定管理者へも適用するなど、対象となる就労者を大幅に拡大しており、より就労の実態を踏まえたかたちになっている。
このように、法律の制定には至っていないが、自治体の条例として制定する例が出てきており、今後制定を目指している自治体も少なくない。
しかし、公契約条例については、様々な課題もあるため、条例制定に積極的ではない自治体当局も多い。
(4) 公契約条例制定、運営における課題
① 公契約条例の制定における法的な課題
まず、憲法上の論点として、「地域の賃金、労働条件は法律で定める」と規定されていることから、地域の最低賃金を上回る賃金の支払い義務を条例に規定できるか、という問題があるが、これについては、政府の見解として「問題とならない。」と見解を示している。
次に、地方自治法上の論点として、労働者がその自治体以外の住民であった場合、その地方自治体の事務であると断定できないことから、地自法に違反しているという考え方がある。これについては、その自治体の業務に係る契約を対象とするものであるから、地自法の条例制定権の範囲内であることは明らかである。
さらに、労働法上の論点として、条例が労働契約の内容に介入するもので、労働基準法等の労働関係法令に違反するのではないか、という問題がある。しかし、このことについては、公契約の相手方の事業者に限って規定以上の賃金を支払うことを定めているもので、事業者は契約自由の原則によりその自治体と契約するか否かの自由を保障されている。したがって、自治体が直接労働契約の内容に介入するものではないと考えられる。
② 条例の適切な運営における課題
この条例には監視と制裁措置も定められているため、自治体は契約した相手方の事業者に対し、きちんと条例が守られているか監視をしなければならない。自治体が行う公共事業においては、数多くの労働者が条例の適用を受けることとなる。大きな公共事業となれば、日に相当数の労働者が現場に出入りし、雇用形態も不確かな労働者も数多く存在する。したがって、それら多くの労働者に条例で定められた規定賃金以上の賃金が支払われているかどうか、確実に監視する必要があり、自治体の担当者を配置することはもとより、諸外国で行われているように、関係労働組合に現場の監視、及び調査の権限を持たせ、賃金等の正確な把握を行う必要がある。
2. 松江市職員ユニオンの取り組み
松江市職員ユニオンにおいては、社会問題となっている「官製ワーキングプア」について、連合と連携し、公務員と同様に公共サービスに従事する労働者の処遇改善を求め、2004年春闘期以降に政策要求として運動を進めてきた。
「安さを追求する価格入札から、公共サービスの質向上と自治体政策に資する入札」への改革を進め、公正労働、雇用継続、障がい者雇用、男女平等参画など社会的価値の実現に資する公契約基本条例の制定や、自治体の労務提供型請負(業務委託)入札における最低制限価格制度の導入、不当労働行為企業の排除、就業規則の整備、社会保険支払いの条件化等を要求してきた。
公契約条例の制定や入札制度改革については、当局は当初関心が薄かったが、粘り強く要求を重ねるうちに、徐々に入札制度の改革を行ってきた。一方、公契約条例の制定については、国が法律で定めるべきで条例化は難しいが、工夫の余地があるとしている。
これまでの松江市職員ユニオンの取り組みについて、以下で述べる。
(1) 入札改革・公契約条例制定の取り組み
公共サービスに従事する労働者の処遇改善によって、公共サービスの質の確保という目的を達成するために必要なのが公契約条例の制定である。また、よりよい地域社会をつくっていくために、「安ければよい」だけの入札から人権、環境、福祉、公正労働、男女共同参画、障がい者雇用など社会的価値を実現していくための入札制度に変えていくことが重要である。
松江市職員ユニオンでは、2004年以降、公契約条例の制定を求める運動を行ってきた。合わせて、事業実施に見合う適切な人件費の積算基準の設定や労働法などの法令遵守を行うため、「総合評価方式一般競争入札」や「低入札価格調査制度」、「最低制限価格制度」などを組み合わせ、労務提供型請負を含む全ての公契約における公正な労働基準の確立を求め、入札制度改革・公契約条例の制定を求める取り組みを進めてきた。
(2) 組織内議員との連携による取り組み
松江市職員ユニオンは、組織内議員と連携し、島根県、松江市における課題として公共サービスに従事する労働者の処遇改善への取り組みを進めている。
① 島根県における取り組み
島根県が「仕事と家庭の調和」と「男女共同参画」を推進するために子育て中の従業員を積極的に支援する企業を「しまね子育て応援企業」(通称「こっころカンパニー」)に認定している事業がある。組織内県議会議員は、企業における取り組みを進めるために、議会質問で入札参加資格要件に入れることを提案した。さらに物品・役務への拡大も提案した。
その提案により、「こっころカンパニー」を入札参加資格要件に入れることが実施された。2008年度からの建設工事入札参加資格審査の評価項目に加えられたことで、企業の関心が高まり、それまで認定事業所が26社だったのが、2008年度末には98社となり、さらに来年度から物品・役務にも拡大されたことから、現在(2011年2月時点)では168社に増えている。
② 松江市における取り組み
組織内市議会議員においては、2006年3月議会において、官から民への流れの中、委託や指定管理によって、市の業務が民間に任されることが増えてきていることに対し、市民の信頼に応え、よりよい公共サービスを提供していくための対策の一つとして、総合評価制度の導入を提案し、選定・評価基準に、企業・事業者の人権や福祉・環境・男女共同参画などへの取り組み実績を加えることで、松江市が目指すまちづくりの実現にむけた政策誘導の一助にもなると質問した。
これに対して市長からは、国、県その他の検討状況をみながら対応していくと答弁があり、後の建設工事入札参加資格の項目の見直しにつながった。
3. 松江市当局の対応
松江市においては、国や県の制度改正等にならい、入札制度の変更を実施してきている。したがって松江市独自に調査研究して新たな視点で取り組みを進めてきたとは言い難い。全国的な非正規労働者の増加や官製ワーキングプアといった社会的な問題に対し、国等が対応してきたことに追随している印象が強いが、一定の改革を行ってきている。
公契約条例の制定については、労働条件に関するものであるため国が法律で定めるべきもので、条例制定は難しいとしている。しかし、工夫の余地があり、今後も具体的に調査研究していくとしており、これまで松江市職員ユニオンが一貫して要求してきたことについて一定理解してきたものと考えられる。
入札制度改革に関しては、公共工事において入札における品質確保を高めるため総合評価方式一般競争入札を2007年から試行導入した。また、ダンピング排除や下請け業者を保護するため、2010年1月から最低制限価格・低入札調査基準価格の引き上げを行った。測量・調査設計業務においては、同年4月から低入札調査価格を導入した。さらに、長引く経済の低迷による資金力の乏しい新規加入業者など零細企業の資材調達に必要な資金の確保・補完のため、2010年10月から前金払の基準額を引き下げている。
(1) 総合評価方式一般競争入札の試行導入
2007年から、公共工事の品質確保とダンピング防止のために試行的に導入を行っている。価格の他に、工事経験や工事成績など技術的な要素を総合的に評価し、価格と技術の両面から最も優れた業者を決定するものである。この技術的な要素には、過去の施工実績や優良技術者の確保といったものの他に、道路愛護の実績や、育児休業制度、介護休業制度の有無といった地域貢献度も加味されている。これまでの試行実績は以下のとおりである。 |