1. はじめに
2004年度に新医師研修制度が始まり但馬地方の公立病院は医師確保が非常に困難になりました。公立浜坂病院(以下 浜坂病院)も例外ではなく、病院存続の危機を感じた隣町の公立香住病院で働く自治労のなかまと共に「美方郡の医療を考える会」(以下「美方郡の医療」)を立ち上げました。2006年4月から2008年6月にかけて地域住民にも呼びかけ、病院存続や地域医療を考える学習会、講演会、シンポジウムなどを計4回開催しました。その取り組みは第32回北海道自治研で報告をしています。
「美方郡の医療」で行った活動は自治労や連合組合員が中心となって取り組んだため、一定の成果はあったものの、病院を利用する高齢者やシンポジウムに参加しなかった住民の多くには地域医療や浜坂病院の現状が十分に伝わっていないのではないか、このままでは病院の存在を疑問視する声が上がるのではないかと懸念していたところ、この度派遣医師として着任された医師の協力を得て、地域巡回講座に取り組む事になりました。現在行っているその活動について報告します。
2. 但馬の医療と浜坂病院の現状
医師不足に危機感を持った但馬の市町長や病院管理者は「但馬の医療確保対策協議会」(以下「但馬の医療確保」)を立ち上げ、県養成医師を公立豊岡病院(以下 豊岡病院)に集め、そこから他病院へ派遣する、とした再編計画を2007年2月に出しました。現在もその計画に沿い但馬の地域医療は進められています。再編計画が出されてから現在までの間に、ドクターヘリなどの救急搬送体制が整備され、豊岡病院、公立八鹿病院の救急病院と慢性期を担当する病院との連携も強化されてきています。
浜坂病院は1958年豊岡病院の分院として開設され、1973年町営の病院となり、1983年現在の地に4診療科2病棟110床で新築移転しました。1993年には7診療科まで増やし地域の中心的病院として地域医療を担ってきましたが、2004年からの新医師研修制度を契機に大学からの派遣医師の引き上げが行われ、2008年1月に1病棟を閉鎖し、現在6診療科(内科・外科・麻酔科・整形外科・耳鼻咽喉科・小児科)55床、院長を含めた常勤医師5人体制となっています。6診療科ではありますが、月~金曜まで診療を行っているのは内科だけであり、4診療科は応援医師により診療を行っているため、入院できるのは内科・麻酔科・リハビリ目的の整形外科の3診療科となっています。
浜坂病院がある新温泉町は2007年度の平成の合併で誕生しました。兵庫県の北西部(但馬地方)に位置し、鳥取県に接しています。2010年度の国勢調査によると、人口16,004人、高齢化率33.1%となっており、2005年から2010年までの人口減少率は兵庫県下で最も高い数値-8.4%となり、合併時に想定した人口予想を大幅に下回っています。
3. 「新温泉町の医療の将来を考える会」を立ち上げた理由
「日本の地域医療は大変な状況になっている。地方の公立病院は医師が確保出来ずに閉鎖する病院も出ている」と報道されますが、新温泉町の住民にはそうした地域医療や浜坂病院の現状が十分理解されてないと感じることがしばしばあり、巡回講座を取り組むきっかけにもなりました。
(1) 住民の意識への疑問
新温泉町は但馬の中心市である豊岡市とは約30km、隣県の鳥取市とは約20kmの距離にあります。両市とも新温泉町住民にとっては高度医療の提供地ではありますが、豊岡市に比べ近距離である鳥取市は余暇・日常生活圏域とも新温泉町住民の生活と深い関わりのある地域です。
当院も高度救急が必要な患者の転送は、患者家族の要望や搬送時間を考慮し、鳥取市内の病院へ転送することが多くあります。しかし、当院で完結できる疾患でさえも、患者や家族から鳥取市内の病院への紹介を執拗に要求されることもあります。また、時間外の受診患者数は減ったとはいえ、十分日勤帯に来院できる軽症の患者の受診、いわゆるコンビニ受診が現在も続いています。
(2) 町当局の医師採用への疑問
町当局は病院勤務医師数が増えることが第一と、募集に応募してきた専門診療科の医師2人を採用しました。1人は休止している診療科の医師であり、もう1人は週2日の外来診療しか対応出来ていない診療科の医師でした。診療体制の充実が図れるとの狙いもあった採用でしたが、採用された医師は救急当直に関しては専門外だとして難色を示し、なかなか協力を得られませんでした。加えて休止中の診療科担当医師は当面入院治療を行わないとの条件を出し、当時の院長も了解をした上での採用でした。一向に業務軽減がなされない既存の常勤医師からは不満も出始めました。結局、採用された医師は当院の方針とは合わずに、1人は1年、もう1人の医師も2年とは持たず退職となり、町当局や住民の期待とは程遠い結果となりました。
この採用は、管理者側自らが決定した「但馬の医療確保」の方針とも合わず、当院の医師を含めた職員にとって、町当局に対し疑問の残る結果となりました。
(3) 町議会議員や町当局の地域医療に対する現状認識不足
現在当院では午後9時以降の時間外診療や救急診療は制限をしています。このことは、病院勤務医師の負担を少しでも軽減し、退職に結びつかないようにするためです。そのことが病院、但馬の医療を守ることにつながるとして、「但馬の医療確保」で検討され、病院の機能分担として決めた内容です。私たちが取り組んだ「美方郡の医療」の活動でも、少人数医師では救急体制をとることは不可能であり、高度医療も提供できないとして、救急搬送体制の整備を提言しています。しかし、2011年9月の町議会で議員から「総合病院として24時間対応は出来ないのか」などの質問が出されていますし、町長は「専門医が多くいることがベストな病院だ」と答弁もしています。このことは議員や町当局の地域医療の現状に対する認識不足だと言わざるを得ません。
4. 巡回講座の取り組みへ
県養成医師であるA氏が豊岡病院より派遣医師として2011年4月着任されました。町当局の医師採用や住民のコンビニ受診に対し、「このままでは浜坂病院は、地域医療を行う医師にとって魅力的な病院ではなくなる。新温泉町の地域医療を守るには住民に地域医療の現状を理解してもらい、今後の新温泉町の地域医療の方向性はどうあるべきか共通の認識を持つことが大切である。地域に出向き、地域医療、浜坂病院の現状を伝えよう。高齢化社会の医療、新温泉町の今後の医療のありかたを皆で考えよう」と訴えました。職員も同じ様に感じていたため、短期間で「新温泉町の医療の将来を考える会」(以下「新温泉町の医療」)が発足しました。
この会の活動は地域巡回講座とし、地域の集会場に出向いて講座を開くようにしました。講師はA医師が受け持ち、職員は居住する地区の老人会や婦人会などに案内をしました。講座の準備は組合員、管理職、臨時職員と区別なく担当を決めて行うようにし、講座前や終了後には講師の医師や看護師など参加した病院職員が健康相談や血圧測定を行い、地域の住民と膝を交えて交流することで、病院に対しての要望も聞いていこうと計画しました。
(1) 活動内容
「新温泉町の医療」に住民の参加を呼びかけ、地域医療の講演を2011年6月に病院横の保健センターで行いました。巡回講座として地区の集会所へ出かけ出したのは7月27日の芦屋地区「芦屋ふれあいセンター」が最初で、2012年6月末現在19会場562人の参加者を数えています。
2011年8月20日小児科医師を招いた「小児の救急セミナー」には、35人の参加がありました。地元の浜坂高校生が小さな子どもの相手をしてくれる形で参加をしてくれました。おかげでお母さんたちは子どもに気を取られず安心して講演に集中することが出来ました。 |