【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第5分科会 医療と介護の連携による地域づくり

 2011年7月3日、筑西市において、筑西・下妻医療圏に「新・中核病院を創る」をキーコンセプトに行った地域医療を確立するシンポジウムの取り組みと「新・中核病院」の建設をめぐる筑西市(議会)・桜川市(議会)の対応と争点について報告する。



「新・中核病院を創る」取り組み


茨城県本部/茨城の地域医療を考える会

はじめに

 茨城の地域医療を考える会(以下「考える会」と言う。)は、一般社団法人茨城県地方自治研究センターとともに、2011年7月3日、筑西市において、筑西・下妻医療圏に新・中核病院を「創る」をキーコンセプトに住民、医療関係者(茨城県医師会、真壁医師会)、行政(筑西市、桜川市、茨城県)が一体となり地域医療を確立するシンポジウムを開催した。
 3・11東日本大震災で茨城県筑西・下妻医療圏にある2つの公立病院が、壊滅的な被害を受けた。筑西市の筑西市民病院は入院機能が使用不能、外来はプレハブ仮設での診療、桜川市の県西総合病院は一部が使用禁止となり近隣の病院に患者を移送、入院患者の受け入れができないなど災害拠点病院としての機能を果たせなくなった。
 これまでも「考える会」は、この地域では24時間救急医療をはじめとする医療体制の充実強化は必要と考えてきた経緯もあり、今回の大震災を機に「新・中核病院」建設を喫緊の課題と位置づけた。
 「考える会」は、医師会や連合茨城に「新・中核病院」建設に向けた運動を提起し、医師会等の賛意を得て市民参加の病院創りをスタートさせたが、当事者の一方である桜川市長は議会の同意が得られず、「新・中核病院」構想が一年にわたって「政争の具」にさらされることとなったその経緯を報告する。


1. 茨城の地域医療を考える会の活動

 2002年8月19日自治労茨城県本部内に「公的医療を考える会」を結成し、「財政難を理由とした自治体病院の縮小・廃止、労働条件の引き下げ」攻撃に抗して、公的医療の充実をはかるための運動を展開してきた。しかし、小泉内閣の地域医療切捨て政策は、茨城の公的医療ばかりでなく、地域の医療そのものを危機に陥れたため、公的医療ばかりでなく、茨城全体の医療の確保を目指す運動が求められることとなった。そこで、2009年4月に「公的医療を考える会」を「茨城の地域医療を考える会」(代表は自治労茨城県本部執行委員長、幹事は県内の公立病院がある市町村議員、自治労組合員、一般社団法人茨城県地方自治研究センター役員)と改称し、県全体の地域医療の充実とネットワーク強化、医療サービスのあり方を住民・行政・医療提供者・医師会などと創造する運動体として再編することになった。
 自治労県本部と連合茨城が取り組んだ「安心・安全と信頼の地域医療の確保を求める署名」(2009年2月23日知事提出、署名数70,468筆)を受けて、2009年5月16日、「県民みんなで支える地域医療シンポジウム」を連合茨城、連合茨城医福労連、茨城県医師会、茨城県看護協会の後援で開催し800人の市民が参加し、以後、県内の医療圏ごとに地域医療の現状を地元医師会、保健所などと連携し取り組んできた。


2. 「考える会」は新・中核病院を「創る」を提起

 筑西市、桜川市と茨城県は、東日本大震災前から地域医療再生法に基づく新・中核病院建設に向けた協議をしていたが、建設場所を巡って折り合いが付かず、棚上げになったところに大震災に見舞われ、二つの公的病院が機能不全となった。この事態を受けても両市は建設する合意に至らなかった。
 「考える会」としては、新・中核病院は①筑西・下妻医療圏に24時間救急医療を担う公的病院がなく、心疾患での死亡率が最悪、県民の多くが栃木県の医療機関に依存した受療動向を改善するために必要。②東海原発事故が起きた際に県立中央病院が30キロ圏内にあり使用が限定された場合、公的病院の後方基地になり得る。③地域で大きな雇用が創出される。ことなどを中心に訴え、とりわけ「地域医療再生臨時特例交付金」活用のリミットが迫っていることから早急な両市での合意形成を目指した。
 7月3日の地域医療シンポジウムでは新・中核病院を「作る」のではなく「創る」、「民間病院・クリニックとの医療連携、ネットワークを重視し質の高い医療を提供できる」ような病院を「創る」という方向が明確になった。
 2011年7月3日筑西市で500人を超える市民、市議会議員、自治体関係者が参加した地域医療シンポジウムでは、新・中核病院建設について両市長が、新・中核病院建設にむけて努力することを市民の前で表明した。参加者アンケートでは、「考える会」のシンポジウムによって病院建設が進むことへの期待が明確になった。マスコミでもその機運の高まりが報道された。
 9月建設準備会で建設場所内定を公表した後、桜川市議会の半数の議員が新・中核病院建設反対を強硬に主張し、市執行部も方針を決定できない状況となった。
 これに対して「考える会」は、新病院建設への動きを確実なものとするために、10月30日連合医福労連シンポジウムを企画・後援した。桜川市民が300人参加し質疑討論を行い早期の建設の必要性を改めて確認した。
 地元医師会も2012年1月、新・中核病院建設を政争の具にしてはならない「地域医療をきちんとやらないと、医療難民になる可能性がある。お互いに信頼関係を築かなければならない」と訴えた。


3. 筑西市・桜川市の動向(準備会の設置)

 両市による建設委員会準備会が設置され、原中勝征・日本医師会長が座長に就任。両市長が「単独再建は困難」との認識で一致したことを踏まえて、国の地域医療再生臨時特例交付金を活用し、救命救急センターなど3次救急医療施設を備えた300床規模の病院を整備する。建設場所は筑西市とし、現在の筑西市民病院は病床なしの診療所に格下げ、桜川市にある県西総合病院は現行の299床から120床程度に規模縮小する、病院の運営形態を含めた基本構想の策定費は筑西、桜川両市で折半して負担するなどとした案が両市長に9月に示された。
 国の地域医療再生交付金を活用するには2013年度着工が前提条件となっている。着工までに基本構想と基本計画策定が約9ヶ月、基本・実施設計が1年程度要する。事業主体は、両市が負担金を出す「県西総合病院組合」。両市議会による予算議決が前提となる。
 このような状況の中で、病院建設場所が筑西市とする案には同意できないと、当事者である一方の桜川市議会が反発、反対派は議案否決のため非民主的な手法と手続きを繰り返し、今年の6月議会後に新・中核病院建設断念に市長は追い込まれた。


4. 筑西市議会・桜川市議会の動向

 筑西市議会は新・中核病院建設に関して、すべて議決し桜川市の議決待ち状態で静観。
 桜川市は、桜川市民の病院建設賛成の声に対し、行政も意見反映の場を創ることなく2012年6月15日新・中核病院建設を断念することを決定した。
 筑西市は桜川市の建設断念を受けて、今年7月26日に筑西市単独で建設、運営する方針を固め、桜川市と共同運営している県西総合病院の許可病床299床のうち161床を筑西市に配分するよう求めた。これに対して、2012年7月27日反対派の桜川市議会議員は知事に「茨城県として新・中核病院を纏めてほしい」との要請を行った。
 新・中核病院が棚上げとなったことを受けた筑西市・議会の単独建設への方向転換により桜川市の反対派議員は動揺している。


5. 中間総括の視点

・地域医療シンポジウムの設定から医療圏内への新聞折込などに関して「考える会」としては病院建設を「政争の具」とされないため医師会・連合茨城などと丁寧な協議をかさね、地域性も考慮して労組色が前面にでないような取り組みを行ってきた。結果として、組織動員型ではなく多くの市民が参加し積極的な意見集約につながった。
・桜川市長は建設賛成であったが、議会の反対を前にして「考える会」や連合茨城の再三再四にわたる市民の声を聴くようという要請に対し、市民の声を直接聞く機会を設けなかったことは問題である。
・私たち「考える会」の運動を理解する議員の不在は大きなマイナス要因となった。
・「考える会」の運動を支える地域組織ができなかった。
・自治労の単組がない地域での運動であった。
・連合と連携したが地区組織を作り上げるまでには至らなかった。
・自治労単組がない地域で自治労としての政策実現活動をどのように展開するかという課題と連合をはじめとする地域組織との連携の強化をどう行うかという課題が目の前にある。