1. はじめに
私自身、尼崎で生まれ尼崎で育ち尼崎で親になりました。私は尼崎が大好きです。ですが、この大島保育所廃止・民営化問題に関わったこの5年間で尼崎市に感じる事は、今の尼崎市では我が子に「大人になったら尼崎に住みや!」とは、よう言えません。
尼崎市は、全国で最初に民間移管を実施した自治体で、現在16か所も民間移管されました。過去15園の民間移管では、移管先で起こった問題や事故、移管先を決める手法に保護者不在の密室会議や商店街の抽選のガラガラポンが使われたり、引継期間は2ヵ月と大変短く、中には大きな事故もあったりさまざまな問題が噴出しているにもかかわらず、これまでの民間移管の検証もないまま、あらたな第3次移管を推し進めています。その第3次計画の一番手に、我が子の通う大島保育所に白羽の矢が立ちました。
私は、2007年1月に始まった大島保育所の民間移管の説明会まで、普通に一日を過ごす3人の子どものお母ちゃんでした。民営化の「み」の字も知らなかった普通のおかあちゃんが「どうしてなん? なんで大島が民間になるの?」ということから活動は始まりました。
このレポートは、何故……を追求するうちに何の根拠も責任もなく簡単に計画を進められていること・行政の進め方に大きな疑問を抱いたこと・そして、子どもたちの“育ち”をまもるための最後の手段として裁判を起こしたことなどの活動をまとめたものです。
(※法的には民間移管という言葉はありません。正しくは保育所の廃止・民営化といいます。以下、廃止・民営化で記載します。)
2. これまでの尼崎市の廃止・民営化計画について
尼崎市には、公立・民間あわせて81園の認可保育所があります。今から15年ほど前、公立保育所廃止・民営化計画が進められる前は公立と民間の割合は50対31でした。その後、第1次計画で10か所、第2次計画で5か所、計15か所が1992年~2006年3月までの間で行われました。これで公立と民間の割合は35対46になりました。
その後、過去15か所廃止・民営化した内容の検証を行わず、2006年12月には、現在ある公立保育所を9か所しか残さず、あとは全て廃止・民営化するという第3次計画を発表しました。その計画の一番手にあがったのが今福保育所と大島保育所でした。
この第3次計画は、「公立保育所の今後の基本的方向」と「保育環境改善および民間移管計画案」というもので、事前に市民や保育関係者・議会の意見を聴くことなしに健康福祉局内だけで作成されたものでした。
3. 裁判に至るまでの経緯
2006年12月に第3次計画がだされた後、翌年の1月から民営化対象園や6つの各地域で説明会が開かれました。
対象園での説明会では「民営化されても運営主体が変わるだけであとは何も変わりません。公立の保育を継承させます。」と言うだけで、具体的な根拠あるデータを出すわけでもなく、民営化のメリット・デメリットを説明するわけでもなく、「何故、大島保育所でなければいけないのか。」という質問には、地図上の机上論しか言えず、保護者を納得させるものは全くありませんでした。その上、当時はまだ「案」であった計画であったにも関わらず、もう決まった計画であるかのような説明が行われました。
その説明を聞き、不安にかられた保護者は自分たちで廃止・民営化を経験した保護者を探して話を聞きに行ったり、保育所廃止・民営化問題について正しく理解する学習をすることにしました。自分たちで情報を集めれば集めるほど、行政の説明は嘘ばかりであることを知りました。過去15園の民営化では民間園に全て丸投げしてしまっていることや、民営化したあとで起きた問題は他の民間園でのトラブルと同じように扱い、民営化したから起きた問題とは全くとらえていないことなどを知りました。
当時、大島保育所の保護者と行政担当者は何回も長時間にわたる説明会を重ねましたが、行政の説明は保護者を納得させるものとは到底言えませんでした。説明会を重ねるたびに疑問が山積みになり、保護者の不安は行政不信に変わっていきました。
尼崎市は保護者の納得を得られていないとわかっていながら、2007年12月議会に今福保育所と大島保育所の廃止条例を提出しました。私たちは大島保育所の存続を願い、保護者は議会に陳情署名を提出し、審議当日には議会で口頭陳述をしました。
ですが、僅差で大島保育所の廃止条例が可決されてしまいました。
保護者は決まってしまったなら仕方がないので「今度は保護者の意見も聞きながら進める。」という尼崎市の言葉を信じ、子どもたちの負担を少しでも軽くするための具体的な民営化方法を保護者自らガイドラインをつくって提案しました。ですが、条例可決後の尼崎市の対応は手のひらをかえしたように変わってしまいました。可決前は「過去の民間移管では全て移管先園と保護者に丸投げしてしまったことは反省している。でも、今度は保護者の意見も聞いて進める。引継期間が短ければのばします。」と言っていたにも関わらず、保護者から具体的な引継案を提出すると「もう交渉の場ではありません。議会で決まったことなので……」と、保護者の提案をばっさりと切り捨てました。そして、「平成21年3月末で公立の保育士は一斉に引きあげます。移管とはそういう事だから……。引継期間が短いというのであれば、後ろに延ばすのではなく前にのばすことになります。だから早く選考委員会の保護者委員をださないと引継期間はどんどん短くなりますよ。」と、脅しともとれるような言葉を保護者に言いました。
議会で決まったのは大島の公立の看板を下ろすと言う事だけで、引継方法や引継期間などの廃止・民営化の手法までは決まっていませんでした。この条例可決後の市の対応と言葉を聞き、保護者は「もう提訴するしかない。」と決意せざるを得ませんでした。
提訴の出訴期間は条例制定後6ヵ月以内という規則がありました。私たちが決意したのは2008年2月でしたので、残り4ヵ月しかありませんでした。そんな中での提訴の準備はいま思いだしただけでもゾッとします。よくできたな……と改めて思います。
提訴するには まず、弁護士を見つける事・原告を募る事・バックアップ体制を整える事が必要でした。
原告を募るといっても裁判という高いハードルに対して大島の保護者はとても不安でした。ですが、地道に伝える中で37世帯41人の原告団をつくる事ができました。この数は当時、全国各地でされた保育所裁判のなかでも大東・横浜・神戸につぐ人数でした。弁護団も3つの法律事務所の5人の弁護士の方が引き受けてくれました。支援する会も立ち上げる事ができました。
そして、2008年6月16日に神戸地方裁判所へ提訴しました。この時の内容は新聞やテレビで報道されました。
4. 条例改正
2007年12月議会で、大島の廃止条例が通ったものの、もともと「なんで大島保育所が選ばれたのか。」という根本なところから保護者は納得していませんでしたし、計画自体も後先考えていない大雑把でお粗末な計画で、保護者が出したガイドラインの回答もできておらず、その後も、大島の民営化については、選考委員会さえ開けていない状態が続いていました。
当初の計画では2009年3月末を持って民間移管することになっていましたが、私たちが裁判に提訴したことや、準備が全く進んでいなかったことから、尼崎市は民間移管の施行期日を「別途規則で定める日」とする条例改正案を2008年12月議会で出すつもりだと聞きました。
私たちは、市が、計画を強引に突き進めようとする姿勢を改めず、更に、勝手な進め方をしようとしているのに対して、立ち止まって考え直してほしいと思いました。市議会当日の健康福祉委員会では、大島の廃止は、①「規則で定める日」に改正するという市の条例改正提案(当局提案)と、②大島の移管計画はもう一度白紙に戻してほしいという主旨の私たちの陳情と同趣旨の議員からの修正案と、③大島の廃止日は再度議会を通すという意味で「別途条例で定める」という議員修正案、の3つの対決となりました。結局、私たちの願いは聞き入れてもらえず、③の修正案が可決されました。これで、大島保育所は廃止の事実はかわらないまま、廃止日が未定のままという宙ぶらりんな状態になってしまいました。のちに、このことが神戸地裁の判決に大きく関わってしまうことになるとは、この当時は思いもよりませんでした。
5. 直接請求
2008年12月議会の結果に納得いかない保護者は、直接請求をしようという事になりました。
ちょうど、その年は市議会選挙、県議会選挙も控えており、またいつ総選挙になるかもしれず、総選挙となればこの運動は無駄になってしまうものでした。ですが、何もやらずにあとで後悔するよりもできることはすべてやっておきたいと思い、ほとんど賭けのような状態でしたが踏み切ることにしました。
最終536人の受任者と1万4,836筆もの署名を集めきることができました。結局、有効署名数は1万3,800筆となりました。
2009年5月14日、直接請求を受けて、健康福祉委員会で大島保育所の設置条例提案について審議がされました。
最初に、請求代表者4人による意見陳述、その後、請求代表者2人による参考人招致がありました。
審議の結果、賛成3人、反対5人で不採択となりました。また、同月19日の本会議では、賛成19人、反対21人、退席2人と僅差で不採択となりました。
尼崎市で過去に直接請求されたのは23年前の小学校の統廃合問題でした。23年ぶりのこの直接請求署名でしたが、現役の保護者が家事、仕事、育児の両立でギリギリ状態の中、子どものために必死に集めた署名でした。
2007年12月議会で大島の廃止条例に賛成した議員の一人が、この直接請求では、私達の思いを受け止めていただき、直接請求に賛成へと態度を変えてくれたことには大変嬉しく思いました。しかし、またも僅差で成立には至らず、子どもを思う親の思いが届かなかったことはとても残念でした。
6. 地裁判決そして高裁・最高裁上告へ
2011年3月16日に神戸地裁判決がでました。結論は、「いつ廃止されるか期日が決まっていないので、誰が不利益を被るのかが特定できないので却下」という判決でした。私たちは、すぐに高裁へ控訴しました。
高裁で争っている間に、大島保育所を2014年4月1日に廃止する条例が、同年の12月議会で出され可決されました。
これで、一審判決の理由がなくなり、ちゃんと中身の審議をしてくれることになると思っていましたが、2012年5月の出された高裁の判決内容は「廃止・民営化後も在籍している原告は、入所時に大島保育所が廃止・民営化対象園と知っていて念書に署名捺印までしているのだから、どんな民営化をされようが文句は言えないという理由で却下」というひどいものでした。
裁判所のいう「念書」という文書は本当は存在していません。入所が決まり所長との面談の時に、他のいろんな書類と一緒に書かされた、お知らせ的な書面にサイン・押印をするように言われたもので、保護者は疑問に思いながらも「これにサインしないと入所できないかも……」という状況の中でサインしたものでした。
高裁は、これを念書と言い、押印した限り裁判に訴えることはできないという問答無用の形式的判決でした。到底許せるものではありません。このような判決を全国の判例として残させておくわけにはいきません。そういうことに危機を感じたことと、もともと「尼崎市のしたことが良いことなのか悪いことなのか」を判断してほしくて起こした裁判なのに、未だに中身の審議をされていないことに納得がいかないため、すぐに最高裁へ上告しました。
7. 最後に
尼崎市は裁判されようが、直接請求されようが全く反省してくれません。それどころか、ますます強引な手法をとって保育所の廃止・民営化計画を進めています。その結果、尼崎市は立花南保育所の保護者からも大島保育所の現在の在所保護者(大島第3次訴訟)からも裁判を起こされていて、尼崎市は保育所廃止・民営化裁判を3つ抱えています
また、この間、市立幼稚園の統廃合問題で、幼稚園の保護者からも大きな反対運動を起こされています。
保育所とは、世間では託児所と同じような認識をされ、ただの“子守りの場”という印象を強く受けますが、私の子どもたちが受けた「保育」というものは、「ただ適当に預かって遊ばせて帰せばいい。」というものではありませんでした。
就学前の6年間で「生きる力」の土台をしっかりとつくってくれました。自分が困った時には、「僕(私)、困ってんねん。」と、ちゃんとまわりの大人に発信できる子になっていました。ひとつひとつの保育には、ちゃんと理由があり、丈夫で心豊かな人になるための子育ての知恵がいっぱい詰まっていました。子どもの年齢ほどの親の経験しかない私に、大島保育所の保育はしっかり寄り添いサポートしてくれ、私自身も大人から親へと成長させてもらえた場所でした。どの働く親も、保育所利用当初は保育所に子どもを預けて働くことに負い目を感じることがあると思います。私もそうでした。けれど、保育所で我が子がどんどんたくましく・やさしく・楽しげに、たくさんの友達と一緒に成長していく姿をみて、「大島保育所に入れてよかった」と大変感謝し、誇りに思っています。
この間、幼稚園の統廃合問題に関わっている保護者の方と話す機会があり、統廃合問題を聞くと、根本的な問題は保育所廃止問題と同じでした。幼稚園に通わす親の思いも同じでした。行政は、幼稚園世帯と保育所世帯を分けて考えて両世帯を対立させたいかのような対応をすることがあります。そうではなく、どの世帯であっても親の子どもに対する思いは同じだと思います。
そもそも、今の尼崎市は「お金がないから仕方がない。」と、目先の判断でしか行政計画をたてていないことが問題だと感じます。
保育所問題を一緒に関わっているあるお母さんが公園のあちこちにポイ捨てされたごみをみて、子どもに「なんでポイ捨てするん?」と聞かれた時に感じたことを話してくれました。「ごみをポイ捨てしない大人に育てるにはどうしたらいいと思う?今の尼崎市には『尼崎の子どもがどんな大人になってほしいのかとか、どうやったら若い世帯が尼崎に住みついてくれるのか』なんて考えてないよな。親はさ、こどもの将来のことも考えて育てるやん。尼崎市もそんな考えで行政計画をつくってくれたら、こんなにこじれへんかったと思うねん。なんで、そんな考えにはならへんのやろ。」と……。
「尼崎の子は尼崎で育てる」というのであれば、財布が厳しいこんな時こそ、もっと将来を見据えた計画を考えてもらいたいと強く思います。この大島保育所裁判は、そんなガチガチ頭の尼崎市に一石を投じる布石なってほしいと強く強く願います。 |