【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第6分科会 地域での子育ち支援 |
1994年に自治労結成40周年を記念する国際協力事業として、アジアに着目し資金・ハコモノ援助だけでなく「自治労組合員の直接参加」による活動が多数の都道府県本部等により行われてきた。広島県本部でも継続して何ができるのか検討するため2010年12月4日(土)~12日(日)の9日間、ベトナム、ラオス、カンボジアの「アジア子どもの家」へ広島県内6単組と県本部計12人で訪問したので報告する。 |
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1. はじめに 1994年に自治労結成40周年を記念する国際協力事業として、アジアに着目し資金・ハコモノ援助だけでなく「自治労組合員の直接参加」による子どもたちへの継続的な支援活動が都道府県本部等により行われてきた。広島県本部では、社会貢献事業の一環の1つとして、国際連帯救援カンパに取り組んでいる。この国際連帯救援カンパ金は自治労本部に集められ、連合の「愛のカンパ」や自治労の「NPOエファジャパン『アジア子どもの家』事業」・自然災害などの活動を支援・見舞金として活用されてきた。そのような中で、直接的に継続して何かできたらと検討された。公共サービスの仕事で、子どもたちとのつながりの深い職場の組合員に参加を呼びかけ(幼稚園教諭1人・保育士3人・児童家庭相談員1人・保育所給食調理員1人・保健師3人・事務局3人)訪問した。とりあえず、3カ国にある「アジア子どもの家」に行き今後どの国を支援するか検討していくため、2010年12月4日(土)~12日(日)の9日間(ホテルで7泊機内1泊)でベトナム、ラオス、カンボジアの「アジア子どもの家」へ広島県内6単組(福山市職労・神石高原町職労・はつかいちユニオン・三次市職労・県本部事務局)計12人で訪問したので報告する。 2. 出発までの準備 事前に何回か集まり事業の背景や行く仲間の顔を知った上で訪問事業に出発するため、計3回参加者事前学習会が開催された。事前学習会の詳細については表1のとおり。 |
3. 行 程 行程については表2行程表のとおり。 |
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4. 「アジア子どもの家」訪問活動について (1) エヌムギア子どもの家(ベトナム ハイフォン市) 人口約8,500万人、90%を占めるキン族のほか、数多くの少数民族からなる他民族国家。80%が仏教徒。 市場経済の導入により、経済的には徐々に発展しているが、それとともに貧富の差が拡大・固定し、麻薬や売春等の問題が増大している。ハイフォン市は、北部の港町で首都ハノイからは車で2時間半、人口160万人のベトナム第3の都市(中央直轄市)である。 ② エヌムギア子どもの家の概要と訪問活動 1995年8月に日本ボランティアセンター(JVC)とのプロジェクト契約からはじまった。年々増加するストリートチルドレンや犯罪・貧困・虐待等で親の保護を受けられない子ども達を一時保護し。衣食住とともに教育や職業訓練などの機会を提供する施設。訪問当時保護されていたのは8歳~15歳の子ども達で、施設で生活しながら地元の学校に通学している。学校外の時間は、友達と遊んだり、施設で実施している音楽教室やダンス教室、職業訓練教室に通っている。職業訓練や識字教室・その他の活動には近隣の子ども達も受け入れており、子ども達が安全に遊べる児童館や職業訓練所の役割も果たしている。 エヌムギア子どもの家での訪問活動は、子ども達が学校から帰ってきた放課後の時間を利用しての交流となった。子ども達に歯ブラシをプレゼントして、「虫歯予防」をテーマに、エプロンシアターや歯の模型を使ってブラッシング指導を子ども達と一緒に実施した。歯磨きや手洗いなど衛生面での生活習慣がされにくい環境の中で、日本語を通訳に翻訳してもらいながら実施したため内容がうまく伝わっているかどうか謎であるが、今後関心をもつきっかけになっていればとふりかえった。ブラッシング指導のあとは、フォークダンスを披露し一緒に踊ったりもした。短い時間ではあったが子ども達の元気な声と笑顔が印象的だった。 |
(2) 子ども文化センター CCC(ラオス ルアンプラバン・ヴィエンチャン) |
(3) 子どもの家 幼稚園教員養成学校・スラムの子どもの家(プノンペン) |
5. まとめ 約2年前のことである。帰国後、私が何をしたかといえば、書き損じハガキを集めるすることと国際連帯カンパの募金の金額をいつもよりほんの少し多く出したことだけだった。翌年につながってほしいと思っていたが、東日本大震災がおこり、外国よりも我が国の仲間の支援が大切になったため去年は実施されていない。本来なら、訪問した3カ国のうちの1カ国に行きなんらかの直接支援をしていっていただけたらと思っていたが、それができないなら絵本をあつめたり、教材になりそうなものをあつめたりと日本でもできることは沢山あると思う。国内の政治状況等不透明なところはあるが、海外でであった子ども達の前向きな瞳を思い出し前向きに日々の仕事などで活動していきたいと思う。 |