1. あったか相談村の開村
(1) 「見て見ぬふりはできない」
① 社会問題化していた派遣切り
2008年の暮れのある日、自治労富山県本部の地域公共ユニオン福祉支部の女性組合員Nさんが、失業手当の手続きのためハローワークを訪れていた。テレビや新聞でも派遣切りが報じられ、社会問題になり始めていた時期、ハローワークには長蛇の列ができていた。そのとき、Nさんの列にいた高齢の求職者が倒れた。空腹が原因だった。
その頃、ハローワークに程近いJR富山駅の地下道にも、明らかに新規のホームレスの人々が増えていた。「これは大変だ。」そう思ったNさんは支部の会議でそのことを口にした。皆が「見て見ぬふりはできない。何かしなければ。」となった。さっそく福祉支部のS支部長らが中心となって、支援の準備が始まった。
② 一時しのぎでは終わらせない
当初、「年末年始に炊き出しをしよう。」という意見もあった。一方で、「一時的に空腹をしのぐだけで終わらせていいのか。」という意見も出た。話し合う中で、派遣切りに遭って路上に放り出された人々を中心に、社会復帰を促すための取り組みをすすめることにした。
そして、個人加盟方式の実行委員会を立ち上げ、幅広くボランティアの実行委員を募ると同時に、カンパや食材の提供も呼びかけた。ちょうどその頃、東京・日比谷の年越し派遣村のニュースが流れ始めていたこともあって、実行委員はすぐに30人を超えた。また、様々な個人や団体からカンパや食材が寄せられた。
実行委員長に就任したS支部長は「我々は労働組合であり、これは労働問題でもある。炊き出しだけでなく、労働組合だからこそできる取り組みもやらなければいけない」と思いを語った。
③ 労働運動の弱さ
さっそく彼は、自治労富山県本部、連合富山、富山県労働者福祉事業協会(労福協)に協力を要請し、その約束を取り付けた。「派遣切りなどという状況が生み出された原因は、労働運動の弱さにある。ここで労働組合が立ち上がらないでどうする。」S支部長にはそんな思いがあった。
こうした組織からの支援は、活動拠点の確保につながった。労福協は、ハローワークに隣接する、ボルファートとやまという建物と、富山北モータープールという駐車場を運営していた。北モータープール前の一角と、ボルファートとやまの1階の空きテナントが借りられることになった。炊き出しに使う米を炊くのも、ボルファートとやまの調理場を使わせてもらえることになった。連合富山からは一定の資金提供を受けることになったし、自治労富山県本部が事務局を担い、物資保管や連絡の拠点の役割を担うことになった。
こうして2009年1月、第1回のあったか相談村がスタートした。
④ 炊き出しと相談
当日、あったか相談村で炊き出しをしていることを伝えるため、実行委員が早朝からハローワーク前やJR富山駅でビラを配った。真冬の富山県は、その日も雪が舞っていた。
炊き出しに集った人々は、北モータープール前に設置されたテントの中で、熱々の豚汁をすすりながら、おにぎりやゆで卵をほお張った。そこに相談員が声をかけ、その人の境遇や思いを聞いた。ちょうどお昼時なので、一緒に食事をしながら相談を引き出した。腹ごしらえが終わると、個々の状況に応じて、相談員はボルファートとやまの中に設けた別の相談窓口に彼らを案内した。そこには、3種類の相談窓口があった。
健康相談の窓口には、組合員やそのOBで看護師の資格を持った人々が待ち受けていて、問診や血圧測定などを行った。病気の人や負傷した人もいた。健康保険証も金もない人が多かったが、無料低額診療制度を利用し、医療機関に連れて行った。
労働相談の窓口では、不当労働行為などがあれば対応しようと、経験豊かな役員経験者が相談に当たった。
生活相談の窓口では、ケースワーカー経験者や福祉の制度について知識を持った人々を配置し、生活保護を受給できそうな人であれば、申請を行うため相談員が市役所に同行した。
このように、各相談窓口で、自治労ならではの経験とそのノウハウは、その力を見事に発揮した。これこそが、S支部長の言っていた「労働組合だからこそできる取り組み」であり、「相談村」と名付けられた所以である。
⑤ 多彩な実行委員
こうした相談員以外の実行委員も多彩だった。NGO「アジア子どもの夢」や、薬物依存者の更正施設である「富山ダルク」のメンバーなど、市民グループも加わった。
「アジア子どもの夢」は、文字通りベトナムなどアジアをはじめ世界的に幅広い活動を行っていたが、こうした国内の貧困という危機に黙っていられないと立ち上がった。
「富山ダルク」は、薬物依存からの脱却のプログラムに、ボランティア活動など社会貢献を取り入れていた。自分たちが「社会の役に立っている」と思えることも精神的な支柱になるのだという。
こうした、緩やかながらも幅広い支援者のネットワークは、その後も主婦や学生などにも広がっていった。
⑥ 相談の中で
相談を進めていく内、意外だったのは、県内出身者が相談者の約8割を占めたことだった。しかも家族が近くにいる人も半数以上にのぼっていた。「なぜ家族のところに行かないのか」「家族の支援を求めるべきだ」と言うのは簡単だったが、借金で家族に迷惑をかけたり、家族に暴力をふるっていた過去があったりと、簡単には関係を修復できない、様々な事情を抱えていた。
また、相談者は男性が多かったが、女性の姿もあった。家族からの暴力に耐え切れず、あるいは嫁姑問題などで、家を出たものの、仕事も行く場所もなく、車の中で寝泊りしている人もいた。
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