1. 実験的取り組みに至る背景
(1) 「小さい自治体づくり」か「地域ガバナンスの確立」か
尼崎市は、2003年から2007年の5年間の「経営再建プログラム」、そして、2008年から2012年の「行財政構造改革推進プラン」を推進してきた。その中身は、尼崎市の財政構造の改革のためのNPM理論にもとづく“小さい自治体づくり”そのものであった。
尼崎市では、そのために、「地域のことは地域で」「ボランティアの活用」という意味合いで「協働」という言葉が多用され、地域に展開していた行政サービス機能をハード面においては地域から引き上げて本庁舎に集中させ、ソフト面においては、地域ボランティア等にまる投げしてきた。自らが“身軽”になりたいために地域に仕事を押し付けてきたのである。私は、「市民も市もしんどさを押し付けあっている。お互いに協力してこのしんどさを共有しどう克服するのか……を模索する活動が求められている。」と主張してきた。尼崎市のこの身勝手さこそ「協働」という理念に反しているといわざるを得ない。
今日、「協働」「新しい公共」を担う主体としての「行政に替わる地域課題に対応する地域ネットワークの必要性」が強調されるようになってきていることは事実である。
私は、この地域ネットワークをつくることは「地域ガバナンスを確立する」ことであると考えている。
しかし、尼崎市はこの「地域ガバナンスの確立」という方向性を政策として持ちえていない。現在もなお、行財政改革としての「行政の守備範囲の縮小」をめざしているに過ぎない。
(2) 私の問題提起 ―― 集中より分散へ・今こそ地域自治の確立へ ――
私は、尼崎市の財政再建・行革プランに対して、次のような主張をし、行政姿勢を批判してきた。
① 従来型の財政再建手法は有効ではない
行政サービスの縮小・一極集中方式(集中は効率的……という思い込み)は、いわゆる、「たこつぼに入って景気回復を待つ」という従来型行革手法であり、今日的には有効的に機能しない。
② 行政サービスの地域分散化を図り、地域自治機能を高める「協働」を推進する
地域における基礎コミュニティ単位を定め、それを基にして圏域化し、総合化した行政サービス機能と自治機能を合体させて、地域に機能的に配置する。それにあわせて、本庁舎機能をスリム化すべきである。
③ 行政組織・予算執行等の行政システムを抜本的に改革する
行政が地域に向き合い、地域自治構築に向けての協働作業を行うためには、職員の地域配置、地域と向き合える総合窓口の設置、パッケージ型交付金等の創設など、本当の意味での行政改革が必要である。
④ 地域コミュニティは崩壊してきているという認識が必要
行政は、仕事を地域にまる投げし地域から撤退しているが、戦略なき撤退は地域をますます疲弊させ、地域のコミュニティの崩壊を加速させることになる。(事実、この10年間はそういう結果をもたらした)
今まで、尼崎市は、NPOの活動など、地域の自治基盤形成は高まってきていると強弁してきたが、今日に至って、尼崎市は地域の自治基盤が崩壊の危機にあることを認めている。
(3) 論争から実践へ
私の問題提起に対して、尼崎市は自らが策定したプログラムを着実に推進するためには異論に耳を貸さないという状況であった。「この状況に風穴を開けるには、地域で実験しその取り組みを行政に見せるしかない」と考えた。そして、その取り組みをスタートさせた。今から8年前の2004年のことである。
私の住む地域で、社会福祉協議会(自治会)、商店会、PTA等地域組織に呼びかけて「地域活性化研究会」を立ち上げ、全国の地域通貨の実態を研究した。数箇所視察も行ってきた。
そして、2005年秋、地域関係者で尼崎市立名和小学校区をエリアとする「名和地域通貨おう委員会」を立ち上げたのである。(「おう」とは地域通貨の名称である)
2006年3月にイベントを組み、地域通貨「おう」の発行を開始した。
それから、6年が過ぎ、現在も活動が続いている。活動内容は、ツールとしての地域通貨の発行・流通管理をはじめとして、地域イベントの実施(地域諸団体との共催化)・兵庫県の県民交流広場事業の展開(高齢者ふれあい喫茶事業、親子ふれあい広場、自主的サークル活動など……)・「おう」ボランティア事業・要介護・要支援高齢者在宅生活サポート事業(尼崎市市民提案型協働事業)など、年々、活動メニューが増え、活動領域が広がってきている。
2. なぜ、地域通貨なのか……?
(1) ブームが去ってからはじめた
私たちが地域通貨を始めようとしていた時期は、全国的には、地域通貨ブームがピークを越えて下火になりつつあった頃である。阪神・淡路大震災からの地域復興として、兵庫県は“地域通貨発行によるコミュニティ活性化”を促進するための誘導策として補助メニューをつくり、その結果、数多くの地域通貨を発行する団体が誕生したが、補助期間の3年が過ぎてからは、行政の期待に反して、神戸など都市部においては、ほとんどが活動を停止してしまった。当時、尼崎市でも、1つの地域で地域通貨が発行されたが、いわゆるイベントにおける購入券という初歩的実験のレベルのまま、3年たって衰退してしまった。
そういう時期の2004年に、私たちはあえて、地域通貨の研究を始めたわけである。
私たちは他都市の地域通貨の成功例・失敗例を研究して、私たちが名和小学校地域で発行する地域通貨「おう」に次のような特徴をもたせることにした。
① 会員制システムを取らない。誰もが参加し利用できるようにする。(地域の人全員が会員という考え方)
② ボランティアサービスの提供と尾浜商店街を中心とするエリア内商店等での利用を可能とする。1おう=100円の価値と設定し、ボランティアサービス提供については、原則1人1時間1おうとする。(当事者間での話し合い)買い物については、「おう」で購入できる。(おつりも現金で出せる)
③ 円との互換性を持たせる。商店については、「おう」を円に変えること(現金化)を認める。ただし、交換率は95%とする。この交換率の設定は、「おう」を得た商店が、円に交換せずにさらに別の場面で使うことを誘導しようとするシステムである。地域内を「おう」がぐるぐる回ることをネライとしている。
現在では、概ね、1万枚~1万5千枚(100万円~150万円)の範囲で「おう」が流通している。
「おう」委員会事務局としては、地域内の様々な活動とリンクさせて、常に「おう」を発行する(販売する)ことと、「おう」が利用できるお店・サービス・ボランティアの拡大を図ることを目的に取り組まなければならない。地域諸団体が、地域活動参加者に対してのお礼などに「おう」を活用してもらうことや、地域内店舗・公共施設での利用拡大、「おう」ボランティアスタッフの登録など、地域ぐるみの協力体制がこのシステムの持続と発展のベースとなるものである。
「地域の活性化のために地域通貨を流通させる……」「地域通貨を流通させるためには地域ぐるみの取り組みが必要……」「地域ぐるみで取り組むためには目的と方法論の共有が必要……」というトライアングルの連関性の中での総合的運動が地域通貨の流通ということである。
地域通貨を発行すれば地域が活性化するという単純な構造ではない。地域通貨の持続・発展の可能性はこのトライアングルの連関性の中での総合的運動の組み立てという大変な作業をともなうものである。
「地域で住み働く人たちが互いに支えあい、コミュニティを形成し、統治する……そういう地域を自分たちでつくる……という目的が、地域通貨『おう』で表現されることによって地域の共通理解が容易になると考えられること」や「地域通貨の合理的性格」が、遅まきながら私たちに地域通貨を選択させた理由である。
(2) 私たちの活動はいまどういうレベルにあるのか
私たちは、地域通貨「おう」の発行から目標達成までの段階を5段階に分類し、現在の活動状況や地域の評価・理解・協働などの状況から、どの段階にあるかを自己点検しながらレベルアップを目指している。
私たちが定めた5段階とは次のようなものである。
第1段階 地域通貨の発行、基礎的システムの構築段階
第2段階 地域通貨の量的拡大と地域通貨を回転させるシステムの構築のための事業展開の段階
第3段階 地域通貨による地域支えあいシステムの構築にかかる戦略的事業が展開しうる段階
第4段階 地域支えあいシステムをコーディネートしうる機能・機関が形成される段階
第5段階 地域自治・地域支えあいシステムのベースとなる地域自治組織が形成され運営できる段階
5段階の指標を定めたのは2009年の3月のことであるが、今日時点での活動状況等は「第3段階に入ったところ」と分析している。詳しい分析結果は省略するが、「要介護・要支援高齢者在宅サポートシステム」が2年目の試行に入っていることや、地域イベントが、現在では、地域の諸団体による共同事業として取り組まれていること、地域団体等の連携がうまく機能しだしたことなどからの判断である。
私たちがこういう指標を定めたのは、もともと、地域活動や地域状況に関する指標が行政レベルに存在せず、そのことによって、地域コミュニティ施策や「協働」事業の点検・評価が全くあいまいとなっていることや、尼崎市のこの種の施策展開が抽象的で具体性にかけるという問題意識があったからである。
活動を始めて6年半、研究を始めて通算で8年余り、目標達成までまだまだ遠い。いまだ道半ばである。
3. 尼崎市域での地域通貨を提案する
(1) 尼崎市域内の経済循環を考え始めた尼崎市
尼崎市は、「行財政構造改革推進プラン」が2012年度に終了することから、2013年度をスタートとする新たな行財政改革計画の策定作業に入っている。その内容は、基本的にはこれまでのプランを引き継ぐものであるが、考え方において若干の変化が見られる。
1点目は、これまで5年であった計画年数を10年で設定しようとする考え方である。2点目は、尼崎市域内での経済循環の仕組みを取り入れようとしていることである。
これらの変化は、これまでの行政改革が尼崎市の財政規模の縮小一辺倒であり、その結果として、地域のコミュニティの衰退や、地域経済の疲弊化をもたらし、新たな活性化どころか市民も行政も共倒れの様相を呈してきていることに対する問題意識が行政内に芽生えてきたものと見ることができる。
このことは、私たちがずっと警告してきたことであるが、ここに至ってようやく行政内で議論されるようになってきた。遅きに失するとは思うがこの変化は歓迎すべきものであると考えた。
(2) 尼崎市域での地域通貨を提案する
2012年3月の予算議会で、尼崎市域内での経済循環の仕組みを考えるならば、その一つの方法として「尼崎地域における地域通貨のシステム導入の検討を行うべきではないか。」ということを提案した。システムは、私たちが地域で実験的に取り組んでいるシステムをそのまま適用できることを説明した。
システムの構築・運用の難しさや、法的にどうクリアするかという課題はあるが、少ない投資にもかかわらず投資効果は大変大きいものがあることを説明した。
当局は一応「研究する」ことを約束した。どこまで真剣かはわからないが足がかりにしたい。
(3) 実践があればこそ……
地域で実験的取り組みを進め、その状況についての情報発信を続けてきたことの効果がようやく尼崎市行政に現れ始めたのではないか……と感じている。
必ずしも、私たちの取り組みが順調に進んでいると胸を張れるものでもない。取り組む中で新たな難題に直面することも多い。冷ややかな反応がある一方で、地域で悪戦苦闘している私たちの姿をじっと注目してくれている多くの人たちがいることを実感している。
現在、「研究する」という当局答弁を足がかりに、私たちとの共同研究会を立ち上げたいと努力している。
私たちの実験的地域活動が尼崎市政とリンクし始めた。尼崎市という自治体を本当の意味で改革するスタート台に立った。 |