【要請レポート】

第34回兵庫自治研集会
第9分科会 農(林漁業)から考える地域づくり

 月日が経つのは本当に早く、2011年3月11日(金)の東日本大震災発生から、1年7か月を迎えました。本県宮城を初めとした被災地に対して、全国はもとより世界の各地から多くの励ましとお力を受けましたことに厚く御礼申し上げますと共に、勇気と希望を新たに復興への道を歩み始められたことを御報告申し上げます。



海・山・大地のめぐみと共存するムラをめざして


宮城県本部/自治労農業改良普及評議会・東北ブロック幹事 佐藤 郁子

1. 3・11東日本大震災のこと

 2011年3月11日午後2時46分に発生した地震により最大震度7(栗原市)、東北から北関東にまたがる広い範囲で震度6強の強い揺れを観測し、三陸沿岸では30m、仙台湾岸の砂浜海岸でも10mを超える大津波が発生し、沿岸地域に壊滅的な被害をもたらしました。
 巨大な津波の被害は、広範囲に及ぶ浸水(327km2)と強い流れにより沿岸の構造物や家屋の破壊と流出、海岸の浸食や堆積などによる地形変化、漂流物による二次的な被害、養殖施設や船舶の漂流、可燃物の流出と火災、道路や鉄道など交通網の分断、農業・漁業、製造業などの産業基盤の喪失等、想像を絶する甚大なものとなりました。
 漁船、水産加工設備、沿岸養殖場などの水産関連施設をはじめ、農地を含む農業関連施設や沿岸部に立地する様々な企業の関連施設など、沿岸部で行われてきた産業活動の全てが甚大な被害を受け、多くの人々が就労の場を失いました。
 人的被害の少なかった内陸部でも、住宅被害や宅地の崩壊、学校や商業施設等の建物被害、道路や公共交通機関網の分断、電力などのエネルギーの供給停止などにより、日常生活に大きな支障が生じたことをはじめ、東北地方を出入りする原材料、部品及び製品等の供給網が分断し、その影響が海外まで波及するなど、被害は多岐にかつ広範囲に及ぶものでした。
 また、住宅被害では、全壊・半壊家屋が23万棟を超え、地域によってはライフラインの復旧の目処が立たず、ピーク時には県内1,183箇所の避難所に32万人の被災者が避難を余儀なくされました。東京電力福島第一原子力発電所の施設被害は、被害の規模をさらに深刻なものとして、大地震、大津波、原発事故、風評被害などの複合被害に直面することになり、安心で安全な生活を迎える日がいつになるのか先行きが見えない状態が続いております。


2. 東日本大震災からの復旧

 あまりにも大きな被害を前にして茫然として立ち止まり、ともすれば心が挫けてしまいそうな県民とともに、一日も早く笑顔を取り戻して、生きる希望と明日への活力を失わないでいただきたいという切なる願い、そして何よりも「県民一丸となって復興に取り組む」という姿勢を早急に示して「今、何ができるのか。今、何をなすべきか。」の思いで1つ1つ進んでまいりました。
 まずは命と安全の確保に取り組み、落ち着きとともに復旧・復興に向かう業務の輪郭が見え始めたのは地震発生から3か月ほどたった頃と記憶しています。


3. そして復興

 「何から始めるべきか」「何が始まったか」
 農林水産業での復旧・復興への施策が初めに見えてきたのは公民を問わず漁業関係に対するもので、漁港の整備計画、冷蔵倉庫や船の提供という話題が先行いたしました。
 農業については、種をまいて育てるという作業が行われなければ収穫できないことにあわせて、農業用排水設備の壊滅的な被害で沿岸部の農地は雨が降れば水没して沼の状態となるなど、流入した瓦礫や倒木の撤去、農地基盤の再生が必要となっていました。
 中小企業、水産業に関する施設整備については、復旧・復興の事業をうまく活用することができれば自己負担額が事業費の6分の1という補助事業が打ち出されましたが、農業者への支援ははっきりとはしてきませんでした。


4. 雇用創出の名のもとに

 このような中、全国中小企業団体中央会を窓口にする10/10の国庫補助事業が公募されました。大きな財政出動による大盤振る舞いです。被災地で行うのならば誰でも(被災事業者でなくとも……本社がどこにあっても)実施できるというものでした。
【疑問】事業拡大を狙う被災していない企業が参入することは善なのか(本当の被災者支援とは)。
    被災者の雇用の機会が創出されれば良いのだろうか。被災者の望みはどこにあるのだろうか。生産の基盤を失った農林漁業者は、その多くが小さいながらも自営業者ではなかったのか。
【憂い】生業の喪失……地域に根差して地域とともに歩んできた事業者が経営から離れる。
    中央(本社)の利益のために事業展開する企業の拡大は果たして復興支援になるのか。
 また、今の国庫補助事業は精算払い……自己資金で立て替えて、事業実績報告を行い認定後に交付されるものです。
【疑問】体力(資金)のある順番に復旧するだろう。
    体力がなければ復旧(経営)を断念して職を変わることが求められる。


5. 被災者のくらしと仕事/農林漁業者への支援は

 水産業への支援が優先された。 → 沿岸部(漁業関係者)は全てが被災者であるから。
 農業関連の事業はなかなか出てこない。
  → 被災した農業者は一部である……市町村として見た場合……。
 農業者の声:何ができるのか。何をすればいいのか。【見えてこない】
 農業者の所得を補償するために打ち出された農地の除塩やがれき撤去に向けた交付金事業については、集落単位で復興組合を作り、集落単位での農地全体を復旧させるもので、農業従事者に対する労賃として支出するしくみでした。
 しかし、国から県に、県から市町村へ、市町村から集落へと伝わるうちにしくみの部分の説明は抜け落ちて、農業従事者に渡るべき補償が兼業者(農外就労者)の小遣い稼ぎになったり、土建業者の事業拡大に流れるものとなった集落を数多く目にいたしました。
 これは、市町村やJAの職員やわたくしたち普及指導員の数が減らし続けられてきたことと無関係ではないと考えます。
 市町村単位で見た時、その被害の大小には大きな違いがありました。沿岸部以外の農地では、例年のように田植が行われ、野菜も作られました。一方、沿岸部の農地は2~3年は作物を作ることができません。農業用施設や機械設備も失いました。
 復旧への投資はそのまま生産コストの上昇につながる一方で、商品の価格には転嫁できません。
  → 市場に出れば米は米、トマトはトマト
【疑問】格差の拡大
    これからはさらに拡大すると思われます。


6. 東日本大震災で見えてきた職員不足

 せっかくの支援策もその趣旨を理解して伝える市町村やJAの職員、普及指導員が少なく、手が回らなければ活用されずその成果もあらわれてはきません。支援事業の組み立てを解説して情報提供する人がいれば、効果的に事業推進できただろうにという思いが満ちてきます。
 職員の不足が住民サービスを低下させるのだということに、そろそろ気づいてもいい頃ではないでしょうか。


7. この際に……という考え方と被災者の望みは

 この際に農林漁業の規模を拡大して近代化を図ろうとの掛け声がきこえてきました。
 しかし、わたくしたち被災者は、東日本大震災前の生活を取り戻したいのです(心穏やかに地域での生活を営みたいのです)。あれは夢だったんだと思いたいのです。
 わたくしごとですが、夫は農業者でおいしいお米やとうもろこし、ミニトマトなどの野菜を出荷しておりました。田んぼや畑は仙台空港周辺だったために津波の被害(農業施設や機械ももちろん)を受けました。わが家は形は残り、2階部分は無事でしたが全壊と評価されました。
 わたくしは、もう一度農業生産にかかる資本を再整備したとしたならば、健全な農業経営を実現することはとても難しい、農業からの撤退という選択もあると夫に話しました。
 しかし、夫は「自分を頼りにして農地を託している集落の人はどうなるのだ」「自分の農地は自分で耕して農作物を生産したい」との思いでわたしの提案を却下いたしました。
 バブル全盛期に「お金儲けは悪いことですか」と言った人がいました。実態のないものに値段を付けて金儲けをする、右から左に動かすだけでお金を生むしくみには危うさを感じ、できることとやっていいことは別なものだという感想をもったことを思い出しました。地に足を付けて地のめぐみを生み出す農業者は、その対岸に位置するものかと考え思い直しました。


8. まとめにかえて

 「効率や利益ばかりを追求するのではない農業があるのではないか」「愛着という心地よい言葉があてはまる生活、農業があってもいいのではないか」「作りたいから作ったおいしいお米があっていいのではないか」「ひとりひとりのしあわせを考えるならば、夢への道はここにある」と考えることがそれぞれの地域に人々の生活が残り、海・山・大地のめぐみと共存するムラをめざして生業を大切にすることが豊かな国土が残っていくことに通じるものと信じて東日本大震災からの復興を共通の目標として参りますので、今後とも皆様のお力添えを願うものです。


東日本大震災からの復興状況(農業関係)