【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第9分科会 農(林漁業)から考える地域づくり

 『日本農業の危機』が叫ばれて久しい。輸入食材等との激しい価格競争は、経営規模の小さな我が国の生産者に厳しい現実をもたらし、生業への不安感から後継者は不足し、耕作放棄地の増加という地域の環境悪化を招く結果を生んでいる。
 市域の約8割を森林や農地が占める兵庫県豊岡市。コウノトリ野生復帰の経験から学んだ「コウノトリも暮らせるまちづくり」を推進する豊岡市の農業戦略について報告する。



豊岡市農業振興戦略
~コウノトリとの共生をめざす環境創造型農業の推進~

兵庫県本部/豊岡市職員労働組合 瀬崎 晃久

1. 現状と課題

(1) まちを見つめ直す ~日本最後のコウノトリ生息地「豊岡市」~
1960年 豊岡市出石川
 
   人工巣塔の下で農薬がまかれる

 兵庫県の北東部に位置する豊岡市。
 四方を山々に囲まれ、海抜の低い盆地が広がる中心部を一級河川円山川(まるやまがわ)が日本海へと注ぐ地形を有しています。
 かつてこの一帯には、水路と段差の少ない湿田が広がり、遊水地としての機能も果たす多様な水辺が点在し、人々のすぐ近くには多様な生きものとそれを餌とする多くのコウノトリが共存する暮らしがありました。
 先人達は、地域の豊かな自然から様々な恵みを受け、知恵と工夫を凝らしながら「自然と折り合いをつけた暮らし」をしてきました。
 高度経済成長期に入ると、日本全体で生産性を著しく重視した利益優先の経営が進み、農業においては機械化に適した大型で乾田化したほ場(田んぼ)の整備が各地で行われました。
 また効率的な生産のため、多くの化学肥料や農薬が散布され、「物」との引き換えに多くの生きものの「命」は姿を消していきました。
 そしてかつて日本の至るところで見られた「自然環境」は軽視され、自然(環境)と経済活動(暮らし)が分離した社会構造が生まれてしまいました。
 このような時代の中で、姿を消さざるを得なかった代表的な生きものが「コウノトリ」でした。
 1966年(昭和41年)豊岡市がコウノトリの日本最後の生息地となり、1971年(昭和46年)ついに日本国内で絶滅してしまいました。


(2) 自然と経済が分離した ~大切な何かを失った~
 高度経済成長は、かつての豊かな自然環境と引き換えに、私たちに便利で豊かな暮らしをもたらしました。
 国内外からの様々な食材、発達した交通網や物流体制、便利な家電品などの普及により、今の私たちの暮らしは支えられています。
 しかし、今の私たちの暮らしは「本当に豊か」なのでしょうか?
 厳しい国際競争により多くの産業経営は厳しさを増し、中でも農業への影響は大きく、「業(なりわい)」として成立しない実情は後継者不足を生み、都市部への人口流出とも相まって、農村の至るところでは耕作放棄地が増加しています。
 また、「食の安全」への不安も深刻な問題となっています。
 食品添加物等の過度な利用によるアレルギー問題や、利益のみを追求した結果、食品偽装事件という新たな犯罪を生む結果となってしまっています。
 豊かな自然環境を守り育て、共に暮らしてきた私たちの先人達。
 特に地方は活力を失い、まるで「そこに暮らす人々の誇り」をも失っていくかのようでした。


市内人口の推移(各年10月1日現在 国勢調査)
市内産業別就業者数(各年10月1日現在 国勢調査)

水浸しになった豊岡盆地

(3) 自然の猛威 ~台風23号で気付かされた~
 自然は私たちの暮らしに豊かな恵みをもたらしてくれています。
 しかし、時として猛威を振るい、圧倒的な力で理不尽に人々を苦しめることがあります。
 2004年(平成16年)、豊岡は台風23号により大きな被害を受けました。
 かつて豊岡の先人達は、浸水に備え石積みで住居をかさ上げしたり、水害に備え船を用意しておくなど、昔からの知恵を生かし、自然と折り合いをつけて暮らしてきました。
 私たちはいつの間にか、このような「自然に抱かれた暮らし」を忘れ、自然の力を軽視していたのかも知れません。


2. めざすまちの姿

(1) プロローグ ~豊岡市総合計画~
 2005年(平成17年)秋、日本の空から一度は姿を消したコウノトリが再び豊岡の空に羽ばたきました。
 この時、私たちは歓声と共に大空を見上げ、この風景をこれからも守り育てるためには、豊かな環境の創造を文化として暮らしの中に融け込ますことが不可欠であると確信しました。
 そこで、次の3項目をまちづくりの指針(基本姿勢)として定めました。

自然に抱かれて生きる
 
いまを大切にし、日々の暮らしを楽しむ
 
未来への責任を果す

 さらにめざすまちの将来像を『コウノトリ悠然と舞う ふるさと』とし、コウノトリをシンボルとした戦略的なまちづくりを展開することとしました。


豊岡市環境経済戦略(2007年策定)

(2) プロジェクト1 ~豊岡市環境経済戦略~
 私たちの暮らしは、様々な経済活動によって支えられています。
 経済を元気にすることで、企業活動は活発となり、人々の家計やまちの財政は健全に機能します。
 豊岡では、コウノトリ野生復帰の取り組みから『環境と経済は共鳴する』と言うことに気付きました。
 放鳥されたコウノトリを一目見ようと、国内外からたくさんの研究者や観光客が豊岡を訪れ、コウノトリの餌場を守る取り組みにより生まれた農産物は、市場で高い評価を受けるようになっています。
 これは環境を保全し、地域文化を継承する取り組みによって様々な経済効果が生まれる『環境と経済との共鳴』を意味しています。
 経済に裏打ちされることによって、環境への取り組みは持続し、さらに発展させることが出来る。
 豊岡は環境という資源を生かし、経済的な自立をめざします。


豊岡市農業振興戦略(2012年策定)

(3) プロジェクト2 ~豊岡市農業振興戦略~
 環境と経済との共鳴に気付かせてくれたのは、コウノトリ野生復帰を支える新たな農業への取り組みでした。
 コウノトリを絶滅に追いやった大きな原因である「農薬」や「化学肥料」に頼ることなく、カエルやドジョウといった田んぼに住む様々な生きものの命も育む環境創造型農業の推進は、多くの流通関係者や消費者に理解され、新たな豊岡農業の展開に大きな期待を広げています。
 コウノトリが住んでいることは、豊岡を際立たせる重要な強み(特色)です。
 この強みを生かし、豊岡の農業が活力を取り戻し、次代につながる持続性の高い農業となるようにしなければなりません。


3. 小さな世界都市の実現に向けて

(1) 環境創造型農業 ~コウノトリ育む農法の推進~
 この農法では、化学肥料は一切使用せず、農薬の使用も厳しく制限した栽培(慣行レベル75%以上低減)が行われています。
 また、冬期や早期に水を張り、深水管理で栽培される田んぼにはイトミミズやユスリカといった小さな生きものが活発に活動し、肥沃な土の層が形成されていきます。
 この層が苗の生育に必要な養分となり、また雑草を抑制する効果を生み、農薬や化学肥料に頼らないこの農法を支えています。
 カエルやドジョウといった多くの生きものに溢れた田んぼでは、カメムシなどの害虫をカエルが捕食し、そのカエルを餌としてコウノトリが舞い降りる食物連鎖が生じ、かつての豊岡の光景が戻りつつあります。
 「安全・安心で、美味しいお米とたくさんの生きものを同時に育む農法」。
 これがコウノトリ育む農法の定義です。


(2) 食べる健康 食べる貢献 ~消費者の支えあっての「生業」~
コウノトリ育む農法による水稲作付面積
 2003年(平成15年)、わずか0.7haの面積で始まったこの農法は、2011年(平成23年)には約234haに広がり、本市が推進する環境創造型農業のシンボル商品として、全国500を超える店舗で販売されています。
 農薬や化学肥料に頼らない分、農家の手間と情熱が掛かったこのお米は、一般米と比べ1.5倍程度の価格で取り引きされる「ブランド米」として、多くの消費者に支えられ、取り組みは進んでいます。
 「生物多様性の保全や自然環境を守るための取り組みが重要」。
 そう聞くと、とても大それたことのように聞こえますし、地方に暮らす人たちの問題で、都市部のみなさんに疎遠なように感じますが、決してそうではありません。
 このお米のように、環境に配慮した商品を購入することで、間接的に貢献活動に参加できるのです。
 このお米を購入し食べること。それが環境創造型農業を支え、地域の環境貢献になるのです。


(3) まとめ ~次世代への責任~
 2011年3月11日、東北地方太平洋沖を震源として東日本大震災が発生しました。
 この大震災は、多くの尊い命と財産を一瞬にして奪い、安全安心な暮らしを当たり前のように考えていた私たちに様々なことを強制的に気づかせています。
 農業や漁業といった地域資源を生かした一次産業は、貴重な食材を生み、それを食べることで私たちの命は育まれる。この営みは先代からずっと受け継がれてきました。
 私たちは、この自然循環の偉大さや大切さを今一度しっかりと見つめ直し、一次産業が単に産物を生むだけでなく、自然環境の保全と循環に重要な役割を担っていることを考え、守っていかなければなりません。
 そして、都市と農村の役割りを理解し、互いに協力し合い、次世代に引き継いでいかなければなりません。
 豊岡市では、コウノトリ野生復帰から学んだ「命への共感」をキーワードとし、環境創造型農業を柱として、都市部消費者との活発な交流を進めながら、持続可能な豊岡農業の確立に向け、挑戦を続けて行きます。