1. 近年の日ロ関係の流れ
ソ連の崩壊後1992年から開始された北方四島のビザなし交流、旧ソ連人の根室市内への立ち入り規制緩和に伴い、日ロ間の市民レベルの対話と相互理解が進み、かつてお互いが抱いていた敵対感情から次第に友好的なものへと変化していった。
1993年10月エリツィン大統領が日本を公式訪問、さらに2001年に日ロ両国はイルクーツク声明で「平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」と明記された1956年の日ソ共同宣言が交渉の出発点であることを確認するに至り、領土問題の解決に期待が集まったものの、その後交渉は進展がない状態が続いていた。
2010年11月13日、メドベージェフ大統領が旧ソ連・ロシアを通じての国家元首としては始めて北方領土の国後島を訪問したことに対し、日本の管首相が「受け入れられない」と抗議するが、大統領は「そこ(北方四島)はロシア領である」と反論、翌年2月7日に東京で開催された北方領土返還要求全国大会において、大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」と激しく非難したことで関係が冷え込んでいった。
2011年3月11日に発生した東日本大震災に対して、プーチン首相が対日支援策の検討を指示するとともに、ロシア国内では日本に対する救済運動が活発化し、通常は対日強硬論を唱え、日本の北方領土返還要求運動を非難しているサハリン州の団体も日本への援助の必要性を表明するなど、険悪した雰囲気に変化が訪れ、5月27日に管首相とメドベージェフ大統領が会談し「静かな環境」での領土交渉を継続することで一致した。
2011年11月12日就任間もない野田首相がメドベージェフ大統領と会談し「静かな環境」での領土交渉の継続をあらためて確認、翌年1月28日には玄葉外相とラブロフ外相が会談で領土問題を棚上げせず議論を進めることで一致、翌年3月1日にロシア大統領選挙直前のプーチン首相が日ソ共同宣下の有効性を認めた上で、領土問題解決に意欲を表明し「われわれに妥協が必要だ。それは『引き分け』のようなものだ」と発言し、大統領に復帰後6月18日の野田首相との初会談である日ロ首脳会談においては、北方領土交渉を「再活性化」し「静かな環境」の下で議論を進めることで一致した。
2. 急展開するロシア側の動き
2012年7月の上旬にメドベージェフ首相が極東地域訪問の際に、択捉島への訪問もする計画が報道され、日本の外務省筋は「わが国の立場と相いれないことはロシア政府も認識しているはず」「領土問題解決の良い流れが白紙に戻る可能性もある。とにかく残念」と日本側は強い不快感を示し、ロシア側の動向に警戒していた。
7月3日、悪天候を理由に択捉島への訪問は中止されるが、「政府の一員として訪問は極めて大事だ」とこだわりを見せたメドベージェフ首相は、突如予定を変更し国後島を強行訪問した。日本外務省はアファナシエフ駐日大使を呼び、遺憾を表明し抗議したが、大使は「ロシアのトップがどんな地域に行くかは彼らが決めること。われわれは日本との関係を発展させている」と発言している。
メドベージェフ首相は国後島での住民との対話で「北方四島はロシア固有の領土であり、一寸たりとも譲りはしない」と言明した。
3. ロシア側の行動に真意
ロシア側は領土問題の解決に前向きな発言をしながら、相反する行動をとっているのか理解に苦しむが、このようなことは過去何度も繰り返されている。ある日本人の新米ロシア語通訳が日ソ漁業交渉で通訳した時のエピソードにこのような話がある。ソ連側は日本側の漁獲を『コントロール』したいが、日本側の立場は『コントロール』されてはならないという状況だった。この交渉で日本側は『コントロール』という言葉は絶対に使ってはいけない立場をその新米が知らずにいて、日本側が懸命にこの単語を避けながら「あれはやってもよろしい、これをああしたい」とやり取りする状況を見て、要するに『コントロール』しても良いと言いたいのだろうと判断し、そのままその単語を使ったら、驚いたことにソ連側の交渉団代表が通訳に「君、そのコトバは使ってはいけないの」と言ってきたという。
「そのコトバを使わないために一生懸命に日ソ双方がすりあわせしてるのに、そのコトバを出しちゃオシマイだよ」とソ連側が伝えたというのである。
「われわれに妥協が必要だ。それは『引き分け』のようなものだ」との発言、「北方四島はロシア固有の領土であり、一寸たりとも譲りはしない」との発言は日本側の「北方領土は日本固有の領土」との立場を充分に承知した上で行われている。
ロシアは第2次世界大戦の結果、北方四島はロシア領となったとの立場は崩してはいない。日本側にとって北方領土問題での究極の解決方法は「ロシアは無条件で四島を日本側への返還し、ロシア住民は本国に引上げる」であり、ロシア側にとっては「日本は返還運動を止め、四島はロシア領であることを認め、今後も領有権を主張しない」ということになるのであろう。
このようなことを考えていくと、『引き分け』とは、ロシア領である四島だが日本の言い分も充分に理解出来る、今後の交渉でロシアの領土の一部を日本に分譲する、と理解するほうが正しいのではないか。
ただ、ロシア側も日本側の立場を理解し、最大限尊重する可能性は十分にあるとも思われる。
4. むすび
ロシア人の中でも、北方四島住民は概して早婚であり、十代で子どもがいるのは珍しいことではない。彼らの中には「祖父が育った土地」ではなく、もはや「曽祖父が育った土地」となりつつある。「ロシアは無条件で四島を日本側へ返還し、ロシア住民は本国に引上げる」との考えは到底現実的ではない。
日本側も、現在北方四島に暮らす住民を追い出すとは考えていない。四島の帰属をロシア側に認めてもらい、共存していくことが現実的な考えではないだろうか。
しかし今日の日本は政治的に非常に不安定な状況が続いており、強力な外交政策を推進して、現実的には北方四島を実効支配しているロシアと互角に渡り合えるのかは疑わしい。
根室市は「国境の街」と呼ばれることがあるが、実は北方四島と根室の間にはこれまでも国境は存在していない。いわゆる「マッカーサーライン」と呼ばれるものが、北海道と四島の間に引かれているが、これが日本とロシアの国の境目ではない。
国境がどこにあるかを日ロ間で早急に定めることが急務であるが、間違った引き方をすると、修正は不可能に近いと思われる。
釧根地方は日本で最も北方四島に近い区域であり、領土交渉の結果は住民生活に直結することになる。我々は国に対し先頭にたって粘り強い外交を進めることを訴えていかなければならないのではないか。
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