【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第10分科会 「地域力」「現場力」アップにむけた学び合い |
私たち大熊町、そして約11,000町民の福島原発事故による強制的かつ短時間の避難と混乱は、故郷との惜別、感傷さえも許さず、未だ、避難先で愛惜の故郷へ思い、帰還を待ち望んでいます。 |
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1. 大熊町の発足 (1) 発足までの経過 |
(2) 合併基本計画構想
① 1955年に大熊町は発足したが、先述の2つの問題が未解決であったため、「新市町村建設基本計画書」作成は1958年にずれ込み、その冒頭の「基本計画の構想」で、記載のような内容が示された。 このような合併計画書を見る限り、前途多難な合併であったことは推測できる。脆弱な財政基盤での町政運営、その負担や我慢は、町民が担わざるを得ない苦しい状況だったことも容易に想像できる。特に住民の雇用や税収基盤の安定をはかるための工場・事業所誘致は、当初から困難としていた。 ② その後の原発建設計画が、容易に進められた背景は、この構想からも読み取れ、特に出稼ぎを中心とした住民にとって、地元雇用の場が提供されることへの期待は高まった。 |
2. 原子力発電所の建設 (1) なぜ? 大熊町に原発が |
当時の地権者説明会のやり取りの要旨は、記載のとおりであるが、下線にあるように、既に一部の町民からは原発の安全性について疑問視する声もあった。 |
⑤ この用地買収費は、約320万m2の発電用地について約5億円、約8万m2の社宅地等で2,480万円だった。その用地内訳は、水田11町、畑32町4反、山林原野268町8反、その他1町8反だった。さらに、用地内にあった移転家屋11戸には、宅地込み総額1,500万円の移転補償金が支払われた。 |
【日本原子力産業会議の誘致に関する分析理由】
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(2) 原発建設 |
3. 原発がもたらしたもの (1) 産業構造の変化
(2) 危険性・犠牲の見返りの歳入
原発は、町財政を支える施設となっていた1972年1号機運転開始には149,820千円が調定され、以降4号機まで大規模償却資産が増額された。85年廃棄物処理設備、91年高温高圧処理設備、98年核燃料共用プール設置など新たな設備導入、また99年からシュラウドが3号機から順じ交換され、その都度調定額も増額された。 |
4. 大熊町の今、そして将来は このように原発は、私たち大熊町に経済的余裕をもたらし、高度経済成長期の日本を支える誇りも与えた。 |