【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第10分科会 「地域力」「現場力」アップにむけた学び合い

 それぞれに体験した3・11東日本大震災があった。今回の体験を活かし、今後予想される東海・東南海大地震に備えなくてはならない。学校に常にいて、学校の施設設備をよく知っている学校用務員が、学校教職員と自治体職員の立場から、児童生徒の安全を考え、地域住民の避難所となるケースも想定して、今のうちから対策を立てていくことは重要ではないか。この間の議論を踏まえていくつかの提言をあげた。



災害時の対応~学校用務員の果たす役割とは?
避難所となる学校に常駐する学校用務員からの提言

東京都本部/小金井市職員組合 島﨑 孝明(本部学校用務員部会長)

1. 2011・3・11、尋常ではない揺れを体験し、まず避難、そして校舎点検

(1) 学校では施設の被害は少なく、通常の訓練どおりに避難できた
 まず、今回の東日本大震災で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
 東京でも大きく揺れた、3月11日当日を振り返って考えてみたいと思います。
 私は勤務校の作業室で作業をしていました。尋常ではない揺れに別棟の作業室を飛び出し、4階建ての学校が崩れはしないかと駐車場から見上げました。
 少しすると揺れは収まり、副校長がいち早く校内放送で「机の下のもぐること、校庭にいる人は校庭の真ん中に避難すること」などの放送を入れていました。通常やっている避難訓練のとおり、慌てずに行えました。数回続いた揺れが収まり、子どもたちを下校させることになりました。
 私たちはヘルメットをかぶり、被害状況の確認のため学校内を巡回しました。プールの側溝の蓋が外壁近くまで流され、図書室の本が一部落下し、非常扉がいたるところで閉まっていましたが、それ以外に大きな被害はありませんでした。子どもたちにも怪我はありませんでしたが、ただ恐怖のあまり泣き出す子どもはたくさんいました。
 子どもたちを下校させてから、テレビやラジオで情報を得ながら、職員室で今後の対応を打ち合わせしました。電話がなかなかつながらず、市役所や教育委員会の対応がつかめませんでした。JR中央線は止まっていましたので、教職員はそれぞれどうやって帰るか話し合っていました。

(2) 市の災害対策本部、教育委員会が対応する前に学校独自の判断で動いた
 小金井市の災害対策本部の情報が学校に流れないことがわかりました。防災用ハンディ無線機はこちらから連絡を入れるか、対策本部が学校あてに流す情報のみが流れることになっていることが後日わかりました。
 市役所7階にある教育委員会ではロッカーや本棚の多くが転倒し、学校よりもパニックになっていたようです。フロアーごとに職員を統率する責任者がいなかったのです。訓練の大切さが痛感されました。
 学校では家に帰れない子どもが9時を過ぎても数人いました。市役所の総務課の職員と、防災倉庫から毛布を出しました。市の災害対策本部からの情報がない中で、校長を始めとした学校職員で独自の判断で動きました。
 私は10時過ぎに学校を後にしましたが、その後、市役所の会議室に入りきれない帰宅困難者を学校の会議室で受け入れ、校長はじめ教職員と数十人が翌朝まで泊まりました。
 電気、ガス、水道が通常通り使えたのが不幸中の幸いでした。電話がなかなか通じなかったのが一番の不便というところでした。


2. 被災地復興支援で感じたこと

(1) 福島県新地町の避難所となった公民館へ
 さて、私は新学期がスタートした4月11日から1週間、福島県に復興支援ボランティアに参加しました。県南部の新地町の避難所の運営を町役場職員に代わって行うという業務でした。津波の被害を目の前にし、驚愕し、被災地の苦労を肌身をもって体験してきました。
 福島県新地町(人口8,362人、被災状況は死者84人、行方不明者34人)には学校、保健センター、公民館の5箇所の避難所がありました。
 私は公民館担当になりました。公民館は新地町でも南部に当たり南相馬市との境にあり、津波の被害はほとんどなかった地区です。震災当初、地元の方たち200~300人が避難してきました。水は水道管が破裂し出なくなりましたが、幸いなことに電気とガスは奇跡的にこの周辺だけは使えたので、避難してきた人たちの食事は近所から持ち寄った食材で賄ったとのことです。
 地元の方たちは3日目ぐらいから徐々に自宅に戻っていき、10日目には避難所を閉所することになりました。
 ところが、原子力発電所の事故の関係で南相馬市や浪江町から避難をする方の受け入れ先となりました。毎日のように新たな避難者の受け入れと、避難先が決まって退出する人がいました。
 30人ぐらいの方が常時、避難所で生活をしていました。

(2) 地元コミュニティへ溶け込むことが活動の第一歩
 公民館には様々な人が訪れました。新地町役場の方だけでも総務課長や保健センターの職員、主管課の生涯学習課の課長補佐、またボランティアで清掃に入ってきていただいているNPO法人の方々、支援で巡回している医師や看護師、支援物資を持ってきた自衛隊と町役場の方、地元の支援物資を届けてくれる近所の方などいろいろな方が訪れていました。
 仕事自体は決まったものはありませんでした。まずは公民館に見えられた方に自己紹介し、溶け込むことが第一歩で、あとは何でもやりますという気持ちで対応しました。どこの方が、どのような用件で見えられたのか把握するだけでも大変でしたが、徐々に慣れていきました。
 夕飯は役場の職員の方が、自衛隊の作ったものを持ってきてくれました。夜は役場の職員が当番制で泊まることになっていたのです。昼、役場の仕事をしてから夜は避難所に泊まるのです。
 夜、役場の職員の方と話しをしました。建てたばかりの家が流され2階部分だけが遠く離れたところにポツンと建っていた話や、道一本で運命が大きく変わった話、肉親を津波に流され助けられなかったという話など悲惨な話をたくさん聞きました。
 就寝時間は午後10時で、10時半には消灯していました。朝は避難者の方が4時ぐらいから調理実習室で調理を始めていました。起床時間は特に決まっていませんが、6時ぐらいから皆さん朝食をとっていました。わたしもご馳走になってしまいました。
 避難者の多くの方は昼間仕事に行っていましたし、小学生、中学生は避難所の近くの学校に編入して、学校に通っていたので、昼間はお母さんと未就学児がいるだけで、のどかな雰囲気になります。
 町営運動場に仮設住宅を急ピッチで建設中で、4月下旬か5月上旬から順次入居できるようになり、400戸完成するのが8月目途だと言っていました。津波に流された地区はまず、堤防を建築してもらわないと高潮でも浸水してしまうような状況で、戻りたくても戻れないと言っていました。
 確実に復興しているとはいえ、進行状況が見える部分と一向に進まない部分がありました。そして原発の影響がどうなるか、見えない敵と戦わざるを得ないというのが地元の人たちが一番不安に感じているところでした。
 しかし、地元で生まれ、地元で育ち、地元を愛している人たちでした。多少、放射線が高くても新地町を離れる人はほとんどいなかったのではないでしょうか。
 私たちも息の長い、様々な支援を続けていかなくてはいけないと感じました。


(3) 東京へ帰ってきて
 翌週、東京に帰ってきて、朝礼で子どもたちに福島での話をする機会を副校長がつくってくれました。小学生に「福島ではこの校舎と同じぐらいの高さの津波が隣の駅ぐらいの距離から襲ってきたんだよ」と津波の怖さと、避難所での生活の話をしました。そして現地からのレポートと写真を職員室前の廊下に掲示してもらいました。
 これらのことを通じて、いつか来るであろう東海・東南海地震のことを想定して、今後改善していくべき、取り組むべき課題について考えました。
 「喉もと過ぎれば……」にはすることなく、「備えあれば憂いなし」にするため、着実に一つ一つ取り組めればと思います。

3. 学校が避難所になることを踏まえて

(1) マニュアルは必要だが、実際にはマニュアル通りにならないことも想定して
 地震等の災害発生時、学校用務員として何をするべきか?
 まずは、学校職員の1人として児童生徒の安全確保が第一になってきます。そのためには校内で、自分の役割分担が明確になっている必要があります。
 私の学校の防災体制のマニュアルでは、震度5以上の地震が発生した場合、校長をトップに副校長、教務主任、生活指導主任、用務主事で対策本部を設置することになっています。
 地震発生直後は各自が自己判断の中で動かざるを得ませんが、被害の状況等に応じて柔軟に対応することが可能な応急的指揮システムの整備を学校防災体制マニュアルで図る必要があります。
 例えば、マニュアルでは副校長が地震発生後、すぐに校内放送を入れて、児童生徒に安全な態勢を取らせ、その後、担任が誘導して校庭に避難ということになっていますが、副校長が不在の場合は放送機器にいちばん近い事務職員が対応しなくてはなりません。このように、マニュアルは必要ですが、実際にはマニュアル通りになることの方が少ないのであり、そのことを想定して対応していくことが必要です。
 次に学校用務員として「学校の施設・整備の被害状況の点検」があげられます。二次災害の発生を防止し、早急に学校教育活動を再開するため、施設・設備の被害状況を点検し、危険箇所については立入禁止の張り紙やロープを張る等の措置を講ずる必要があります。日常的に点検しているからこそ気付く異状が発見できます。
 避難所の運営に関しても、学校用務員の具体的な役割をあらかじめ明確にしておかなければなりません。特に避難所に災害本部が設置されるまでの初動体制時が一番の混乱期であり、柔軟な対応が求められます。
 災害時は、学校の隅々まで知っている学校用務員だからこそ出来る、学校用務員でなければ出来ない対応がたくさん生じると思います。そして、そこには学校用務員としての存在意義も明確に現れてくると思います。
 文部科学省では東日本大震災以前から学校の防災体制について指針をまとめています。
 参考URLは【http://www.mext.go.jp/a_menu/shisetu/bousai/06051221.htm】です。参考にしてください。

(2) 校舎の耐震化を進め、非構造部材の点検と耐震化を進めよう
 文部科学省は全国の公立小中学校の校舎、体育館の約13万棟のうち、校舎等の耐震化率は80.3%で、耐震化率が100%を達成している自治体は545になり、全体の32.8%になった。一方で、耐震化率がいまだ50%未満の自治体は99あり全体の6%になっている。
 また、今年度初めて天井材、照明器具、窓ガラス、外装材、内装材、設備機器、家具等の非構造部材に関して、耐震点検及び耐震対策の実施状況を調査した結果、耐震点検の実施率は65.3%、耐震対策の実施率は45.4%になったと公表しました。
 財政難が続く自治体の中で、校舎や非構造部材の耐震化の優先順位を、どれだけ上位に持っていけるのか、労働組合としての発信も必要ではないかと考えます。
 そして、改修工事の前に行う非構造部材の耐震点検は、①学校の教職員が行う、②設置者である自治体が行う、③建築技術専門家が行う、となっています。
 学校の教職員で点検を行う場合は、多忙な学校通常業務に新たに組み込むのではなく、学校保健安全法第27条ならびに同法施行規則第28条に基づき行われているはずであり、毎学期1回以上の安全点検に、非構造部材の耐震化の視点も組み込んで行うべきです。
 点検後の事後対応においては、学校内で対応可能なものは早急に対応すべきであり、例えば家具の固定などは用務員の業務になってくることが十分考えられます。
 学校施設は児童の活動の場であるとともに、災害時には避難所となることから、その安全性は極めて重要です。大規模な地震に備え、校舎の耐震化と非構造部材の点検を進めていきましょう。

4. 学校用務員からの提言

(1) 学校用務員が集まる会議では震災をテーマに様々な意見が出た
 東日本大震災後、現業の集会や会議で職種別に集まる機会があり、何度となく、震災当日どのような対応をしたかや、今後どうすべきかについて話し合いをしました。
 そのなかでは「学校職員としての災害対応マニュアルが必要」、「マニュアルの策定にあたっては現場職員として意見反映を行っていきたい」、「今まで教員が中心であり校内の防災訓練にも参加していなかったが参加すべきと感じた」、「緊急時の地域との連携が絶対に必要。自治会やPTAの代表者にカギを預けることも必要では」、「地域の防災訓練にも参加していきたい」、「学校用務員が敷地内だけではなく、通学路の安全点検も行っている市町村もあり、参考になった」、「自校周辺のハザードマップ作成にも挑戦したい」、「携帯電話が使えない状態での連絡体制を考えておく必要がある」、「帰宅難民ということがあったように避難所に集まるのは地域住民だけではない。『避難所開設中』の看板設置など、誰が見ても分る対応が必要」、「『防災士』と言う資格があるようだが、取得していっては」、「防災倉庫の定期点検は、学校用務が行っていきたい」などなど、様々な意見が出ました。

(2) 今回の自治研を期に考えたい地域コミュニティと用務員の存在
 今自治研では「共同性」「地域性」「つながり性」をキーワードに、地域のコミュニティの重要性を再確認することがメインテーマになっています。
 東日本大震災の経験から、復旧・復興過程ではコミュニティの継続性がたいへん重要であると指摘されています。しかし、コミュニティの維持・発展は、災害からの復旧・復興過程だけでなく、平常時から重視されるべき課題であり、平常時からのコミュニティの維持・発展が、災害時の救援活動や避難所運営を支えることになると、自治研集会への参加呼びかけにもありました。
 地域全体で「自分たちのまちづくり」に活かすため、普段から住民とのコミュニケーションをとり、地域のコミュニティと行政を結びつける「コーディネーター」として、地域の問題に取り組んでいかなければなりません。
 学校用務員は学校の中で副校長や事務職員とともに、保護者や地域の人たちとをつなぐことのできる立ち位置にいます。
 地域コミュニティは地域の特性に応じてつくられるべきであり、自治会単位であったり、もう少し広くなると小学校区単位であったりします。
 防災と地域コミュニティを考えた場合、学校が地域の避難所になっていることを考えると、学校区を単位とした地域コミュニティとその学校の教職員や用務員は大きくかかわってくるといえます。

(3) 最後に、大震災にかかわる学校用務員からの10の提言
 震災対応については地域によって進んでいる地域、遅れている地域、また住民ニーズの違いなどもあると思います。ここでは私の学校、地域、自治体での状況から提言を10項目まとめました。
① 学校防災マニュアルを地域の意見も聞きながら整備していくべき。
② 学校が避難所になった想定で、マニュアルにもとづき学校区ごとに地域の団体が主体となって、教職員も参加して、防災訓練を定期的に行うべき。
③ 非構造部材の点検を進め、児童生徒の安全確保を図るとともに、避難所となった場合の安全を確保していくべき。学校としても家具などの耐震固定をすべき。
④ 震災時に避難所として地域住民を受け入れるかどうかの判断基準とその時の教職員の初動の確認をすべき。
⑤ 役所、災害対策本部からの指揮命令がきちんと伝達されるようにすべき。(再確認)
⑥ 市災害対策本部の情報が学校にも流れるような無線システムにするべき。
⑦ 発電設備、衛星携帯電話、飲み水濾過機、プールの水を利用したトイレなど施設・設備の整備をすべき。
⑧ 学校を避難所とした場合、帰宅困難者と地域の避難者とのすみわけをすべき。
⑨ 携帯電話が使える状況では夜間休日の緊急連絡体制を確立すべき。
⑩ 学校には緊急地震速報が自動で校内放送されるようにすべき。