【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第10分科会 「地域力」「現場力」アップにむけた学び合い

 東日本大震災で被災した学校では、8月まで給食の提供もできないという状況のなか、勤務する小学校と被災地の小学校の手紙を通じた交流をはかった。また、炊き出しボランティアの経験をとおして、「たべること」で心が和み、満足感にあふれ、警戒心もなくなり、そしてなによりも被災地の人々が笑顔になれる瞬間を見たことで、「たべることの大切さ」「学校給食」の重要性を改めて実感したレポート。



たべることの大切さ


京都府本部/京都市学校給食職員労働組合・執行委員長 松田百合子

 東日本大震災・福島原発事故から一年が経ちましたが、被災された方の生活は、依然として改善されず厳しい暮らしを強いられています。
 3月11日の震災の後、すぐに私は仙台にいる友達(仙台市職の給食調理員)に連絡をしたのですが繋がらず、1週間たってやっと連絡が取れました。話によると、学校は水で2階までつかり、何か月も後かたづけをして、8月頃にやっと簡単な給食が出せるようになったそうです。
 そんななか、私が勤務している翔鸞小学校の、当時4年生の子どもたちに、仙台の被災した学校に手紙を書こうと提案したところ、担任の先生・学校長も快く賛成してくれました。
 その手紙を、いつ着くかわからない、仙台にいる友達の所に送りました。その手紙は、仙台の教育委員会を通して荒浜小学校へ渡りました。
 それから半年が経とうとしたころ、荒浜小学校の子どもたちから返事がきました。それは「僕たちはバスで40分かけて隣町の学校まで行き、勉強しています」との返事でした。

 そんな中、私も昨年の12月に、大都市共闘教育部会で仙台に行くことがあり、被災地・仮設住宅で生活されている地城へ行き、炊き出しをしてきました。
 まず、はじめに言われたことが、震災の話はしないでくださいでした、「なぜ?」と思いました。それは震災のことがトラウマになっていて、泣く子もいるのと、夜寝られなくなり精神的に不安になる事があるので……」という事でした。
 炊き出しをして、みんなが食べている姿、特に「子どもたち」が食べている姿を見て思ったことは、人間として、生まれてから最後まで、食べているときが、一番、心が和み、満足感にあふれ、警戒心もなくなり、そしてなによりも笑顔になれる瞬間だと思いました。

 震災で被災した学校では、給食を提供できるまでに5か月~半年もかかり、始めは「パンと牛乳」だけといった簡単な給食だったそうです。それでもみんなで食べる給食は、笑顔があり、笑い声があり。簡易給食であっても、子どもたちにとって食べていくことがどんなに大切なことかということを切実に感じました。

 2010年3月に、文部科学省から出された「食に関する指導」の中で、給食は生きた教材として活用するとあります。
 私たち学校職場で働く調理員は、未来ある子どものために、食べることの大切さ・食べられることの有難さ、そして、感謝するきもちを子どもたちに伝え、共に学んでいきたいと思います。