【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第10分科会 「地域力」「現場力」アップにむけた学び合い |
浜田川暗渠問題を皮切りに、組合組織内にも、環境についての取り組みが話し合われ、地域とともに自然を守る取り組みが始まった。地域の子どもたちとの清掃活動を通じて、川はごみ捨て場なの? なぜ川に捨てるの? 魚さんがかわいそうとか、自然に対する言葉が素直に出てくる。20年続く都会の真ん中の小さな浜田川水路を守る取り組みが、地域の子どもたちに感動を与え、環境に対する関心を高めている。 |
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1. はじめに 尼崎市は、兵庫県の南東端に位置する。南は大阪湾に面し、西は西宮市、北は伊丹市、北東は豊中市、東は大阪市(西淀川区及び淀川区)に接しており、市域は大阪平野に含まれる。兵庫県下第4位の規模の人口(かつては県下2位であったが、人口減により姫路市および西宮市に抜かれた。後述)を有しており中核市の指定を受けている。公害問題を抱えていた歴史から中核市指定以前から保健所政令市に指定されている。 2. 尼崎市の河川・淀川水系(一級水系) 神崎川 猪名川 藻川 左門殿川(さもんどがわ)中島川・庄下川(しょうげがわ)東富松川(庄下川上流部) 富松川 昆陽川 上坂部川 伊丹川 武庫川(二級水系) 六樋(武庫川の水を農業用水路に引くための取水口、六つの用水路に分かれる) 蓬川(よもがわ、二級水系)浜田川 とたくさんの川に囲まれた町である。 3. 「公害のまち」尼崎 高度経済成長とともに工業の町として、発展してきた「尼崎」、人口の過密と工業化と開発による自然破壊、工業排水と生活排水等による水質を汚濁し、生活環境の悪化とすすんできた。行政は、公害のまちから脱却すべく、自然環境の破壊を再生するために新たな自然破壊を考え出したのである。ドブ川に蓋をして、なにもかも見えなくなり、本当の自然など今後取り戻すことが出来なくなる。全国からの、「尼は公害のまち」といったイメージを払拭するにも地域からの取り組みも含めて取り組むべきである。尼崎は、1985年「尼崎市都市美形成条例」の制定・基本計画が制定される一方で、1983年「水のあるまちづくり構想」の提案に基づき、1986年に基本計画が制定された。「水のあるまちづくり構想」は、市民の身近な生活の場に水を戻し、都市、地域のイメージを変える、自然的環境を創造する歴史的遺産として次世代に継承することとしたい。また、尼崎市は、文化・芸能のまちでもある、近松門左衛門・尼子騒兵衛・桂米朝・江夏豊・ダウンタウンなどの顔ぶれが有名である。 4. 浜田川 正しくは浜田排水路(全長5,740m・川幅平均8m)といい、水源は武庫川の六樋で、下流は蓬川につながっている。古くから農業用水路として活用されてきたが、近年、住宅の増加、工場の進出により無秩序に生活雑排水や工場の廃液が流されたため、一時は汚染のされた川となってしまったその後、浜田川を暗渠化(1989年)が計画され、約840mを治水面での安全性の確保と景観面で水と緑の空間の創出が整合する二層構造の施設整備を計画、「下層部は水路としての治水上の機能を持たせ上層部は人口のせせらぎ、滝、あずまや、橋、植栽を作り出すという計画だ。しかしながら、①水生生物の生息環境の破壊 ②親水生の問題が指摘され、暗渠化反対のたたかいとなった。自然を破壊され、人工的な自然にすりかえる手法は人間が居住空間を作り出す勝手な形である、山を削り、池を埋め、住宅を建てるそれが人間にとって生活しやすくなるのだろうか。汚くなったドブ川を安易に隠せばよいとの計画は私たちの反対により計画縮小ではあるが一定の成果を得た。 |
5. アースデイの取り組み 1992年5月より、アースデイの取り組みをはじめた。地域の子どもたちと一緒に清掃活動のスタ-トをする。 |
6. 浜田川清掃活動 浜田川暗渠問題を皮切りに、組合組織内にも、環境についての取り組みが話し合われた。 |
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*取り組みを始めた当時のごみのデーターです。特に缶類の数が多くなっているのが特徴です。 |