【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第10分科会 「地域力」「現場力」アップにむけた学び合い |
我々は“自治の基盤なくして分権の成功なし”というスローガンを掲げ、2000年秋から、中間支援組織として、特に基礎自治体独自の「住民自治」の在り方を研究・調査し、その支援の在り方を探ってきた。本レポートは、香川県で最も早くに合併をし、厳しい財政を抱えながら、合併10年目を迎える「さぬき市」における現状と課題を踏まえつつ、中間支援活動の一環として行った住民自治の基盤形成のための意識調査の報告である。 |
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1. さぬき市の現状
さぬき市は、2002(平成14)年4月1日、香川県大川郡の津田町、大川町、志度町、寒川町および長尾町の5町が合併して成立した市であり、面積158.89km2、人口は52,538人、世帯数は20,277世帯(2012年6月30日現在)である。高齢者人口は15,232人で高齢化率18.8%、団塊の世代がすべて65歳以上となる2015年には33.2%となる。人口増減少率は-11.1%、内、自然増減率-6.8%、社会増減率は-4.4%(2010年10月1日現在)となっている。 地理的位置づけとしては、香川県庁所在地の高松市から東へ約15㎞に位置しており、北には瀬戸内海を隔てて小豆島がある。讃岐山地から北東へ向かって津田川が津田湾へ、鴨部川が鴨庄湾へと流れているふたつの河川の流域にほとんどの町が存在する南北に長い市である。 特色としては、四国八十八カ所の最終コースである86番から88番までの寺があり、結願寺である大窪寺には国内外から毎年多くの遍路客が足を運び、市内各地には縄文時代の遺跡や多数の古墳群が残っている。その中でも富田中・富田茶臼山古墳は総長163mで四国最大の前方後円墳であり国の史跡にも指定されており、平賀源内の生誕の地としても知られる歴史的資源の多い町である。 産業については、典型的な農漁業中心の町であり、農業は水稲、野菜、果樹、畜産などを組み合わせた複合農業が行われており、漁業は、ハマチ、鯛、カンパチ、牡蠣、海苔などの栽培漁業が営まれている。また、かつて「さぬき三白」と呼ばれたこの地域で作られる砂糖は、日本一の砂糖だと言われ献上品として用いられていた。東讃地域で今も作られているサトウキビを原材料としたこの砂糖は、現在でもお茶席や和菓子材料、また土産物として高い評価を得ている。 さぬき市は、面積、人口、財政規模のいずれも決して大きくはない。殊に財政については、実質公債比率が、2008年度には23.4%にも上り、財政健全化に向けた努力を続ける中、いくらかの改善を見てはいるが、未だ20%を超えている県内で最も財政の厳しい基礎自治体である。しかし、全体的には、こうした歴史的資源や恵まれた自然に育まれ、バランスの良い様々な資源を有した“田舎の良い町”である これまでのような市場万能主義の社会構造の中では、競争力に欠け、華々しい投資効果を期待する材料も不足してきたが、逆にこうしたことが、現在のさぬき市が持つ独自の歴史・文化遺産や自然の維持・温存につながっている。我々は、これからの日本の足場となる地域には、これらの歴史的資産や自然環境の残存の有無と、こうした地域の歴史や地域資源に関する市民の意識が、未来の自治の行く末を導いていく重要な要素であること、また、さぬき市の今後の自治の成熟と確立による基盤形成を考える時、このことが極めて重要な意味を持つと考えている。 (2) 住民自治の現状と課題 我々が、新たな住民自治の構造を描く時、これまでの歴史的経緯の中での我が国の地域共同体の変遷を紐解き、さらに市場万能主義に溺れ、すべてのセクターが私益の追求を第一義とし、一見、個々の生活や生き様の自由で多様なあり方を喚起するかのように見えて、その実、マスコミの誘導で踊らされた没個性型の人間が溢れている現状を顧みておく必要がある。我が国の地方におけるまちづくり政策は、これまで、大企業の支店、分工場誘致、大規模な観光集客モデル、欧米や首都圏等大都市を真似た中心市街地モデルを、地域の歴史や文化、風土や生活ニーズと無関係に、あらゆる地方都市に一律に適用しようとした。これは、さぬき市においても例外ではなく、県内で最も早くに合併した目的も、自治の基盤を揺るぎないものにしていく「適正」な基礎自治体の規模に整えていくということではなく、むしろ、合併特例債などによる一見発展的成果に見えるインフラ整備や公共施設の増設・新設、そして、面積や人口、全体財源の「量的拡大」が自治体の利益に繋がるという、安易な中央政府の合理的統治構造改革に関わる政策理論の中から生まれた発想に同調しただけのもののように思われてならない。 戦後、焼け野原となった、かつ、資源に乏しいこの国を、徹底した中央集権型の国家戦略的政策を駆使し、経済的発展を優先的に指向する中で、世界の先進国を標榜するまでに変貌させた成果は、かつて世界中を驚かせたが、そのプロセスは、一方で、日本の地域社会が持っていた、何にも代えがたい自らの歴史や文化、独自の風土という、地域のアイデンティティを時代の流れの中に打ち捨ててきた歴史であったとも言えるだろう。 鳩山内閣は、「地域主権」の確立を鳩山内閣の「一丁目一番地」だと称し、当時、内閣府特命担当大臣(地域主権推進)であった原口一博氏は「地域のことは地域に住む住民が責任を持って自らの決断で地域を作っていく。民主主義の基本に立って、『地域から自由を』、『自らの生活の安定を』、そして『富の創造を』目指し、これまでの枠組みそのものを変革していく」と語った。 しかし、その戦略の構図に示された自治の根幹である「住民自治」の基盤となる地域共同体はすでに崩壊しており、再構築を試みるための、かつて「核」となった農作業の共同や神社や寺院の祭りなどその維持すら困難となっているところも多く、個人の生活の多様化の中では、近隣に居住しているだけで確立される「共通の文化や言語」すら怪しくなってきている。こうした中で、住民生活の持続的基盤形成のために必要な「適正」な基礎自治体の機能を軸足とした規模を測ることは極めて難しく、その適正を測る基準も手順すら、未だ定かに見えては来ない。地方自治の現場は、まるで霧の中に浮かぶ迷い舟のようだ。 国家形成の歴史に於いては、大きく分けて、ヨーロッパ諸国に見るような、王政による領土と人口、財力の拡大のための王権による「政府統治」から、住民自治機構の「枠組み」や「箱」が形作られ、その「枠」と「箱」の中で国民共同体が形成されていくという、いわゆる政府主導型から国民共同体が確立していくプロセスと、「食料採集段階→農耕社会の段階→王権の成立」というプロセスの中で、住民主導型の共同体形成から逆に国家、政府が成立していくプロセスの二つに分類される。 米国ジョン・ホプキンス大学のレスター・M・サラモンは、その著書『米国の「非営利セクター」入門』(入山映訳、ダイヤモンド社1994.3刊 AMERICAS NONPROFIT SECTOR,by Lester M.Salamon)の中で、その存在理由について、歴史的観点から「国家以前に社会は存在していた」とし、さらに「言葉を換えれば、政府機構あるいは政府機関が住民共通の問題に対処する立場につく以前に、コミュニティはもう形成されていた」と語っている。ここでいうコミュニティ=共同体がどういったものを定義しているかは定かではないが、少なくとも我が国の歴史に於いては、この理論は当てはまると思われる。日本は、かつて農業を中心的生活基盤ととらえ、その社会構造を確立してきた国である。日本だけでなく、アジアの農耕民族は、そして、原始的地域共同体は、こうした生活基盤の安定のための地域住民の知恵と必然性から生まれてきた。ひとり、または個々の世帯では多大な労力と期間を要し、かつ、不安定な作業を、小さな集落の中で助け合う「結」や「もやい」「講」あるいはこうしたものが出来る以前に生まれていたそれに類する作業共同体の構造は、我が国の住民自治の原型でもある。そこには、必然があり、自然な生活ニーズに沿った「住民自治」の姿があった。そして、さぬき市には、まだこのような「共同体」の歴史の名残があるのだが、しかし、高齢化が進み、年齢層が若くなればなるほど、わが町意識が希薄になっていく現状の中、自治会や婦人会、子ども会などの地縁組織の組織率も、都市圏ほどではないにせよ徐々に低下し、さらに合併によって住民自治と対を成す「自治体」が地域集落から遠ざかったことで、現存する共同体を支援する機能も住民生活から乖離し、かつ、「地方政府→地域内分権→共同体の確立」という構図を構築するための分権の受け皿となる組織基盤もない。 持続可能な地域社会の創造と、それを基盤とした世界から尊敬と信用をかちとる新たな国家形成のためには、これまでに失われた個々の地域住民の人間性や個性を取り戻し、主権者としての誇りと尊厳を培っていく必要がある。さらに、今に残された地域独自の文化と歴史を、この時代と空間の中で繋ぎ、かつ、育み、次の世代に引き継いでいく責任を担う「市民」としての成熟を育む土壌を耕していかねばならない。そして、それは住民の意識の中から見出すよりないと我々は考えた。 そして、さぬき市の合併協議会の議論が問われる中、当時、さぬき市職労の井出委員長は、合併はまちづくりのひとつの手段に過ぎず、目的ではないことを訴え、かけこみ合併に注意喚起を行い、合併を安易に受け止めず、早くから手を打ち、住民とともに対応していくことが大切だと語った。そして、合併による国の支援策が尽きる10年目を迎えた今日、その言葉が、現在のさぬき市の課題に重く重なってくる。 2. さぬき市の課題と今後の支援の在り方
(1) 調査の背景と経過 さぬき市の総合計画に示されている事業の中で、地域住民が最も必要と感じている事業は図2に示すとおり、 ① 安心快適なまちづくりに関する事業 ② 自然環境保全に関する事業 ③ 産業基盤整備に関する事業 ④ 健康福祉のまちづくりに関する事業 ⑤ 市民が主役のまちづくりに関する事業 という順位である。 そして、以下は、調査結果から、さぬき市民の「公益事業の担い手」に関する意識を図と表で示したものである。
さぬき市民の自治形成に向けて、この町の住民には、共同体として依って立つ「歴史・文化的資源への誇り」がある、という結果だ。さぬき市の住民への共同体形成の核は、こうした住民の地域の歴史や文化に対する「誇り」意識構造を足場にした成熟への誘いが効果的だと考える。 さらに、図2-2は、各セクターが担うべき事業の上位1位を並べたものであるが、回答者の行政と住民、企業セクターとの役割認識についての意識は、極めて正当であると思われる。 自由回答を含めた意見からも、産業基盤整備は行政が行うべきであるが、商店街活性化は商店街に属する事業者が自ら行うべき事業であり、福祉ネットワーク形成のようなコーディネート機能を必要とする事業は、企業でも地域コミュニティでもなく、行政とNPO、社会福祉協議会等が行うべきであり、地域コミュニティの形成に関しては地域住民自身が担うべきであるという答えが明確に示されている。 さぬき市民の意識の中での行政の役割は、主に安心・安全、かつ、最低限の健康な生活を送るための公共サービス部分であり、かつ、自然豊かな環境や歴史・文化を保護し守るための社会資本の整備こそが、その役割であるという認識があるようだ。 しかし、こうした健全な回答を寄せながら、では、現在、住民自治活動や市民活動に参加しているか、という質問についての回答は下図のようになる。 図4は、市民活動を行っていないと答えた住民に対し、機会があれば地域活動をしたいかどうかを聞いたものである。 興味があるものであれば参加してもいいという答えが26.6%、時間があるときなら参加してもいいという答えが16.9%、誰かと一緒ならという答えが10.8%となっている。 いずれもかなり消極的な答えだが、誘い方によっては、現在、何もしていない住民の内の5割以上の参加が期待できるということになる。そして、この結果から、その背中を押すための支援に必要なものは何か、ということが次の課題となる。 まず、興味があるものならと答えた層については「情報提供の質」が、時間があればと答えた層には「情報提供の密度」が各々必要であり、そして、知り合いとならと答えた層については、答えた人物の言う“知り合い”の質によって、恒常的に知り合いとの関係性の中で活動が行える、活動基盤としての「地縁共同体=地域コミュニティ」またはテーマ別の「興味共同体=インタレストコミュニティ」という「活動の器づくり」が必要となる。 そして、難しいという答えの内、高齢や障害を理由にしたものが30%を超えているのは、グループ・インタビューの際の高齢・少子化による「学校」「祭り」などの身近な拠点の消滅と深く関連する。 住民自治の基盤形成を行うとき、地域住民の意識の所在やメンタリティ、生活状況をしっかりと押さえたコーディネートやマッチングを行うことは極めて重要である。こうした社会調査は、出来る限り、ミスマッチを起こさないために重要な意味を持つ。本調査に於いても、グループ・インタビューという質的調査と、アンケートという量的調査の双方を用いる事で、地域社会の特性に応じたコミュニティの姿が次第に浮き上ってきた。 また、本調査では、地域別、年齢別、生活状況別の事業ニーズと参加意識の分析も行っており、その結果は、合併して10年を経過してもまだ、ひとつの市としてまとまったモデルを構築することは不可能だという現実を示してくれる。これは、東京や大阪、神戸等の都会の成功モデルを香川に持ってきても、土地の面積や人口規模、産業基盤、歴史も文化もすべてが異なるこの県には、なにひとつ役に立たなかったという中央集権型のまちづくりモデルの失敗を、ここで踏襲するべからずということでもある。 我々は、こうした調査を踏まえ、民間ならではの現場の実情に沿った、「迅速」で「柔軟」な支援、または、住民参加の精神性をも含めたきめ細やかなアプローチを、固く融通は利かないが、安定していて平等・公平である、行政との役割を明らかにしつつ、行政と市民または議会と市民をつなぐ「結節点」としての活動を行っていきたい。 |