【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第11分科会 地域から考える「人権」「平和」 |
北方領土問題の歴史的経緯 |
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1. 北方領土問題とは? 北方領土問題とは、第二次世界大戦の末期、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏の意図を明確に表明したあとにソ連軍が北方四島に侵攻し、日本人島民を強制的に追い出し、さらには北方四島を一方的にソ連領に編入するなどし、ソ連が崩壊してロシアとなった現在もなお、北方四島を不法に占拠し続けていることを言う。 (1) 北方領土の領有権の主張 |
(2) 現在の北方領土(約17,000人) 南クリル地区~国後島6,700人 色丹島3,200人 歯舞群島(国境警備隊員のみ) 当時の北方領土(17,291人) 択捉島 ~3,608人 国後島 ~7,364人 色丹島 ~1,038人 歯舞群島~5,281人 |
2. 領土問題の歴史的経緯 北方四島の開拓(出典:「日本の領土・北方領土」根室市・北対協ほか) |
1855年:日魯通好条約(下田条約)締結。択捉・ウルップ島間を日露の国境と画定、樺太はこれまでどおり境界を設けないこととし国境画定は円満合意を得る。 |
1875年:明治新政府、樺太全体のロシア化を懸念し「樺太・千島交換条約」成立。シュムシュ島からウルップ島に至る18の島々(千島列島=クリル諸島)が日本領となる。 |
1905年:米ルーズベルトが仲介、日露講和条約(ポーツマス条約)調印。北緯50度以南の南樺太が日本領となる。 |
1945年:8月8日ソ連、日ソ中立条約を破り対日参戦 |
1951年:サンフランシスコ平和条約 |
2006年:クリル諸島社会経済発展連邦プログラムを閣議承認。2007~2015年にかけ、四島のインフラ整備に約800億円を投じる計画が進められ現在に至ります。 |
まとめ ロシアは「ロシア人が最初に島を発見し開拓した」「ヤルタ協定でロシアに引き渡されることになっている」「日本がサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には国後島と択捉島も当然含まれる」との理由で一方的に自国領としています。 |