【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第11分科会 地域から考える「人権」「平和」

 埼玉県、東京都の飲料水の水源となる荒川上流に位置する秩父市。
 そこに産業廃棄物最終処分場の計画が持ち上がり、地域で反対運動が繰り広げられたが、許可権限者の埼玉県は産業廃棄物最終処分場の設置に「許可」を下した。
 建設・受け入れも完了したが、今なお、緑と清流の街に深刻な影を落している。



管理者不在の「水源地」産廃最終処分場
「守る会」による水質管理徹底の取り組み

埼玉県本部/秩父市職員組合 山岸  剛

1. 県民・都民水源地への最終処分場計画

(1) 発端は31年前の建設許可
 1981年6月13日、埼玉県知事は大都創業(株)に産業廃棄物最終処分場の許可を下しました。
 当時、秩父市影森地区に産業廃棄物最終処分場の計画が持ち上がったことを受け、自治労秩父市職員組合が加盟している秩父地区労働組合協議会が中心となり、「秩父のみどりと清流を守る会(以下「守る会」という)」を結成。埼玉県民、都民の飲み水で貴重な水源となる荒川脇へ計画されている産業廃棄物最終処分場建設に対する「建設反対」が取り組まれ、埼玉県に対し反対署名を取り組むとともに、埼玉県との交渉が重ねられました。
 「守る会」は、環境破壊とともに埼玉県の飲料水への影響が懸念されること、一民間事業者が産廃処分場の建設を計画しても、全国の事例から容量が満杯になれば、利益が上がらないことから事業を撤退し、水質管理等の維持管理が滞る事態になるなどを訴え、埼玉県に対し、産業廃棄物処分場の建設許可を下さないよう要求しましたが、埼玉県は「県が責任は持つ」の一点張りで許可を下してしまったのです。
 翌年1982年5月29日、秩父市と大都創業(株)他と公害防止協定を締結。同年7月14日から廃棄物の搬入が開始されました。翌1983年2月1日、埼玉県が再搬入を許可し、1986年2月24日からは埼玉県と「守る会」の話し合い(以降5回)が行われてきました。
 その後、1991年3月19日に大都創業(株)は埼玉三興(株)に社名を変更。さらに1997年11月10日には、土地所有者の柳生商事(株)を加えて、埋め立て終了後の管理体制も含めて秩父市と公害防止協定を締結しています。処分業許可期限である2000年8月16日の埋め立て終了時には、面積36,950m2、埋め立て量1,074,891m3に達しました。


☆印が秩父市影森地区。荒川は秩父山地の水を集めながら東京湾に注ぐ。荒川の水は秋ヶ瀬取水堰で取水され朝霞浄水場を経て都民の飲料水として送水されている。

(2) 懸念が現実のものに
1982年5月29日付けの「公害防止協定書」には、「埼玉三興(株)が諸事項を履行できない場合は、連帯責任で履行し、その賠償を補償しなければならない。」との記載も。
① 埋め立て終了後の柳生商事の管理
  埼玉三興(株)は、産廃埋め立て終了直後の2001年1月10日、親会社である三興企業(株)が2回目の不渡り(負債100億)を出し連結倒産しました。翌11日土地所有者である柳生商事(株)から秩父市に、同社としては当面埼玉三興(株)の維持管理を行っていくとの考え方が示され、柳生商事(株)が維持管理を行ってきました。
  その後、柳生商事(株)は、水処理施設に管理者を常駐するが、施設の維持管理を続けることは無理との理由から、2006年11月30日をもって管理業務から撤退してしまいました。
② 水処理停止後の動き
  2006年12月5日、秩父市は柳生商事(株)に、公害防止協定に違反するとして管理を再開するよう内容証明で催告文書を送付しました。2007年2月28日、柳生商事(株)から分社化した秩父管財(株)が設立され、同日、土地所有権と処分場に関する一切の権限が柳生商事(株)から引き継がれたことから、同年8月31日、秩父市から埼玉県知事宛てに、産業廃棄物最終処分場の諸問題の抜本的な改善対策について要望書が提出されました。
  また、2010年11月25日には、埼玉県と秩父市が柳生商事(株)を訪問し、処分場維持管理の文書による要請が行われています。

③ 埼玉三興産業廃棄物最終処分場の問題点
  埼玉三興(株)が名前だけの会社となり、柳生商事(株)が維持管理を始めていた時点で、処理施設等の維持管理について、廃棄物処理法上継承されておらず、現在もその状態が続いています。
  柳生商事(株)が維持管理を行ってきた行為は、土地所有者としての道義的責任、また、秩父市との協定書に基づき、許可権限である埼玉県の責任と監視の下に行ってきたことで、民法に基づく契約による補償によるものではあるものの、廃棄物処理法上の強制力は無いものと思われます。
  県は、現状の排出水の水質結果によると、まだ、産廃処分場を廃止する段階ではないと判断しており、安定するまでは、まだしばらく維持管理が必要であると見ています。

2. 「守る会」の取り組み

(1) 荒川湧水対策の経過
「守る会」からの知事宛「陳情書」では最終処分場からの湧水が未処理のまま荒川へ放流されている実態を告発。
① 住民説明会の開催
  2005年1月11日、「守る会」は、埼玉三興(株)産業廃棄物最終処分場脇の荒川に流れ込んでいる湧水の汚染源究明と汚染水の荒川流入阻止の対応について、秩父環境管理事務所に要請を行いました。
  同年12月20日、県が地元町会に対し荒川湧水の汚染状況把握と原因究明調査及び今後の対策について、報告会が開催され、2006年2月25日~3月13日、浸透性反応壁(PRB)実証事業が始動され、同年8月29日には、荒川湧水の汚染状況対策として、ミニPRBが施工されました。
  2010年2月8日、「守る会」と埼玉県との話し合いを経て、同23日、同年8月26日、翌年の2011年3月29日、同年4月25日、に関係住民説明会が開催されてきました。
② 後退する見解
  2012年3月29日に行われた埼玉県による「埼玉三興処分場・荒川湧水対策関係住民説明会」では、これまでの見解から後退し、①湧水対策については、砒素濃度は下降傾向で2006年7月以降排水基準を上回るヒ素は検出されていないため対策は不要で、これまで設置していた汚水中の砒素等を吸着し固定・安定化させるPRB処理についても撤去する。問題は臭い(硫黄)で、なるべく空気に触れないように荒川に流す。②埼玉三興管理型最終処分場水処理については、現在の水位は堰堤の半分位であるが、処分場の堰堤・法面は安定しており、当面の崩壊は想定されない。水質についてもそのまま流出しても問題ないものだが、今後もモニタリングは継続し、関係者には引き続き適切な維持管理の実施を指導するというものでした。

(2) 現状と問題点など
① 湧水のヒ素濃度
  湧水にヒ素、硫化物イオンが含まれていることが問題となり、埼玉県において2005年から調査、対策を実施してきました。ヒ素は当初0.2mg/リットルでしたが、PRB処理により2006年以降は排水基準0.1mg/リットルを上回ることはありませんでした。硫化物イオン濃度(排水基準なし)は、当初1,000mg/リットルでしたが、2008年9月以降は100mg/リットルを上回るものは検出されていません。
  今年(2012年)に入り、湧水上流部の硫化物イオン、ヒ素濃度が上昇。ヒ素の排水基準はクリアしていますが、環境基準はクリアしていない状況になっています。ヒ素濃度は下降傾向にあります。なお、河川調査ではヒ素は出ていません。湧水は武蔵開発処分場の浸透水と処分場外から影響を受けていることが分かりましたが、原因究明には至っていません。
② それぞれの立場で義務履行を
  このように、水処理をどのように実効性のあるものにさせていくのか、産廃処分場の土地に関しても解決しなければならない問題が残されており、その問題解決と、跡地利用をどのような構想で進めていくか、行政、事業者がそれぞれの立場で義務を果たして行かなければなりません。
  埼玉県は産廃処分場の法的権限を有する立場であるから、産廃最終処分場が廃止するまでの間は、維持管理が正常に行われるよう指導監督する義務があり、秩父市としても公害防止協定を締結している立場から、埼玉県と連携した対応をさせていくよう、引き続き「守る会」が中心となり、環境保全、特に飲料水となる河川水質の改善を強くもとめた取り組みをしていく必要があります。


埋め立て終了から12年が経過し今や管理者不在となっている影森地区最終処分場。県民・都民の水源となる荒川にヒ素や硫化物イオンを含む湧水が放出され続けていることを、釣り人は知っているのだろうか。

3. おわりに

秩父市議会は2011年9月15日、県内で初めて「産業廃棄物最終処分場建設反対都市宣言」を可決。環境への悪影響が懸念される産廃最終処分場の建設に反対する姿勢を明確にした。

 環境後進国の制度の不備、権限のある人間の、全ての生き物の「生命」に対しての思考停止により、産業廃棄物処分場が建設されてきました。その時の産廃建設の必要性、理由として、「雇用が生まれる。」「産廃はどこかに作らなくてはいけない。」「どこかに産廃を押し付けてはいけない。」などの声がまことしやかに言われてきました。そして、極めつけが「県が責任を持つ」という言葉でした。
 しかし、懸念されたことは現実となりました。水源の水質悪化と原因の不特定、管理責任者の水処理撤退、雇用の拡大にはつながらず、産廃によるガスの発生による「臭気」による環境悪化が地域住民の大きな問題ともなりました。現在に至っては県の対策は後退しているように見えます。
 この過去から現在までの産廃処分場問題は、昨年(2011年)3月11日の大震災による瓦礫広域処理と重なります。東北支援は最優先されるべきものであることは言うまでもありません。しかし「絆」の大合唱だけで、瓦礫に含まれている放射性物質、その他有害物質が含まれている事実の中、瓦礫広域処理で地方に瓦礫が拡散し、焼却・埋め立てが行われ、埋め立て地の周辺から高線量の放射線が測定され、自治体、市民が苦慮していくことになりはしないでしょうか。瓦礫広域処理に環境省や県などが責任をもって対応するとしていたにもかかわらず。
 政府の過去の対応は国民の健康や将来に向けられていないことも、長年の原爆による国民援護や公害被害者への救済切り捨ての歴史の中で繰り返されていることが明らかになっています。「事実」が「事実」として国民に伝えられないこともイヤと言うほど、私がかかわったこの1年5ヵ月の間に学習できました。
 「緑と清流の秩父市」が産廃処分場建設により、大きな「重石(おもし)」を次世代に引き継いでいかなくてはならなくなってしまいました。今後も、秩父市職員組合を始め、市民全体の継続した運動により、水源の脇に建設された産廃処分場の水質管理を県、市に対し徹底させていくことが求められています。そして、産廃処分場がどのように環境破壊をもたらし、「生活権」がどのように破壊されていくかということも今回の産廃処分場問題の取り組みで学習をしてきました。
 この経験を次の世代に引き継ぎ、市民が主人公の社会に近づけていくよう、職員組合としても地域からの運動に積極的にかかわっていきたいと考えています。