【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第11分科会 地域から考える「人権」「平和」 |
1990年の入管法改正から20年。日系ペルー人は出稼ぎから定住へ、そして永住へと姿を変えてきました。近年は教育問題だけでなく、貧困、医療や介護、無年金といった問題が顕在化してきましたが、それらに関して福祉的視点での外国人を対象とした支援はまだまだ少ないのが現状です。相談窓口からみた外国人相談の20年の移り変わりをみながらこれから10年に何をすべきかについて論じたいと思います。 |
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1. はじめに 日本に南米からの出稼ぎ日系人が来日して、すでに20年以上が経過した。 筆者は1988年~1991年まで南米のパラグアイで青年海外協力隊員として農業指導(野菜栽培)の活動をしてきた。赴任先は南部のドイツ系パラグアイ人移住地の農業協同組合であったが、近隣に大きな日系移住地がいくつかあり、いつも日系人の方々にパラグアイの農業についての指導を仰いでいた。パラグアイの日系人の方々には公私ともにとてもお世話になった。パラグアイの日系移住地は日本語が残っており、盆踊りや日本食、お風呂などの習慣も残っている。地球の反対側にある南米の地で定着する日系人は、日本人の勤勉さと南米人のおおらかさを併せ持つとても魅力的な人々だった。1993年4月に兵庫県が外国人相談窓口を開設するとの話を聞いて、ぜひ日系人の人たちのサポートがしたいと思ったのもこの時お世話になった恩返しがしたいと思ったからだ。この仕事をはじめて20年がたった。日系ペルー人の在日状況は出稼ぎから定住、永住へと姿をかえつつある。このレポートでは今一度、これまでの20年を振り返り、これからの10年を考えたい。 2. 相談傾向の移り変わり 1990年の入管法改正で、日系3世と日系人の家族が来日し就労制限のない「定住者」の資格ができたため、南米からの日系の出稼ぎ者が急激に増えた(図1)。日本政府や産業界は日本語の話せる日本人に近いメンタリティをもった日系人を期待したかもしれないが、前述したように南米への移住の状況によって、戦後の集団移住が中心であった地域は比較的日本文化が残っているが、移住の歴史が古く、明治、大正が中心のペルーでは、ペルー人との混血や文化融合が進んでおり、必ずしも日本語を話す、いわゆる日本人っぽい日系人ばかりではなかった。 |
3. 兵庫県の日系ペルー人の在住状況 兵庫県は東海地方(愛知県、静岡県、岐阜県、三重県)や関東近県のような日系人集住地区ではない。兵庫県におけるペルー人の外国人登録者に占める割合は、0.9%程度である(図2)。仕事のある地域に集住する傾向にあり、県内では食品加工の神戸市東灘区や阪神間、明石市、姫路市、北播磨などに住んでいる人が多いが、必ずしも目立った集住の形態はとっていない。どちらかというと地域コミュニティの中で溶け込んで暮らしている人たちが多い。2000年以降、派遣会社の住宅が減ってきたため、市営住宅や県営住宅に住む人々が増え、仕事に左右されることのない住宅を確保した結果と言えるかもしれない。 4. スペイン語相談の状況について
では、そんな中で兵庫県における日系ペルー人の生活相談の現状はどうなっているのか。まずは兵庫県の外国人県民インフォメーションセンターについて、まとめておきたい。 表2は2010年のセンターの言語別相談件数である。スペイン語の相談が約4割をしめる。これはセンター開設当時からほぼ同じような形で推移しており(図3)、そのためスペイン語相談員のみ2人配置している。 兵庫県でスペイン語相談が多い理由はいくつか考えられる。ただ、この現象は兵庫県のみのものではない。メキシコから南の中南米でブラジル、ジャマイカなど数か国を除くほとんどの地域でスペイン語がつかわれているが、前述したように、日本にすんでいるスペイン語圏の外国人は一番多いペルー人でも5万人程度であり、中国人やブラジル人、フィリピン人のコミュニティに比べると数としては多いとは言えない。ゆえに、相談窓口を開設する際に、地域性もあると思うが、まずは英語、それから中国語、ポルトガル語ときて、次に設置されるのが韓国語かスペイン語というのが現状ではないかと思う。ただ、スペイン語相談を開設している地域では、どこ もスペイン語相談は多い。これには、地域特性ではなく、移住の経緯も関係しているのではないかと思う。まず、ペルーは移住の歴史が古いため、コミュニティの中に若年層で日本語のできる人が少ない。日系ペルー人の中でも日本国籍を持つ人は第2次世界大戦以前に生まれた人に限られている。それ以降に生まれた人々は日系人というより、ペルー人としての教育を受け、日本語を使用する機会も限定されていた。一方、ブラジルやパラグアイなど都市ではなく農村の日系移住地に生まれ育った人々は祖父母である1世から日本語教育を受ける機会もあり、日本の文化を温存する環境の中で育ったため、日本語ができる人も少なくない。ゆえにペルーの場合、コミュニティの中での助け合いが、言語に限っては人材が少なく成り立ちにくい。相談窓口以外に、教会が重要な支援場所になっていることも言葉の支援ができる人材がいるためである。 また、兵庫県の場合は、集住地区ではないため、分散して住んでいる人が多いので、同じ国の人と相談して解決する機会も少ない。食品加工や工場など、ブラジル国籍の人が多い職場では、通訳や責任者がブラジル人であり、少数のペルー人は職場内の不満、疑問を彼らに相談しにくいので、母国語で公の機関に相談を持ちかける傾向があることも考えられるだろう。 次に、スペイン語は外国人登録者数が少ないということで広報や公共の場所での表記が少ないことも相談の多い理由のひとつだ。公共機関での多言語表示は近年では珍しくなくなってきたが、どうしてもあまり多くの言語を同時表記すると時間的にもスペース的にも問題があり、3言語程度までに絞り込む必要がある。神戸市の避難所には英語、中国語、韓国語での表記がされている。名古屋の地下鉄は、英語、中国語、ポルトガル語のアナウンスが流れる。スペイン語が上位3言語に入る可能性は高くない。今回の外国人登録法の廃止などの重要な件については多くの市町村がスペイン語など多言語での情報提供をしていたが、それも地域による偏りが大きい。大切なお知らせに関しては、日本語で相談窓口に持ち込んで翻訳してもらわなければいけないケースがでてくる。 兵庫県の場合だが、2人配置されており毎日必ずスペイン語担当がいるので、都合の良い時間に情報が得られることも相談件数を伸ばしている一因であるし、同じフロアーに専門相談員(交通事故、住宅など)がいて、相談員が通訳してくれるので、専門相談が受けられる。また、同じ建物内に、兵庫労働基準監督署、法テラス、兵庫県弁護士会、男女共同参画センターなどの窓口があり、向かいの建物は神戸職業安定所という立地的にワンストップな環境に設置されているので、通訳を伴い相談や交渉が可能となることも相談の多い理由の一つである。 5. これからの日系ペルー人相談窓口のあり方 これからの10年に向けて、日系ペルー人のスペイン語相談窓口はどのように変化すると予測されるか。これは図4と図5をみればよくわかる。この図は国勢調査における1995年と2005年のペルー人の年齢別分布を並べたものである。1995年は働き盛りの20歳から40歳が全人口の65%をしめていた。これは働ける年齢層だけが来日し、家族を母国に残し送金をしていた出稼ぎの状況をしめす。それが2005年になると、20歳から40歳の比率は50%になる。そして1995年には9%にすぎなかった40歳以上人口が2005年には15%と増加している。 |