【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第11分科会 地域から考える「人権」「平和」

 「世界遺産」とまではいかなくても、私たちの身近にある「戦争遺産」を再評価し、保存していくことで、戦争の悲惨さ、愚かさを後世に伝えることが大事であり、そのための方策について検討した。



大分県内に残る戦争遺産について
~「屋敷余り特殊地下壕」を事例として~

大分県本部/大分県職員連合労働組合・大分の戦争遺産研究会
齋藤 行雄・佐藤 浩司・佐藤 明夫・岩男 牧人(民間)

1. はじめに

 戦争は罪もない民衆を翻弄し、その命を奪い、文化財をも破壊することになんの躊躇もない悲惨で愚かなものである。そのことを伝えるものとして、関係者の証言や映像、絵画資料、書簡等様々な手法があるが、雄弁にかつ如実にかつインパクトをもって伝えるものとして「戦争遺産」がある。ユネスコの世界遺産には人類の犯した過去の過ちを示すモニュメントとして「負の遺産」が登録されており、「戦争遺産」も「負の遺産」といえる。

2. 大分県内の戦争遺産

(1) 概 況
 第2次世界大戦時、大分県には豊後水道域に設置された豊予要塞を中心として、県北から県南に到るまで、陸、海軍の重要施設が多く設置され、国防上の一拠点となった。陸軍歩兵47連隊(大分市)、陸軍豊予要塞(大分市・佐伯市)、海軍航空隊(佐伯、大分、宇佐)、回天訓練基地(日出町・佐伯市)などである。このほか、軍需工場や軍の慰安所として急速な発展をとげた温泉地、空爆の痕跡をとどめる民家や建築、また戦意昂揚、慰霊のために建立された日清、日露戦争にかかる記念碑など様々な遺産が県内各地に残されている。

(2) 遺産保存の状況
 県内には数多くの「戦争遺産」が遺されているにもかかわらず、現在までに文化財として保護の対象になっているものは、宇佐市の掩体壕、防空壕が市の指定文化財に、佐伯市の掩体壕が国の登録有形文化財に指定されているのみ(空爆の痕跡が残るものとして玖珠町の機関庫が国の登録文化財に指定されている。)である。文化庁の近代化遺産調査や近代和風建築調査において一部が調査対象となっただけで、そのほとんどは調査すら行われずに、破壊、崩壊が進んでいる。

(3) 一覧表の作成
 こうした「戦争遺産」に光を当てるべく、大分県文化財保存協議会(会長 神戸輝夫)により2005年に『おおいたの戦争遺跡』が刊行された。これにより、県内の戦争遺産の状況が明らかとなった。ただ、惜しむらくは本書がレポート集の形態となっているため遺産の状況が判然としない部分があったため、一覧に再整理するとともに、遺産の所在する場所についても調査し、別途URLで位置を表示できるようにした。(今回のレポートには紙面の都合で不掲載)

3. 屋敷余り特殊地下壕について

 これらの数多くある戦争遺産の中でも、一般市民にとって、もっとも身近な防空施設であった防空壕は、2005年の調査では、日本全国に10,280箇所が確認されている。そして調査のたびに実数が増える傾向にあるという。しかしながら老朽化による地表面の落盤の危険性や遊びに入った小中学生の酸素欠乏症事故などを契機に、行政により率先して埋め戻しや入り口の封鎖が行われており、その実態が明らかとなる前に一部を除いて消滅の危機にある。
 こうした中で、臼杵市大字福良に所在する「屋敷余り特殊地下壕」(「屋敷余り」は字名。特殊地下壕とは旧軍、地方公共団体、町内会等が築造した防空壕のこと。)はその規模の大きさ、管理されている民地に出入り口があることから、かろうじて封鎖を免れている事例である。当グループでは、この「屋敷余り特殊地下壕」を事例として戦争遺産の保存と市民への周知の方策について検討してみた。

(1) 概況と現状
 名称:屋敷余り特殊地下壕
 所在地:臼杵市大字福良字屋敷余り
 臼杵市平清水11組に所在する国登録有形文化財齋藤家住宅(俵屋)の裏手、福良天満宮の真下に本遺産は所在する。阿蘇溶結凝灰岩の岩盤を掘削した巨大な防空壕である。
 福良天満宮の標高が18メートルであることから、壕内の天井から天満宮地表面まで約12~3メートルの厚さとなっている。
 出入り口は6口。平清水地区の齋藤家敷地内に2口、芝崎家敷地内に1口、福良地区の河野家所有地所内に近接して3口ある。入り口は鍵型に曲げられ、爆風を受け止める凹部が設けられており、万一爆撃を受けてもその被害を最小限に食い止めようとの工夫が窺われる。
 壕内は大きく二つのエリアに区分される。10畳敷きということで設計された部屋7つと炊事場、便所、貯蔵庫を備える平清水エリアと150人収容を計画してつくられたホールと小部屋からなる福良エリアである。両エリアはS字状の斜路1本で繋がっている。両エリアの高低差は約2メートル程である。天井高は高いところで2.4メートルを計る。壕内随所に燭台立ての跡、燭台置きの堀込み、カンテラ掛けの金具が残されている。また実際に作られたかは確認できないが、扉を設置するための彫り込みがいたるところに残されている。
 平清水エリアの炊事場、便所はコンクリートで作られているが、そのほかは素堀でノミの痕もそのままのこっている。炊事場は入り口入ってすぐに設けられ、竈2基、流し1、水溜1、竈の煙突、炊事場の煙だし穴が作られ、食料庫用の部屋が設けられている。便所には大用が1基、複数人使用の小用が1基、くみ取り口が設けられている。10畳設計の7つの部屋は隣保班単位で利用したと伝える。炊事場の煙出し口及び便所の汲み取り口は1981年頃実施された急傾斜工事により潰されている。
 福良エリアの小部屋は家族単位で利用したと伝える。また、落盤を恐れ、大きな柱3本を掘り残し、天井を支える構造となっている。

(2) 工事の記録
 設計は測量士であった故首藤要平が担当し、施工は野村(現臼杵市野村区)の石工であった立花某1人で掘削したと伝えられている。当時大分県庁勤務の獣医であった齋藤家戸主の故齋藤太郎がダイナマイトを調達し、土石の搬出は地域住民の婦女子が担当した。すべて民間の労力で施工し、完成したと伝えられている。
 その際、搬出した土石は、当時齋藤家の前に掛かっていた市橋(現在下流に架けられている万里橋)を渡り、対岸の市浜地区の橋詰めにあった湿地の埋め立てに利用されたと伝えられている。
 この防空壕を利用したのは、主に平坦地で近隣に防空壕を掘ることのできなかった市浜地区や平清水地区でも川沿いの住民の方たちということである。避難の経路は、齋藤家住宅の店から通り庭を通り、付属屋の台所、井戸端をへて、土蔵の1階を抜けて炊事場のある口に至るというルートを利用する人が一番多かったようだ。
 なお、この防空壕はその規模の大きさからやがて軍の知るところとなり、陸軍中将が司令部に使用するため訪れたという。その際、宿屋であった伊勢屋(首藤氏・現高盛屋畳店)に宿泊し、調査を行ったと伝える。当時、警察署勤務の齋藤太郎は、署長から呼ばれて「齋藤君、申し訳ないがお国のために君の家を建物疎開するようになった」と、申し渡されたと伝える。周辺の齋藤家外4軒(宮本家(現河野氏所有地)、工藤家(現芝崎家)、一文字屋及び廣瀬家(現川野氏所有地))を建物疎開するという計画だったそうだ。結局、取り壊しに至らず、建物疎開寸前で終戦を迎えた。

(3) 特 徴
 この防空壕の大きな特徴としては、以下のとおり。
① 純粋に民間の力のみで作られているにもかかわらず、炊事場、便所、爆風よけ等非常に工夫された構造となっており、当時の利用の有り様を窺うことができ、他に例を見ない。
② ほとんどは素ぼりであるが、ノミの跡も全体的によく残っている。軍によって建造された防空壕では、コンクリートが多用されているが、本遺産では一部にとどまっている。しかし、その仕上げは入念になされている。規模が大きく、民間の防空壕としては県内に類を見ない規模となっている。
③ 進入口の一部が急傾斜地区対策工事のためモルタル吹きつけがされているものの、崩落は入り口の一箇所にとどまり、落盤は無い。汲み取り口や煙突の穴等は塞がれているものの、内部については建造当初の姿をほぼ完璧にとどめている。
④ 関係者の証言しか残されていないが、「国土防衛」の名の下、民間で作り上げた施設を軍が接収するという、有事においては市民生活は必ずしも守られるものではないことを実証する遺産である。

(4) 保存の現状と課題
 現在、この防空壕は齋藤家により管理されている。地元小学生を対象とした平和授業用に一部公開されているだけで、一般向けの公開はほとんどなされていない。
 落盤、崩落箇所はないものの、前述の急傾斜工事による廃土、廃石や近隣住家からの粗大ごみ等が搬入されており、より安全な見学のためには搬出の必要がある。
 今後、国内各地の類似防空壕との比較研究を進めるとともに、国の登録有形文化財等として保護に万全を期していく必要があると考える。

(5) 調査整備計画
 「屋敷余り特殊地下壕」は、非常に規模が大きいため、その整備については長期計画となることから、公開しつつモニタリングを実施することにした。2011年度は、最低限の片付けと整備、理解を深めるための説明板、カンテラ、防空頭巾等を整備した。


調査整備計画
 
内     容
 
2011
2012
2013
前期
後期
前期
後期
以降
調査計画 他の公開防空壕に関する事例を調査する。公開に当たっての計画立案とモニタリング調査、計画の修正。国登録有形文化財への準備を進める。 他事例調査
計画立案
 
 
 
 
体験実施・アンケート調査
 
 
計画修正
 
 
 
詳細図作成
 
 
 
 
登録有形文化財申請
 
 
 
 
見学・体験アイテム整備 見学、体験用のグッズの整備、見学者の理解を深めるためのリーフレットの作成を行う。 リーフレット作成
 
 
 
 
見学者用防空頭巾
 
 
 
手作りカンテラ
 
 
 
一輪車
 
 
 
スコップ
 
 
 
もっこ・ザル及び天秤棒
 
 
 
壕整備 見学者の安全を図るため、また理解を深めるため、壕自体の環境整備を実施する。 パネル作成
 
 
 
 
土砂ごみ排出
片付け
見学誘導標識等整備
 
 
 
 
侵入防止扉作成
 
 
 
 
入り口石垣復元
 
 
 
 
全体説明板作成
 
 
 
 

4. 今後の課題

 前述したとおり、「屋敷余り特殊地下壕」は非常に規模が大きいため、その整備については長期とならざるをえないこと。また、国内の類似事例を調査し、比較検討することで、よりその価値を明らかとすることができることから、今後についても引き続き、調査研究を継続していきたい。
 さらに、見学者に理解を深めるための方策として、防空壕造成時の疑似体験として、防空頭巾の着用、カンテラの使用、土砂の搬出作業などをしてもらい、その有用性を検証したい。