【論文】 |
第34回兵庫自治研集会 第11分科会 地域から考える「人権」「平和」 |
近世の奄美諸島は薩摩藩の直轄支配下に置かれながらも、幕府や中国などに対しては「琉球国之内」であり、さらには中国の冊封体制下にも置かれていた。近代から現代にかけては日本、中国、米国という国家の思惑に翻弄されてきた。自治労大島地区本部の自治研活動をふり返りながら、奄美諸島の自己決定権について考察する。 |
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はじめに 筆者は『自治研かごしま』100号記念論文として、「思考実験、道之島広域連合」(二席受賞、一席は該当なし)を発表した。同論文は、奄美諸島を「東アジアと太平洋」のなかに位置づけた構想(思考実験)である。「道之島」とは、近世期の薩摩藩支配下にあった奄美諸島の呼称である。近世期の奄美諸島については、筆者が編集・執筆した知名町教育委員会編『江戸期の奄美諸島』(2011)を参照してもらいたい。 |
1. 大島地区本部の自治研活動 (1) 「琉球諸島自治政府構想」シンポジウム (2) 市町村合併反対の取り組み |
2. 歴史にみる奄美諸島の“自治”のかたち 「本籍は沖縄、現住所は鹿児島」(琉球諸島自治政府構想シンポジウム)という発言の背景には、奄美諸島が政治的主体となったことがないという歴史がある。沖縄は琉球国、鹿児島は薩摩藩として政治的主体となった歴史がある。また奄美群島は日本、中国、米国という大国の思惑に翻弄され、他律的に帰属(国籍)を決定されてきた。 (1) 近代の奄美諸島 (2) 占領時代の奄美諸島 |
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3. 徳之島への米軍基地移設問題の本質(現代) 2010年初頭、米軍普天間飛行場の徳之島移設案が浮上した。自治労大島地区本部は移設反対闘争の最前線でたたかい、3月7日(600人)、3月28日(4,200人)、そして4月18日の「米軍基地徳之島移設断固反対」集会(1万5,000人、写真)へと結実させていった。 |
おわりに 今年6月18日、大島地区本部は徳之島自治研を開催した。①徳之島とTPP、②米軍基地移設反対運動、③疎開船の悲劇、④核燃料再処理工場徳之島立地案をテーマにした。核燃料再処理工場徳之島立地案は、1970年代に浮上した。報告者の樫本喜一氏(大阪府立大学客員研究員)は「(当時の)政府の政策立案者は離島を「万一の場合、放棄可能な土地」としかみていない。この先も高レベル放射性廃棄物の最終処分場候補地として徳之島など離島が狙われる可能性は排除できない。こうした視点は米軍基地ともつながっている」(2012年6月3日、南海日日新聞)と問題提起した。徳之島自治研の内容は、『自治労かごしま』(2012年6月5日号)に詳しく紹介されている。 |