2. 避難所の様子
(1) 第5G グリーンピア三陸みやこ
主に田老地区の被災者が避難。当時市内最大規模の避難所。
多目的アリーナ、ホテルの宿泊棟が避難所として開放され、乳幼児、高齢者がいる世帯は宿泊棟を使用し、それ以外は、アリーナの段ボールで間仕切りしたスペースで生活。当時アリーナでは400人強が生活されていました。大所帯ということもあってか、自治組織体制が確立しており、住民が自ら生活ルール、役割分担をつくりそれに則って規則正しく生活を送っていました。
居住スペースは、決められた一人あたりの面積に基づき世帯人員数によって割り当てられていました。住宅地図のようなものも作成されており、各居住スペースまで直接郵便物が配達されます。
食事は、自衛隊より3食配給され、居住区域ごとに設定された当番が配膳作業を行います。住民がガスコンロを使用することは禁止されており、ボランティアスタッフが湯を沸かしてポットに入れアリーナに配置し、そこから各自水筒や急須に入れたり、カップラーメンを作るなどしていました。
トイレは、屋外に数十基の簡易トイレが設置されており、下水道がまだ完全復旧していなかったため、日中は外のトイレを使用するようにとされていました。
必要な物資については、エリア内の別体育館が物資保管場所になっており、そこへ行けば衣類、タオルなどを得ることができます。その他ティッシュペーパー、絆創膏、洗剤などの使用頻度の高い生活雑貨はスタッフルームに保管してあり、必要な都度スタッフに申し出て受け取る形にしていました。
女性に向けた配慮としては、女子更衣室や女性専用洗濯物干場が設置されていました。また授乳スペースも作られていました。女子トイレの個室には、生理痛の緩和法や性犯罪に遭わないための注意点などが書かれた張り紙がされていました。また、警察官による巡回も行われており、夜間の警備も行われていました。
我々支援者の仕事は、受付、ごみの運び出し、食事の運搬・配膳、トイレ掃除(※屋外の簡易トイレ。屋内のトイレは居住者が当番制で掃除)の他に、物資の仕分け、写真洗浄など日々求められる用務を実施。
3. 女性への支援と保護
(1) 生かされている教訓
私たち北海道本部がグリーンピアの避難所に入ったのは第4Gからで、それ以前には他の県本部が支援に入っていました。また我々自治労の他にも様々な団体、個人がボランティアに入っていました。そうした方たちや、自治組織のおかげで私たち第5Gが避難所に入ったときは、先述のとおりハード・ソフト両面において完成形に近い避難所の形が出来上がっていました。また、救援物資もある程度品目別などに分けられた仕分けしやすい形で送られてきており、生理用品、衛生用品、化粧水などの日用雑貨も豊富に避難所に届けられていました。こうしたことは、阪神淡路大震災や私たちがこれまでに経験してきた災害時の教訓が生かされたものだと考えます。
しかしすべての避難所がこのように整備されていた訳ではなく、特に女性、障害者といった弱者、マイノリティへの配慮は、忘れられたり後回しにされたりしがちなので、食事、安全の確保と同様に、基本的事項として全体化しておく必要があります。また、いくら物資やサービスがあっても、被災者がその情報を知らずにいる場合があり、特に高齢者などへの丁寧な声かけの必要性を感じました。
(2) 時間とともに変化する要望
災害時に必要とされる支援は、時間の経過とともに変化していきますが、私たちが支援に入ったのは地震発生からちょうど2ヶ月後。被災された方たちは、とりあえず自らの命は保証され、食事と寝る場所を確保し、地震発生後の緊迫状態から一息つく段階であったと思います。
この段階で、必要とされる支援の一つは、「話の聞き役」だと感じました。田老地区は人口約4,400人で、隣近所の付き合いもあるお互いの顔が見えるコミュニティです。そのほとんどの家屋が流失、全壊の被害に遭っていますが、その中でも家族を亡くした人・亡くしていない人、仕事を失った人・失っていない人など被害に差があります。「大変な思いをした」という話をしたくても、お互いの状況がわかる故に住民同士では話ができない。そうした時に、我々のような外部の人間が聞き役として適役であり、実際避難所の職員からも求められた役割でした。また、日中も避難所で過ごす女性や高齢者の方たちにとっては、単なる世間話や、避難所生活の愚痴などを話すことが少しでもストレス解消につながるのではないでしょうか。
命が保証されると、次は生活を改善する要求が発生します。しかし「こんな大変な時に」「みんな大変だから」という思いがそうした要求を発しづらくさせ、小さな不安、不便の積み重ねが大きなストレスにつながる可能性があります。
例えば、くしやゴムなど身だしなみを整えるものが欲しい、支給された七分袖ではなく長袖の下着が欲しい、男性に生理用品を頼みづらいなどといった、少しでも快適な生活をして行くための要求を支援者は汲み取って対応していかなければなりません。
4. 支援に女性が入ることについて
第5Gでは2カ所の避難所を担当し、女性2人をそれぞれの避難所へ配置しました。それは、先に派遣された女性から「避難所に女性が入っていた方がいい」という助言があったからです。実際、行ってみると、日常の細かな頼み事を女性ボランティアにするというケースが多くありました。生理用品やおむつパットなど男性には頼みづらいといったものを女性に頼む場合や、男性でも女性でも対応が変わらないものでも、女性に頼むという場合もありました。ここにはもちろん同性の方が頼みやすいといったことがあるでしょうが、「男性が対応するのは難しいこと、大きいこと」という認識があって「男性に頼むほどのことではない」という意識が働いている場合もあるかもしれません。
また夜、女性ボランティアが女の子のトイレに付き添ってあげて喜ばれたというケースもありました。
グリーンピアでは、日用品についてはスタッフルームで保管していましたが、生理用品については女子トイレ内に必要分を配置していました。時折チェックして補充していましたが、もし支援スタッフに女性がいなければ、住民が男性スタッフに直接申し出なければなりません。
グリーンピアの勤務体制は、日勤と24時間勤務を組み合わせたもので、24時間勤務といっても9時半の消灯後は仮眠を取ることができ、仮眠場所は現地女性ボランティアの居住スペースを使わせてもらい、特に問題を感じることはありませんでした。
5. まとめ
避難所の運営、物資の仕分け、写真洗浄など今回行ったボランティアは、いずれも男性、女性で仕事に差が出るようなものはありませんでした。またグリーンピアは、女性に対する安全面や生活への配慮が比較的整備された避難所だったと言えます。
女性が被災地支援に入ることは、「環境がまだ整っていないから女性は入らない方がいい」とされたり、「女性の視点で支援を」「女性ならではの気配りを」などと特別なこととして扱われがちですが、被災地で求められる支援者は、「健康な人」です。不自由な環境で活動できる健康さや他人の話の聞き役になれる健康さを持ち備えた人が求められます。そしてそのうえで、同じ立場だからわかる気づき、配慮があり、被災者からもそれが求められます。
被災地の状況やその時点で必要とされる支援をできる限り正確に把握し、多様なニーズにこたえるために、男性、女性がともに支援に入ることが望ましいかたちです。
この震災において、早い段階での救援物資に生理用品が含まれていたこと、また避難所での女性用更衣室の設置などは、阪神淡路大震災での教訓が生かされたことだと思います。今回不幸にも発生してしまった東日本大震災において、女性保護や女性支援者への課題をしっかりと浮き彫りにし、みなで共有していくことが我々に求められています。また、いつどこで発生するかわからない災害のために、いつでも支援に行けるような健康な職場、そして自分を、日頃からつくっておくことが大切です。 |