【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第1分科会 ~生きる~「いのち」を育む・いかす、支えあう

 登米市では「だれもが活き生きと暮らせる登米市男女共同参画推進条例」を2011年4月から施行しています。条例の制定日は、奇しくも東日本大震災と同じ2011年3月11日。市民参画による条例制定への取り組みが、震災後の被災女性支援の活動へとつながった事例を報告します。



男女共同参画から学んだこと
―― 条例づくりから被災女性支援へ ――

宮城県本部/登米市職員組合 新田さゆり

1. はじめに

(1) 条例づくりのはじまり
 登米市では、市の第1次総合計画において「市民の創造力を生かした協働のまちづくり」を推進するため、「男女共同参画社会の形成」の視点からも総合的かつ計画的な施策を展開することとし、その法的根拠となる男女共同参画条例の制定をめざしていました。条例は「市民と共につくり育てる条例」と位置づけ、条例の策定経過の中で男女共同参画に関連する各種団体等の意見交換や意見の聴取を行いながら、市民一人ひとりの生活や希望する活動において、条例が積極的意味を持つ意識醸成を図り、制定後も少子高齢化等さまざまな課題解決に向けた取り組みの根拠と位置づけられるよう、策定のプロセスを大切にすることとして進められました。

(2) 策定委員会の設置
 男女共同参画は、「子育て」や「教育」、「農業」、「商工業」などのさまざまな分野において推進することが求められています。そのため、条例策定においては、各分野に関係する市内の代表者等に男女の比率も考慮しながら策定委員を依頼し、公募委員も含めて合計15人の委員で条例づくりをスタートしました。

2. 条例制定までの取り組み

(1) 策定委員会の進め方
 「市民と共につくり育てる条例」の策定にあたって、これまでのように事務局で一方的に説明を行いながら事務局案を提案する会議の持ち方では、委員が積極的に意見を述べることが難しく、条例が「絵に描いた餅」になってしまうため、会議の持ち方を工夫しました。
① 勉強する機会を設ける
 男女共同参画は、さまざまな分野の施策や私たちの身近な生活にも関わってくる取り組みです。そのため、策定委員会では毎回初めにメインテーマに関する研修会を設け、そのテーマが登米市では具体的にどのような問題として生じているか現場の体験を踏まえて話し合われました。
② ワークショップ形式による話し合い
 策定委員会は15人の委員で構成されましたが、活発な意見交換を行うため、委員長を除く14人の委員を2つの分科会を設けてワークショップ形式による話し合いの場を持ちました。ワークショップ形式による話し合いは、委員それぞれが進行、書記、発表と役割を決めて進められました。そのことにより、誰か一人だけが長い時間自分の意見を話すということはなく、他の委員へ意見を求めたり、自分の意見をぶつけたりと活発な意見交換を行うことができました。

 

③ 会議のふりかえり
 会議の時間は概ね2時間でそのうち学習会が1時間。残りの1時間をワークショップによる話し合いとその日のまとめの時間としていました。それでも時間が足りずに言い残したことや男女共同参画に関する疑問、会議の運営についてなどは「ふりかえりシート」に自由に記入して提出してもらい、次回の会議資料として配布することで、解決していない内容を認識し、全員で共有することができました。

(2) 自発的な取り組みへ
 登米市男女共同参画策定委員会は、2009年9月24日に第1回目の会議が開催され、条例の素案提出まで8回、自主開催による検討会及び学習会が5回開催されました。その他、各種団体を対象とした出前ミーティングを7回、子育て世代を対象としたものと市内地域を3つのブロックに分けたタウンミーティングを2日間の日程で4回開催しました。特にタウンミーティングは、委員自らが「開会のあいさつ」、「司会進行」、「条例素案の説明」、「閉会のあいさつ」と役割を決め、これまで自分たちが話し合いの中で気付いたことや自らの体験を通じて感じたこと、学習会において得た知識をもとに自分たちが考えた言葉で説明し、ミーティングを進めていきました。これらの経験がまさに「人づくり」となって、東日本大震災後の被災女性支援活動につながっていったのです。

(3) 登米市独自の条例誕生
 こうして約1年をかけてつくられた条例は、市民の声を反映した登米市独自の条例となりました。
◆条例の名称:「だれもが活き生きと暮らせる登米市男女共同参画推進条例」
 基本理念をはじめとする、条文の内容全体を考慮。登米市のめざすべき姿を「性別及び世代にかかわりなくすべての市民が持てる力を存分に発揮できる登米市」、「次世代をはじめだれもが暮らしやすく住み続けたい登米市」とし、そのためには一人ひとりがそれぞれの生き方を大切にし、まわりも大切にする活力ある暮らしが重要であると考え名称に表したもの。
◆条例の文体:「です。ます。」体で表記。(やわらかい表現としたい旨の希望による)
※ 「性同一性障がい者等に対する配慮」を盛り込んだ条例は東北初。

5つの基本的な考え方
(めざす登米市の姿)
条例において対応している条文
① すべての市民が性別にとらわれず人権が確保される登米市(あらゆる暴力の禁止、外国籍市民の人権の尊重) 第3条 基本理念第1号
第6号

第8号
第9号
・男女の人権の尊重
・暴力的行為(身体的又は精神的苦痛を与える行為をいう。以下同じ。)の根絶
・性同一性障がい者等に対する配慮
・国際的視野での協調
第10条 推進体制の整備
第11条 市民等の理解を深めるための措置
第12条 事業者が行う活動への支援
第13条 教育の分野における措置
第14条 家族経営的な農林業及び商工業等の分野における措置
第16条 政策の立案及び決定への共同参画
第19条 性別による権利侵害の禁止等
第20条 性別による権利侵害に関する相談体制の整備等
第21条 公衆に表示する情報への配慮
② 仕事と家庭生活が両立できる登米市 第3条 基本理念第2号
第4号
・社会における制度又は慣行についての配慮
・家庭生活における活動と他の活動の両立
第11条 市民等の理解を深めるための措置
第12条 事業者が行う活動への支援
第15条 仕事及び生活の両立支援
③ 男性も女性も積極的にまちづくりに参画できる登米市 第3条 基本理念第2号
第3号
第4号
・社会における制度又は慣行についての配慮
・政策等の立案及び決定への共同参画
・家庭生活における活動と他の活動の両立
第10条 推進体制の整備等
第11条 市民等の理解を深めるための措置
第12条 事業者が行う活動への支援
第14条 家族経営的な農林業及び商工業等の分野における措置
第15条 仕事及び生活の両立支援
第16条 政策の立案及び決定への共同参画
第18条 市の施策に関する意見又は苦情の申出
第22条 公衆に表示する情報への配慮
④ 次世代をはじめ、だれもが住み続けたいと思える登米市 第3条 基本理念第1号
第2号
第3号
第4号
第5号
第6号

第7号
第8号
第9号
・男女の人権の尊重
・社会における制度又は慣行についての配慮
・政策等の立案及び決定への共同参画
・家庭生活における活動と他の活動の両立
・教育の場における配慮
・暴力的行為(身体的又は精神的苦痛を与える行為をいう。以下同じ。)の根絶
・「性と生殖に関する健康と権利」の尊重
・性同一性障がい者等に対する配慮
・国際的視野での協調
第10条 推進体制の整備等
第11条 市民等の理解を深めるための措置
第12条 事業者が行う活動への支援
第13条 教育の分野における措置
第14条 家族経営的な農林業及び商工業等の分野における措置
第15条 仕事及び生活の両立支援
第16条 政策の立案及び決定への共同参画
第18条 市の施策に関する意見又は苦情の申出
第19条 性別による権利侵害の禁止
第20条 性別による権利侵害に関する相談体制の整備等
第21条 公衆に表示する情報への配慮
⑤ だれもが豊かな人生の実現ができる登米市 第3条 基本理念第1号
第2号
第3号
第4号
第5号
第6号

第7号
第8号
第9号
・男女の人権の尊重
・社会における制度又は慣行についての配慮
・政策等の立案及び決定への共同参画
・家庭生活における活動と他の活動の両立
・教育の場における配慮
・暴力的行為(身体的又は精神的苦痛を与える行為をいう。以下同じ。)の根絶
・「性と生殖に関する健康と権利」の尊重
・性同一性障がい者等に対する配慮
・国際的視野での協調
第10条 推進体制の整備
第11条 市民等の理解を深めるための措置
第12条 事業者が行う活動への支援
第13条 教育の分野における措置
第14条 家族経営的な農林業及び商工業等の分野における措置
第15条 仕事及び生活の両立支援
第16条 政策の立案及び決定への共同参画
第18条 市の施策に関する意見又は苦情の申出
第19条 性別による権利侵害の禁止
第20条 性別による権利侵害に関する相談体制の整備等
第21条 公衆に表示する情報への配慮

3. 東日本大震災後の支援活動

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災。多くの方が津波によりその尊い命を失いました。内陸に位置する登米市においても沿岸部で31人の方が死亡または行方不明となり、1,974棟の住家が半壊以上の被害を受けるとともに、多くの農業、商工業、公共施設等においても大きな被害を受けましたが、市長の決断により隣接する南三陸町の被災者に避難所を提供し、いち早く支援に取り組んでいました。当時、私は育児休業中ということで業務に携わっていなかったため、次に紹介する内容は、その当時に活動を行っていた職員や実際に支援活動を行っていた委員から聞いた話となります。

(1) きっかけはお見舞い訪問
 活動のきっかけとなったのは、仙台市で活動を行っているNPO法人の代表の方から、避難所の女性へのお見舞い訪問の依頼を受けた条例策定委員長からのメールでした。そのNPO法人は、阪神・淡路大震災で、女性が数々の困難を抱えたことを背景に「災害時における女性のニーズ調査」を行っており、「防災・災害復興」に女性の視点で取り組む必要性があることを自治体や地域団体に伝える活動を行っていました。そのお見舞い訪問の依頼を受け、条例策定委員の有志が同行し、避難所での被災者の実情と生の声を聞いて回ったという体験から、「えがおねっと」という支援活動団体が結成されたのです。

(2) 女性の視点での支援
 避難所では、被災した女性が早朝から夜間まで食事のお世話をしたり、リーダーが男性ばかりで女性の意見を取り入れてもらえないところもあったりと、男女共同参画の視点が抜け落ちている状況だったようです。そこで、「えがおねっと」では女性一人ひとりから要望を伺い、それに応える支援物資の配布を行う活動に取り組みました。行政としてもできる限りバックアップを行い、活動期間は延長され、後にその活動に難色を示していた男性にも喜ばれる取り組みとなっていったのです。その活動は、新聞やメディアでも報道されました。

4. おわりに

 市民と共につくり育てる条例として位置づけられ、一職員として取り組んできた「だれもが活き生きと暮らせる登米市男女共同参画推進条例」が制定されてからすでに5年が経過しました。当時を振り返ると、先が見えない仕事に対してまさに手探りの中で、どのようにすれば登米市らしく、かつ市民の意見を反映した条例ができるのか、ということにがむしゃらに取り組んでいたような気がします。「男女共同参画」の本当の意味を市民の方々とともに学び、考える中で信頼関係を築くことで、真の「協働」が誕生した瞬間だったのかもしれません。
 異動により担当部署が変わった今でも、その当時関わりがあった方から声をかけられることも多く、その時に学んだことや経験したことが今の私を支えているものと思っています。