4. 支援体制のあり方について ~実践活動から見える提言~
(1) ボランティアを支える人・組織が必要
上記の実践活動を通じて「ボランティアを支える人なり組織が必要」ではないかと感じています。
ボランティアは「自発性、無償性、奉仕性を原則」に、ある意味「(心)意気とお金と時間、そして家庭を持っている場合は家族の理解」がなければ、なかなか参加したくともできません。また、ボランティア団体を作る人も一種のカリスマ性がなければ賛同者は増えませんし、継続もできない一面があるように思います。賛同者も活動の「内容と関わる人」で判断している部分も否定はできないでしょう。そうなると、一般的に経営者や自営業、管理職等の方々がメインの個性的なメンバーとなり「熱い思い」だけで議論が進み、肝心の活動が空回りする場面が出てきたり、活動ができても自己満足で終わり、対象に向けた本来の趣旨を提供できたか不安になることがあると思います。また、せっかく良い活動をしてきたのに、肝心のメンバーが一人抜けただけで活動自体が休止、あるいは終了・解散する団体も多くあるのではないでしょうか。
そこで大事なのが事務局であり、それを担う人材です。冷静に議論を聴き取り、まとめ、全体で共有し、活動に反映する司令塔。この役割こそ、公務員が最適で最高の力を発揮できると思っています。他の職種に比べ、公務員は人(市民)の話を聴く耳を持ち、話がバラバラでも要点を押さえ、それを文章・ルール化し、他人に伝える術(対話やプレゼン)を持っています。例えメンバーが民間の経営者や管理職等が多くとも、公務員の能力を活かして、時になだめすかし、でも肝心なところは押さえつつ、粛々と運営していくことができるでしょう。さらに文章・ルール化したノウハウを、他の事務局メンバーと共有することで運営の基礎が確立し、主要メンバーの世代交代が起きても、賛同者がいる限り、その活動は継続できます。
民間のメンバーは、ある意味ボランティアを通じて異業種交流を図り、ビジネスチャンスを狙っています。公務員はボランティアに関わることで、市民が今何を求め、行政で何が必要なのかを考えたり、そのヒントを得る場となることでしょう。それを所属している職場に関わらず、同僚や同期・後輩に持ち帰ることで横とつながり、すぐにとは言わないまでも「市民ニーズを的確に捉えることができる行政」を構築できるのではないかと考えます(ボランティア団体を支える組織を、行政が担うことも考えられるかもしれません)。ボランティアの活動内容の発想は、民間メンバーの方が多く持っているかもしれません。しかし、どのような活動をしようと内容を突き詰めていけば、最終的には行政の力が必要になってくるのも事実です。市民ニーズが生まれれば、それに応えるのが行政の役割です。
「地域に飛び出せ、公務員」という言葉が、数年前から全国的に広まっています。ボランティア団体の多くが、事務局人材に不安を抱いていると思います。「何でもいい」とは言いませんが、興味が惹かれる活動があれば積極的に参画していくことをお勧めますし、ボランティア団体の情報は労働組合も持っていますので、今まで以上に発信をしていくことを提唱します。
(2) 「家族」の支援・相談窓口
「子どもの貧困」や「貧困の連鎖」がクローズアップされています。貧困の連鎖を防止するための対策の一つとして「子どもの貧困対策法」が施行(生まれ育った環境によって子どもの将来が左右されることがないよう、教育の機会均等などの対策を国や地方自治体の責務で行うことが義務付け)されました。
しかし、貧困の連鎖を断ち切るためにはまだまだ十分とは言えないでしょう。目に見える縮図が児童養護施設です。近年の入所児童の親は健在で、入所理由のほとんどが虐待によるものです。虐待の大きな要因と言われるのが「経済的貧困」と「社会的孤立=人間関係の貧困」です。
経済的貧困は、家庭の基盤が不安定なため、親の病気や失業などがあればあっという間に家庭が崩壊し、子どもの自立に必要な教育を受けさせることができず、子どもが成人しても安定した職業や収入が得にくくなり、貧困の連鎖が起きてしまいます。
社会的孤立は、親が自分に対する自己評価が低く、うまく人と接することができない、職場や親戚、地域からも孤立する傾向にあり、結果としてアルコールやギャンブルに依存していたり、仕事が長続きしない、すぐに暴力をふるうなどの問題があり、逆に周囲から距離を置いてしまうこともあります(ワーキングプアも問題となっていますが、若い世代の貧困と格差、社会的孤立の問題は、人間としての尊厳を奪うだけでなく、次の世代の子どもたちへ深刻な影響を及ぼすことも懸念されています)。
どちらも克服すべき課題ですが、虐待増加の要因は、親の社会的孤立にあると言われており、その家庭で育った子どもにとって社会的孤立は「当たり前」な環境です。通常、子どもは様々な大人との関わりを通して育っていきます。親戚、学校の先生、部活の指導者、地域住民など親以外の他の大人との関係性の中で育ち、いろいろな影響を受けていきます。しかし社会的孤立の中で育った子どもは、どうしたらいいかわかりません。親との関係性が育まれていないからです(この社会的孤立を克服していこうという活動も「短足おじさんの会」です)。
現在、子どもは「社会の宝」の観点から、様々な支援施策が各自治体で取り組まれていますが、本来親戚や地域住民が当たり前に持っていた子育て機能を細分化したものに過ぎません。しかし、親戚や地域住民のように機動性を持って柔軟に対応できない現実もあります。支援が必要な家族は、社会的孤立を抱えているため、その情報すら行き届かない一面も忘れてはならないでしょう。
ラボは以前より、行政における家族問題支援のあり方について研究を重ねています。どの自治体でも、福祉分野は大きく分けて生活福祉、児童福祉、高齢福祉、障害福祉の4分野に分かれていますが、その対象者だけの支援対策だけでは全てに効果があるとは言えないことを、今回の実践活動を通して改めて感じています。
児童養護施設に望んでやってくる子も、養育を委ねる親もいません。児童養護施設(=行政の福祉)が身近でなかったがゆえに、親だけでなく親戚や地域住民もそれを利用すること、電話一本かけることへの抵抗心が根強いのではないでしょうか。電話をかけるにしても、どこにかけたらいいかわからず、電話がつながったところで「これは○○福祉課になります、こちらに関しては□□福祉課になります」と、たらい回しにされる現実を回避したい思いもあるかもしれません。
上述の4分野の福祉に「世帯主層=親」を対象にした福祉なり相談窓口がないのも、市民ニーズに合っているのか疑問に感じてもいます。一つの窓口でじっくりと相談ができれば、4分野の福祉をより効果的・効率的に活用できると思いますし、児童養護施設の「子」と「親」の問題を例にとれば、子への支援対策だけでなく、親への支援対策も関係機関との連携で、一歩前へ進めることができるように思います。
社会的孤立の手前で苦しむ親もいます。自分が親になるまで乳幼児と接した経験がなく、また育児のモデルとなる人が身近にいなくて困惑しているとか、気軽に相談できる相手がいない、父親(母親)が育児に無関心であったり、長時間労働で家庭に関われないことなどが背景にあります。特に自分の親との関係に問題を抱えている場合は、適切なサポートがないと育児不安が高じて子どもを無視したり、逆に干渉し過ぎるなど、不適切な育児にいたることがあります。虐待をする親へのサポートを行わなければ、家族の絆を修復することはできません。虐待の問題解決には、直接の被害者である子ども、直接虐待は受けていなくても兄弟姉妹が虐待される家庭で育つ子ども、直接の加害者である親、手を下していなくても子を守ることができない親、それぞれに適切な関わりが必要であり、家族全体を支える姿勢が必要です。
上述の例を、生活福祉や高齢福祉の観点から見ても同じではないでしょうか。自治体における「家族問題相談室」の創設を提唱します。行政の福祉4分野への主たる相談者は「世帯主層=親」であり、その背景には「家族」があります。今、ここに行政ニーズがあると思います。未来を見据えた施策があると思います。
創設に向けて情報収集や発信、他自治体を含む行政機関や関係団体との連携など課題は山積することでしょうが、市民が「気軽に、じっくりと」相談できる窓口があれば、社会的孤立を抱えている家族を知る親戚や地域住民も「気軽に相談」でき、昔のような「おせっかいをやく」ことができるのではないかとも思います。そしてこの「おせっかい」が増えることで、親戚や地域住民が本来もっていた機能が回復していくことと思いますし、行政もより機動性と柔軟性を持った様々な支援策を推進していくことができると思います。
5. 結びに ~フォーラムから生まれる新たな芽を育む~
現在ラボでは「ひとり親家庭学習支援・チャイルドシード」という団体を立ち上げ、また「訪問型病児保育NPO法人・リスマイリー」という団体と協働事業を行い、どちらも2016年内の本格実施をめざし準備を進めています。
この2つの事業を利用する親の、働き方を含めた全ての理由が「貧困」とは言いませんが、「貧困に陥る可能性」は否定できないでしょう。貧困問題を解決する特効薬はありません。長い時間がかかることでしょう。しかし現実に今、困っている人がいて、その人たちを「何とかしたい。貧困の連鎖を、貧困に陥る可能性を少しでも無くしたい」と様々な視点から支援する方々がいます。その声を各自治体行政機関や議員、そして官民の労働組合と当局が受け入れ、仕組みや制度の矛盾を是正し、包括的な対策を打ち出す取り組みを積み重ねない限り、極論ですが「誰もが安心して暮らせるまちづくり」は、いつまでも叶わぬ夢になるのではないのでしょうか。この夢を実現するためには、誰もが「フラットに話せる場」が必要であると思います。
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