【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第1分科会 ~生きる~「いのち」を育む・いかす、支えあう |
地域交流の一環として発足したボランティア集団「健康見守り隊」。これは地域の方々からの「聞いてみたい・体験してみたい」の気持ちを大切にし、病院職員で講演会を開催し、会を通じて知識と経験、地域交流を深めていこうという活動です。地域の方々からのさまざまな要望に柔軟に対応出来るように、専門の知識や技術を持った職員が担当させてもらっています。その活動と現在までの状況を報告させて頂きます。 |
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1. はじめに 当院は1948年に石川郡中央病院として開院しました。その後1968年に経営主体を松任市、美川町、野々市町(現:野々市市)の3自治体による一部事務組合へと移行し1969年に公立石川中央病院となりました。1989年に組合名を松任石川中央医療施設組合に改名するとともに、病院名を公立松任石川中央病院と改名し、現在地(白山市倉光)に新築移転されました。2008年には地方公営企業法全部適用となり経営主体が白山石川医療企業団に移行され、現在に至ります。 2. 「健康見守り隊」誕生 そこで、2008年6月に当時労働組合執行委員長である西本政之が声をかけ、各職種の有志が集まってボランティア集団「健康見守り隊」が発足しました。「健康見守り隊」の構成メンバーの職種は様々で、発起人の西本部会長は臨床検査技師、その他看護師、理学療法士、薬剤師、診療放射線技師、調理師、事務などの10人の組合員からスタートしました。 3. いざ地域交流!! ……のはずが…… 地域との結びつきを目標に歩き出した「健康見守り隊」でしたが、なかなか活動が進まず、一向に「健康教室」の開催には至りませんでした。本来は依頼を受け、その地域へ出向き、教室を開催するというスタイルのはずだったのですが、そもそも「健康見守り隊」の存在すら周知されていない状況だったため、依頼が来るはずがありません。そこで少しでも地域の方にこの活動を知ってもらおうということで、メンバー同士で話し合った結果、チラシを作成し、とりあえず企業団を形成している白山市と野々市町に声を掛けてみることから始めてみることにしました。そのなかで野々市町から「健康づくりさん」という活動を紹介されました。 |
4. 初めての「健康教室」 初めての「健康教室」は、ある町会の婦人会からの依頼でした。その中で「乳がんのお話」を題材にした内容で教室を行うことができました。「健康見守り隊」結成から半年が経過し、メンバー全員が少し意気消沈しかけていた中で、依頼を受けて開催できたことは、本当に大きな一歩だったと思います。初めての「健康教室」にはメンバー全員が参加しました。が、内容が乳がんのお話ということでしたので男性メンバーはあまり目立たないように影に隠れての参加になりました…… 5. 「健康見守り隊」の「健康教室」 「健康見守り隊」の「健康教室」の開催に当たっては、内容は担当の方と相談して決定します。規模は、より身近に話が出来るように20人程度にしていきたいと考え、基本的には地域の集会所で行うようにしました。紹介用チラシに書かれている内容以外にも対応できるようにしており、メンバーでは対応できない場合は院内の職員に講師をしてもらいます。企業長や院長からも活動内容を賛同していただいているため、内容によっては医師にも講師のお願いをすることも可能です。もちろんボランティア活動のため、謝礼金は不要です。広報用のチラシも準備し、機材等もすべて持ち込みます。会の設営や撤収も主催する地域の方と一緒に行ったり、教室の後には参加者との交流の場として、質問や相談を受けたりしています。医師が相手だと緊張して、思いを伝えられなかったり、遠慮してしまう方も多いのですが、健康見守り隊は基本的に医師を支えているスタッフによる活動のため、聞きやすいことが売りだと思っています。 6. 活動の経緯 これまでの活動内容です。 7. さらなる試練…… これまで継続的に活動を行ってきましたが、2011年頃から依頼が減り、活動自体が行き詰ってしまいました。原因の一つとして考えられるのが、「健康見守り隊」の認知度の低さです。活動の中で「健康見守り隊」を地域の方に少しずつでも周知してもらえるかなと考えていましたが、なかなか思い通りにはいかず、フリーペーパーやチラシ配布での広報活動も期待していたような結果には至りませんでした。もう一つの原因として考えられるのが初期メンバーの交代です。「健康見守り隊」の発起人である西本は野々市市の市議会議員となり勇退され、他の初期メンバーも勤務多忙に伴い活動に参加できないことが多くなりました。新しく賛同してくれるメンバーを募集して連携は図っていたのですが、当初の勢いはなくなり、「健康教室」の開催よりも「健康見守り隊」の存続が心配される状況となりました。毎回同じメンバーで、内容もマンネリ化してきており、何か新しいことは出来ないかと頭を悩ませていました。2011年に開催した教室はわずか1件。その間に「健康見守り隊」のホームページを作ってみたり、自分の子どもが通っている保育園や学校に話を振ってみたりと、あらゆる手を使って広報活動を行いました。 8. 地道な活動が実を結ぶ 地道な広報活動やメンバー同士の連携をなんとか継続してきた「健康見守り隊」ですが、2015年に入りようやく依頼が来るようになりました。この依頼は、職員の通っている保育園や、過去に依頼を受けた婦人会からで、こちらから声をかけての依頼ではありませんでした。それはある意味、大きな前進です。内容も前回とは違うため「健康教室」として認められた証拠だと思いました。急な依頼にも、この時は飛びつくような気持ちで開催に踏み切ったことを覚えています。やはり依頼があっての「健康見守り隊」であり、地域の方々あっての活動だと実感させられました。2016年は7月までに3件もの依頼をいただき、どれも大変好評だったと聞いています。昨年は私もBLSインストラクターとして「AEDの使い方・窒息時の対応」のテーマでお話させていただきました。実際に対面してお話をすることで、文章だけでは伝わらないことや、参加してくださった方のその時の表情や気持ちを聞くことができます。この教室は地域の方々との交流として本当に有意義だと思いました。 総括・今後の課題 2008年に発足した「健康見守り隊」ですが、今年はこれまで以上に活動の幅を広げていきたいと考えています。そして一番の目的はやはり「地域交流」です。どんな形ででもいろいろな方とのつながりを大切にし、少しでもこの活動を利用してくれるように地道な活動を継続させていきたいと思います。 |
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