3. 3日目(2月29日)
(1) 国立幼稚園教員養成学校
このツアーで一番大切な日が来ました。教育施設を訪問し、役立ててもらうための支援物資をお渡しする日です。失礼のない服に着替え、まずは国立幼稚園教員養成学校をめざして出発です。ホテルから車で20分、すぐに着きました。きれいなところです。わざわざ、校長先生が出迎えてくださり、この学校の概要について説明していただきました。
国で唯一の養成学校で、今は先生になりたい人が国内各地から500人ほど来ており、パンク状態とのことです。カンボジアは若い人の比率が多く、子どもたちもたくさんいます。教えるべき子どもがたくさんいるものの、先生はまだ少ないのだそうです。
先進国等の支援メニューには、小学校建設などが多くあるものの、幼児教育の分野では支援が少なく、大変とのことです。しかし、この段階からしっかりと子どもたちに教えていかないと、小学校での教育へはつながっていかないとのことでした。学校には幼稚園を併設しているとのことで、理論と実践が一体の形で、学べる場となっています。
学生たちは、卒業後、地元に赴任しますが、日本のように教材が与えられるわけではないので、ほとんど手作りの教材を使用しているそうです。赴任先では、材料を手に入れるのが大変なので、この学校に就学しているときに制作したもので対応しているというのです。この話を聞いた時、すごいところだと思い、支援を継続的に行っていく必要があると感じました。
物を大切に扱う人びとばかりで、昔、自治労が支援して建設した校舎や物資は、今も使われていました。自治労京都府本部が15年前に贈った車も、現役で活躍していました。
高橋委員長より、パソコンやプリンター、教科書などの物資が手渡された時には、本当に喜んでくれているようでした。カンボジアでは、国からの支援もまだ少ないのだそうです。
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教科書などを贈呈 |
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各地から集まった、将来の幼稚園教諭 |
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自治労が支援して建設した学校 |
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現在も活躍する、15年前に贈呈したワゴン車 |
贈呈後、施設見学をさせていただきました。
水道等の設備が十分ではなく、トイレから出ると、水甕から桶で水をすくって手を洗います。また、学生の寄宿舎がありますが、10畳くらいの狭い部屋に何人もで生活していました。畑を耕して自給自足の生活をし、余った作物は売っているそうです。話をきくと、だんだん泣けてきました。
教室は、将来の、幼稚園教員の姿でいっぱいで、先生の話を熱心に聞いていました。男性も何人かおり、頑張っているそうです。
帰り間際、出先から帰ってきた生徒を見かけましたが、狭いバイクタクシーに7~8人も乗っていました。車を大切に使っていることの意味を、感じさせられました。
さて、いったんホテルに戻り、昼食をすませて、午後からはNGOが運営する寺子屋の見学と支援物資の提供です。
途中、茶色い液体を詰めたペットボトルを、道端で売っているのを見ました。聞いてみると、ガソリンだそうです。ガソリンスタンドが十分になく、道端で売るのが普通だそうです。年中気温が30度の国で大丈夫かなと思いつつ、別のところに目を移すと、道路舗装をしている工事現場の横2メートルほどのところで、ハンモックに乗ってバカンスしている人がいました。しかも、そのまたすぐ横ではフルーツドリンクを売っています。日本では考えられないおおらかさに、カルチャーショックをうけました。
(2) SCADPが運営する児童保護施設
さて、SCADP(ストリートチルドレンの支援と発育プログラム)の寺子屋に着きました。
向こうは準備万端、待ってくれていました。まずは、お互いに挨拶し、そのあと歓迎の踊りを披露してくれます。じつに優雅ですね。手の指がなんと、逆に30度ぐらい曲がっています。すごいです。
また、伝統的な曲だけでなく、英語の歌に合わせながらも踊っています。意味もわかっているのでしょう。鼻や手、ひじなど英単語に合わせて、その個所を触っていました。
さて、この施設は、親がいない子どもや、さまざまな事情で親が育てられない子どもに対し、生活の場を提供し、勉強を教える場です。20年ほど前から活動しているそうです。子どもたちは30人ぐらい。にぎやかで、何人かは生活もしているそうです。しかし、運営はかなり苦しいとのことでした。
交流タイムは子どもたちと |
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それでも、子どもたちは、私たちを笑顔で迎えてくれ、本当にうれしい気持ちになりました。交流タイムでは、持ってきたオモチャや紙風船で遊んだり、折り紙やお絵かきしたりしました。
私は、紙風船で子どもたちに遊んでもらうことになりましたが、約30分もフル回転で動いていると、倒れそうになりました。子どもたちは元気でまったく疲れていない様子です。周りを見ると、近くに住む子どもや大人もやってきて、さらににぎやかになっていました。ほんの少しの交流でしたが、とても楽しくて、あっという間に時間は過ぎ、別れを惜しみつつ、施設を後にしました。
(3) プノンペン空港へ
プノンペン空港に到着し、ガイドのモニーさんともお別れです。彼は、このあと、なんと約8時間かけて帰られるそうです。50歳ぐらいだったと思いますが、大変です。
全行程を終え、ホーチミンを経由して日本へ帰ります。移動が大半を占めたツアーでしたが、考えさせられることはたくさんありました。
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