【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第1分科会 ~生きる~「いのち」を育む・いかす、支えあう

 中津江振興局(支所)での勤務を通し、市民、特に高齢者の日々の暮らしに目を向けてサポートできる仕組みが必要ではないかということを考えた。日々の暮らし、つまり重い家具の移動や窓ふき、庭の草むしり等は、行政ではできないサービスに分類される。
 ならば、家庭で起きる暮らしのちょっとした困りごとを、住民同士の支え合いで解決していこうと立ち上がった"NPOつえ絆くらぶ"の活動を紹介。



「NPOつえ絆くらぶ」発足の取り組み


大分県本部/日田市職員労働組合 相垣 幸博

1. 原点は「丸蔵ふるさと見守り隊」

 2009年4月に、地域振興部中津江振興局総務振興係に配属。
 「お年寄りばっかりで大変なところだから、交流イベントなどをやって元気にすればいいんだな」とか思いながら、新しい職場に入った。
 前年度の担当者が概ね仕事の流れを作ってくれていたので、とりあえずは、スムーズな滑り出し。大分県と日田市とで後押ししながら、市内で最も高齢化率が高い、丸蔵地区(自治会)の皆さんが2008年に立ち上げた「丸蔵ふるさと見守り隊」の活動支援から始まった。
 「見守り隊の活動が順調にいけば、地域が元気になる」と、本当に思って仕事をしていたが、途中から少しずつ違和感を覚え始める。さも、地域の人たちの思いで見守り隊を作ったような形にはなっているが、市や県など行政の都合で、無理やり作って神輿に乗せただけではないのか……。
 会議をするにしても、事業をするにしても、中心になって動かしているのは、私たち市の職員だった。

2. 70軒の世帯調査

 そこで、もう一度地域を知る必要があると思い、「集落点検」というものをやってみよう と思い立った。
 そこで、フリーライターとして九州各地を取材し、また、数々の地域おこし活動にも関わっている、森の新聞社主宰の森千鶴子さんに相談した。
 もともと、単語でしか「集落点検」という言葉を知らなかったのだが、森さんから「集落のことを知るには、それを形成している家のことを知る必要があるのではないか」というアドバイスをいただいた。
 ふむふむと、何となく納得して、丸蔵地区の全部の家を訪問し、その家の歴史や食べ物、思い出などを聞きとる羽目に。
 15人の振興局職員に、本庁企画課の職員、緑のふるさと協力隊員などで手分けして、2か月をかけ70軒を訪問した。
 調査とか聞き取りとかいうものではなく、内容はほぼ世間話。一軒1時間くらいを目安にしていたが、平均すると2時間くらいはかかっただろうか。時には、昼ごはんをご馳走になることも。
 世帯構成でいうなら、爺さんと婆さんの二人で暮らしている世帯が圧倒的に多いし、一人暮らしの年寄りもたくさんいた。

3. 自分に置き換えてみた

 ふと、自分の生活に目を向けた時に、私は幸いにも市役所に勤めさせていただいているので、地元(上津江)で生活をすることができている。3人の子どもは、就職や進学などで家を出ているが、とても元気でバリバリに働く80代の両親と、妻の4人暮らし。
 親宛に役所から来た書類は、私のところに回ってきて、内容を説明しなければならない。これが、公務員の私が読んでも意味がわからないことが多い。
 時々、食卓に置いてあるテレビのリモコンのどこかに触れて、言葉のわからない韓国ドラマが映し出されていることもある。
 また、慶事や仏事の封筒書きも私たちの役目。
 今、世帯調査をさせてもらっている爺さんたちは、役所からきた書類を読んで理解できているのだろうか……、テレビが韓国ドラマになったら、どうして復活させているのだろうか……、震える手で一生懸命"御仏前"とか書いているのだろうな……と思うようになり、なぜ、息子や娘のところに行って一緒に暮らさないのかといった疑問や、一方で、こんな爺婆を山奥に放置しておいて、子どもたちは平気なのかという怒りなどを覚えた。
 だが、話しを聞くと、爺や婆はここに住み続けたいと思っている。また、理由はいろいろあるだろうけど、中津江に帰ってくることができない若夫婦もいるということにも気づいた。

4. 支え合いの仕組みづくり

 んなら、わかった。そんな爺婆の暮らしは、いちいち行政が対応するものではないので、住んでいる自分たちがなんとかしよう
 ということで、地域でお互いが支えあう仕組みがあったらいいと思いませんか と、上津江、中津江の皆さんに呼びかけを始めたのが、2011年の秋頃。いろんな会合に顔を出しては、民生委員や、社会福祉協議会の職員、PTAの役員などに話しをしてみた。
 2012年から「支え合いの仕組みづくり検討会」をスタート。
 仕事としてでも強制でもなく、賛同する人たちが集まり、毎月第4木曜日を定例会の日と決めた。
 始まった当初は、従来の会議方式では物事をちゃんと決めることはできないと思っていたので、ワークショップを進めるファシリテーションの手法を学びながらの試行錯誤の繰り返し。
 みんなの意見を大切にしながら、みんなで決めていく。
 役所からたたき台を提案することはせず、全てを参加者の同意によって決まるまで、何度も同じテーマで話し合う。そのおかげで、「その話は先月も先々月もしたばい」と、なかなか進まないこともあったが、今、思うと、その繰り返しさえも、メンバーがそれぞれの考えを理解しあったり、支え合いの理念を共有するためには貴重な時間ではなかったかと思える。

5. NPOつえ絆くらぶ発足

 そうして、2013年3月に「NPOつえ絆くらぶ」が誕生した。私はその年の4月に、他の部署に異動になったので、仕事から解放されて自分のライフワークとして、「つえ絆くらぶ」に関わることができるようになった。
 おおまかに言うと、庭の手入れや窓拭きなど、暮らしのちょっとした困りごとをサポートする有償ボランティアグループ。
 現場では、現金のやり取りはしたくないということで、あらかじめチョイてご券(会員1枚300円、非会員同400円)を買ってもらうことにした。
※ 「てご」は方言で、"手伝い"の意

 一人が30分のお手伝いをして、1チョイてご。2人が2時間活動すると8チョイてごになる計算だ。
 券1枚につき、活動に行った本人には200円が支払われ、残りは事務局の運営費に充てられる仕組みになっている。
 依頼の大半は、梅雨時期から夏場にかけての草刈りだ。時には、耕作放棄地の草刈りもあり、「暮らしのちょっとした困りごと」の範囲を超えている感もある。しかし、ご先祖さまから受け継いだ土地を荒らしてはならないという思いは、暮らしの困りごとではないにしても、重大な問題でもあるに違いないと思うと、放ってはおけない気もしている。
 もう一つの中心事業が、おすそ分け野菜"縁"。
 私が所属している、日田ソーシャルビジネス研究会のメンバーからの提案で、始めてみた。
 自家用野菜で食べきれない分を買い取る仕組み。高齢者世帯などを中心に週に一回巡回し、野菜を集荷する。市場や、産直店に出荷するような包装は必要なく、家で採れたジャガイモや玉ねぎを、都会で暮らしている子どもに送ってあげるときと同じ感覚で、コンテナに入れてもらう。
 各家庭には、主に「つえ絆くらぶ」のメンバーが巡回し、野菜を集めるという大義名分のもと、世間話をするなかで、変わったことや困っていることがないかのリサーチも行える。
 集めた野菜は、市内で惣菜店を営む「まめろし」さんがすべてを買い上げて、おいしい料理にしあげて、レストランでお客様にも提供している。

6. 評価は最期で

 発足から2年が経過し、動き始めたばかりという、言い逃れはできなくなってきた感があるが、一つひとつの活動は常に見直し修正している。
 爺や婆が息を引き取る時に、「田舎(故郷)を離れずによかった。最期までここ(田舎)で暮らすことを決めた自分の選択は間違ってなかった」と思わせたいという表向きの目標と、自分がこの地で安心して暮らし続けたいという、裏の目標をかなえるためだ。