【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第1分科会 ~生きる~「いのち」を育む・いかす、支えあう

 「県民-県-県議会が一緒につくった条例」 ―― 障がいのある人が、自分たちも力を合わせてつくったという実感を持てる条例が生まれた。今年(2016年)3月に成立した「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例」は、前文に障がい者やその家族の思いを書き込み、「親なきあと」「性・恋愛・結婚・出産・子育て」「防災」などを課題として明記している。条例づくりの経過と意義を障がい者・市民の立場から報告する。



出発点は障がい者と家族の思い
―― 「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる
大分県づくり条例」が生み出したもの ――

大分県本部/大分県地方自治研究センター・在宅障害者支援ネットワーク・事務局長 小野  久

1. はじめに

 2016年7月24日、大分市の目抜き通りで障がいがある人たちを中心に150人以上が参加したパレードが行われた。今年3月に成立し、4月1日に施行された「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例」の"お知らせパレード"だった。
 このパレードを呼びかけたのは障がいがある人たちだった。その思いは「1人でも多くの県民に条例ができたことを知らせたい」、そして「条例を絵に描いた餅にしない」こと。成立した条例には、障がいがある人やその家族の思いが書き込まれた前文があり、さらに「親なきあと」「性・恋愛・結婚・出産・子育て」「防災」など、これまで制定された他県の条例にはない条文が書き込まれている。思いを込めて実現にこぎ着けた条例を、障がいがある人自らが声を上げ、広く県民に条例を知らせ、条例の内容を実現するために自ら行動したいという思いが形になったパレードだった。
 パレードで配布されたチラシには「県民-県-県議会が一緒につくった条例です」と書かれ、呼びかけに応えた県障害福祉課や会派を超えた県議会議員などもパレードに参加し、多くの県民に知らせ、地域づくりを進めていきたいという思いが様々な立場の人に共有されていることを互いに実感できる行事になった。
 条例づくりに取り組み初めてからほぼ5年。障がいがある人たちが、この条例にどのような願いを込めてきたか、そしてどのような取り組みによって条例制定を実現させたのか、そしてこれからどう進もうとしているのかを紹介したい。


2. 動きは障がい者・市民から

(1) 「条例をつくる会」活動開始
 大分県条例づくりは2010年秋から準備が始められ、2011年6月4日に大分市で「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会」結成総会が開かれた。参加したのは、従来の障害者団体の枠にこだわらず、個人として手を挙げた障がいがある人、家族、福祉関係者、ボランティア、弁護士、学者、行政OBなど多様な人たち。
 結成総会では、障がいがある人や家族から次のような声が出された。
 「私が参加したのは、生まれつき脳性マヒという障がいを持ち、言葉も不自由でうまく話すことができない。片言しか話せないから低く見られたり、軽い扱いを受けてきた。そういう人の存在を皆さんに知ってもらいたかったから。障がい者だけが頑張らなくてもありのままを受け入れる社会を条例づくりを通してつくっていきたい」
 「差別は遠くではなく身の回りにある。それを背負うことになるのは母親だ。母親の思いを受けとめた条例にしてほしい」
 障がい者2人、家族1人を含む6人の共同代表を選出し、県内に6つの地域班を設置して取り組みを進めることになった。取り組みの具体化は世話人会で話し合うことになったが、世話人会には毎回50人前後の多様な会員が参加して、率直な意見交換が行われた。何より重視されたのが障がい者と家族の声。最初の取り組みとしてアンケートと聴き取りによって障がい者と家族の声を集めることになった。

(2) アンケートと聴き取りの実施
 アンケート用紙の作成のために3回の世話人会が開かれた。そのなかで、「不安なこと」「つらかったこと」「差別だと感じたこと」「地域や周りの人にお願いしたいこと」とともに、「うれしかったこと」も尋ねようということになった。当初、用紙は1,000枚準備したがすぐになくなり、追加を重ね最終的に4,000枚を配布した。2011年9月、取り組みを開始すると、すぐに回答が寄せられ始めた。
 「障がいのある私を見て、親が子に『悪いことをしたらああなる』と話していた」「知的障がいの子どもがパニックになると気持ち悪そうに避けて通られる」「アパートを借りるのに視覚障がいといったら断られた」などの差別の事例。トイレや駐車場の整備、医療機関の対応など様々な要望。「災害の時に放送やサイレンが聞こえない」という聴覚障がい者の声。親が亡くなった後を心配する「親なきあと」の課題を指摘する声、等々。
 また「あいさつを返してくれると救われます」(精神障がい者)、「うれしいのは息子を見てニコニコしてくれること」(知的障がい家族)など、周囲の対応で救われたという声も寄せられた。
 「聴き取り」については、アンケートでは届きにくいことや直接意見交換することで明らかになる課題もあるのではという意見を受けて実施することになった。福祉事業所や家族会の協力を得て行われた聴き取りの結果、「家族の誰一人として病気になれない」「学校が障がいを子どもに教えていないのでいじめや孤立が起きている」「子どもが大きくなって重くなり、親が抱えることが難しくなっている」など切実な声が寄せられた。
 また、つくる会の世話人会や地域班会議などでも意見が多く出され、その中で「女性としてみられる前に障がい者として扱われる」「障がい者は子どもを産むことを認められていない」などの重要な問題提起があり、全体の課題として取り上げられることになった。

(3) アンケートが明らかにした現実と方向性
 アンケートは1,000人を超す人たちから寄せられ、聴き取りでは約200人から直接話を聞くことができた。まとめ作業は、障がいごとに、障がい当事者や家族が中心になってそれぞれ5~10人のまとめ作業班を設置して行われた。
 知的障がいでは「この子と死にたいと思った」「息子をこのように産んだことを責めてしまう」という声。
 身体障がいでは「まともに見てくれない」「ぞんざいな言葉づかいをされる」。
 精神障がいでは「働かないものは死ねと言われた」「この子には私より長生きしてもらいたくない。他の家族に迷惑をかけられない」。
 発達障がいでは「幼稚園で家族の問題と言われた」「学校で障がいのある子ときょうだいが必ずペアにされる」「1ヵ月でも息子より長生きしたい。残酷な切ない願いです」。
 高次脳機能障がいでは「何度も死のうとしたが死ねなかった」「高齢化し本人より先に死ぬことがないかと不安」。
 重度心身障がいは「公立幼稚園から断られた」「親が老いたときに一緒に入れる施設がほしい」。
 衝撃的な現実が明らかにされ、共有された。
 まとめた担当者からは、「正しい知識が必要」「家族も含めた支援が不可欠」「『障がいは普通』と思える社会になって、当たり前に手助けできるようになれば」「誰がいつ障がいになるのかわからないのだから、逆の立場になって考えられるようにしたい」などの意見が出された。アンケート開始からまとめまでかけた期間は約1年間。これらのまとめをもとに、つくる会としての条例案づくりが始まる。


3. 条例づくりの進め方

(1) 条例案の作成
 2012年7月、条例案をまとめるために県条例をつくる会の中に「条例づくり班」が設置された。「条例づくり班」には弁護士や大学の研究者などの専門家だけでなく、障がいがある人や家族も参加した。つくる会は個人参加の原則を決めており、障がい者団体との調整などはせずに市民の立場から、アンケートと聴き取りで寄せられた障がいがある人と家族の声をもとに条例素案をつくるという原則で作業を進めた。半年かけて議論を重ね、次のような枠組みを持った「骨格案」がまとめられた。
① 「思い」と「生の声」を込めた[前文]
② 「障がいは個人や家族の責任ではない」という"社会モデル"に基づいた[総則]
③ 「親亡き後」や「防災」、「性・結婚・出産・子育て」などを盛り込んだ[実体規定]
④ 障がいがある人と家族が参加する「障がいがある人の権利委員会」と「推進会議」、公募による「相談員制度」を設けた[問題解決・推進手段]
 障がい当事者と家族が中心になって作成された前文は、アンケートで寄せられた以下のような声をそのまま入れている。「障がいのある夫婦が妊娠したときおめでとうと祝福されず、自分のこともできないのに自分で育てられない子どもを産んではいけないと親になることも許されない」「親戚からうちの家系にこんな子はいないと言われた」「願わくはこの子に私より先に死んでと思ったことがある」……。
 本文の"7つの柱"については、県条例をつくる会のニュースレター「わたしもあなたも」第9号が以下のように紹介している。

(2) つくる会条例案の"7つの柱"
① 基本は「社会モデル」
 障がいはこれまで、一人ひとりの問題として本人と家族が背負い込んできた。世界では今、障がいは社会の問題であり、社会が理解し受け入れる制度を作っていないために生まれる状態だという考え方に大きく変わっている。この考え方を「社会モデル」と言い、この条例はそのような考え方に立ってつくられる。
② 「合理的配慮」をしないことが差別
 これまで、差別は「不利益な取り扱いをすること、されること」と考えられてきた。障がいがある人が他の人と同じ様な生活をするために必要なこと=「合理的な配慮」を社会の側がしない事が差別なのだという世界的な考え方を取り入れている。
③ 「自立」には手助けが必要
 私たちはこれまで「できるだけ人の手助けを借りずに生活する」ことを「自立」と考えてきた。このような考え方では、障がいの問題は理解できない。自立とは、自分のやりたいことを自分で選んでいけること。そのために手助けを受けることは当然の権利であり、自立することと手助けを受けることは全く矛盾しない。
④ 「親亡き後」の解決を重視
 多くの親から不安の声が寄せられた「親亡き後」の問題を最も大事な問題として取り上げた。だれもが解決したいと願いながら解決できなかったこの問題を、日本で初めて盛り込んだ。
⑤ 「性・恋愛・結婚・出産・子育て」を盛り込む
 障がいがある人にとっての性、恋愛、結婚、出産、子育ての問題をこの条例案は極めて大切なこととして書いている。性や恋愛の問題を書き込んでいる例は日本ではまったくない。日本中のすべての方々に投げかけるという意味も持っている。
⑥ 障がいがない人も暮らしやすく
 障がいがある人が暮らしやすい大分県をつくるということは、大分で暮らそうとしているすべての人が暮らしやすい大分をつくることになる。私たちすべてが当事者として、この町をどんな町にしたいかを考えるという立場を書き込んだ。
⑦ "災害"に今から対応
 災害時、障がいがある人とその家族は大きな犠牲を被ってきた。その歴史を踏まえ、今からきちっと取り組んでおくべきことを明記した。
 このような原則に基づいた「骨格案」が、2013年3月2日のつくる会臨時総会で「条例素案」として承認され、県議会や県に対して提示されていくことになる。

(3) 県議会への請願
 会としての条例案をもとに県議会との意見交換を行った結果、県議会に条例制定の請願を提出することになり、2013年7月から署名活動を展開。2万1,258人の署名を集め、11月に県議会議長に提出した。県議会は2014年3月議会で請願を全会一致で採択。これを受けて県が条例制定を進めることになった。


4. 県による条例づくり

(1) 条例検討委員会の設置
 県議会の請願採択を受けて条例づくりを進めることになった大分県は、 障がい福祉団体や関係団体(県医師会、県経営者協会、県私学協会、県商工会議所、県宅地建物取引業協会、県バス協会、大分放送)の代表ら16人で構成される条例検討協議会を設置した。2014年12月3日に第1回が開かれ、2015年2月24日の第2回会議では県が作成した「条例素案」が提案され意見交換が行われた。この会では、検討委員として参加した条例をつくる会の徳田靖之共同代表(弁護士)が意見を述べた。
 「私たちが求める条例は、『障がい者』とよばれる人だけの条例ではない。人はみな生きづらさを抱えているが、生きづらさを最も強く引き受けてきたのが、障がい者とその家族だ。障がい者が安心して暮らせることが、大分県すべての人が暮らしやすい社会になることにつながる。そのために必要なことは『社会モデル』の考え方を社会の基本的な枠組みに組み込むことだ。県民の理解を浸透させ、条例の存在意義を示すためにも、わかりにくい障がいゆえに周囲に理解されない苦痛、多くの母親が『障がいのあるわが子より一日だけ長く生きたい』と願うという悲痛な現実を何らかの形で前文に表現すべきだ」。
 つくる会と県の間で「意見交換会」も持たれた。つくる会に参加している母親からは、親なきあとについて「障がいのある子どものために頑張った最後のご褒美として安心して死んでいけるようにしてほしい」、障がい当事者から「これから障がいをもつ子を産まない選択が増えていくかもしれないが、大変なこともあるが私は幸せであると伝えたい」、また防災について「自閉症の人がまったく避難所にたどりつけない」という現状なども示された。これに対して、障害福祉課長から個人の意見として回答があり、意見の違いはあったものの参加者からは「熱心に話を聞いてもらった」という感想が聞かれた。

(2) 県の条例案
 県は、最終的に2015年10月8日に開いた第4回条例検討協議会で「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例(案)」をまとめた。
 条例をつくる会として検討した結果、「女性の複合的差別が入っていない」ことなど課題は残ったものの、「前文に障がい者や家族の思いが書き込まれた」「合理的配慮の定義が入った」「自立について『支えを受けながらの自立』が入った」、「県の責務に『親なきあと』『性・恋愛・結婚・妊娠・子育て』『防災』が入った」ことなどを評価し、受け入れることになった。
 条例制定を求める請願の紹介議員の一人になった保守会派に所属する土居昌弘議員は、2015年12月県議会で以下のように質問を行った。
 「この条例案は単に国の差別解消法にもとづいた条例ではありません。この条例案は障がいのある人もない人も、多くの県民が力を合わせ心も合わせて知恵を絞りながらつくろうとしたものです。県民のすべてが自分の問題として感じられ、誰もが当てはまる自分らしく生きることにアプローチする条例を待ち焦がれています。条例案の前文部分は、条例をつくる会の皆さんや障がいのある方々の声を反映した大分県独自の素晴らしい内容になっています。県の責務で障がいのある人の性や恋愛・結婚・出産・子育て、そして『親なきあと』の問題にまで言及しており、全国どこにもない画期的なものです。この条例案の作成過程も重要でした。県民と行政と議会とが関わり合ってつくったのは、私は県政史上初めてではないかなと思っています。この事は、今の県民目線の県行政の一つの金字塔だと考えています。だからこそ、『障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例』の制定に大いに期待を寄せている一人です。障がいのある人もない人もすべての人々を包み込む社会が大分県にいつの日か実現することを心底願って質問を終わります。」
 条例案は、2016年3月の県議会に上程され、全会一致で可決成立した。


5. 条例成立後の取り組み

 つくる会は条例の成立を受けて、4月10日に第5回総会を開いた。約80人の参加者は、「できてよかった」「本当にうれしい」と成立を喜びながら、「県民に知ってもらいたい」、「子どもたちに伝えたい」、「学校の先生にも知ってもらいたい」などの願いを述べた。そして今後、会の名前を「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」に変更して、以下のような方向で取り組んでいくことを確認した。
① 県条例を絵に描いた餅にしないために取り組みを続ける。
② 「親なきあと」「性・恋愛・結婚・出産・子育て」「防災」について具体的な対策を検討するよう県に働きかける。
③ 条例によってできた「差別解消・権利擁護センター」を活用する。
④ 県内の全市町村に条例ができるよう働きかけを行う。
⑤ 条例を知らせるパレードに取り組む。
 総会を受けて、冒頭に紹介した条例を知らせるパレードが行われた。また、いくつかの市で市条例づくりの動きが始まっている。すでに条例が制定されている別府市では、災害時要援護者の防災や学校への講師派遣など、条例に基づいて様々な取り組みが市民との協働事業として開始されている。
 市民サイドから行政に働きかけ、県段階の取り組みと市町村段階の取り組みを連携しながら進めることで「だれもが安心して暮らせる大分県づくり」を進めるという新たな試みが広がろうとしている。