【要請レポート】

第36回宮城自治研集会
第2分科会 ~生きる~「いのち」を守る

 いわきおてんとSUN企業組合では、福島県内の子どもたちが自然エネルギーについて学び、体験する講習会を県内各地で実施している。それにより、福島県の未来づくりに子どもたちが自然エネルギーの活用という形で参画し、各地域の課題解決に繋げ、子どもたちが誇れる福島県を共に創ろうとしている。



子どもたちが作る希望の灯り地域連携事業


いわきおてんとSUN企業組合

1. はじめに

 東日本大震災後、福島県いわき市を拠点として事業を開始した弊企業組合では、「コミュニティ電力事業部」として「市民の力でのエネルギー転換」の実現をめざす活動を継続してきた。本事業では、その中でも、子どもたちに対する学びの提供を目的としている。これは、県内各地の子どもたちが自然エネルギー、特にソーラーでの発電について学び、実際にソーラーパネルを手作りすることで、電気を生み出すこと自体を体験する講習会の開催である。こうした講習会を、昨年度は福島県からの助成を受けながら県内各地で実施してきた。また講習会で子ども達が制作した太陽光パネルを、福島と同じように大きな地震災害に見舞われたネパールの学校に提供し、希望の灯りを届けることで、福島の子どもたちによる国際貢献、国際親善の形を生み出してきた。
 本事業は、福島県の未来づくりに子どもたちが自然エネルギーの活用という形で参画し、各地域の課題解決に繋げていくこと。活動を通じて子どもたちを中心とした新たなネットワークを構築すること。本事業を通じて子どもたちが誇れる福島県を創出することをめざしている。


2. 企業組合のあらまし

 いわきおてんとSUN企業組合は、2013年2月その産声をあげた。東日本大震災後の混乱した被災地域の中で、未来志向の活動を実践していた3NPO法人(ザ・ピープル/ふよう土2100/インディアン・ヴィレッジ・キャンプ)の代表者が、協働して事業展開することにより、福島県における震災及び原発事故からの復興に向けた着実な動きを生み出すことをめざしての立ち上げであった。そして、地域が抱える問題を地域資源の活用により解決し、地域に新たな産業と雇用、希望を生み出すことを目標として掲げた。その取り組みを事業として安定した形で進めることのできる体制として、企業組合という組織形態を選んだ。参画者は、理事6人。スタッフとして2人の雇用を生み出している。具体的には、3事業部を持つ。

(1) オーガニックコットン製品の商品企画、販売事業
 原発事故後加速度的に増えた耕作放棄地において、食用でない作物である綿花栽培を通して農業再生を進める取り組みの安定化をめざし、事業として成り立たせるための商品を開発。その販路を開拓する。

(2) コミュニティ電力事業
 単なる売電目的ではない自然エネルギーでの電源開発、有機農業と連携したソーラーシェアリング、自然エネルギーによる電源供給、自然エネルギー教室の開催など具体的な動きを通して、福島県内における市民参画型のエネルギーのあり方、エネルギー転換を進める。

(3) スタディツアー・有機農業事業
 単なる観光から脱却し、復興に向けて具体的に取り組む上記二つの事業をメインコンテンツとした「学び」を提供するツアーを実施。震災、原発事故を単なる被災として観光資源化するのではなく、被災から住民自身が立ち上がる姿にこそ学びがあるとのスタンスで、いわきの復興をツアー参加者と共に考える内容で構成する。これを研修ツアー商品として整備する。更に、事務所周辺の農地で有機農業に取り組み、その現場において農業体験を提供できる形をも構築する。


3. コミュニティ電力事業部の推移

(1) コミュニティ発電所の建設
 本事業部立ち上げに至るには、震災後の様々な経験がその根底にあった。「政府が悪い、東電が悪いと他を責めていては何も変わらず、何が基準なのかもわからず、結局は自分の判断で動くしかない。言えるのは『原発だけはこりごり』という思いであり、そうしたいわき市民の思いを伝える事業として、自分たちで自然エネルギー発電所を作りたいと考えた。」これは、本事業部を担当する島村守彦理事の言葉であるが、まさにこの思いの下に本事業部は活動をスタートさせた。
 震災後、福島県内でもメガソーラーや洋上風力等の再生可能エネルギーのニュースが流れ、盛んに企業誘致が行われた。しかし、それが地域経済の復興へと繋がるものとは思えなかった。都市部の大企業が大規模な施設を作り、発電されたエネルギーも収益も都市部に持っていってしまうものであった。弊組合の発電所は、大企業による収益事業としてのメガソーラーではなく、地域の人たちが自ら作り上げる小規模な発電所こそ意義があるとの考えに基づいたものであった。
 誘致とは真逆のやり方で、規模は小さくても自分たちで作り上げる、そうした理想を実現させることは福島からのメッセージでもある。そうした思いで、我々はいわき市小川町に開設した発電所を「いわきコミュニティ発電所」と名付けた。
 その手法は、復興支援ボランティアと地域住民とが一緒になり、整地から太陽光パネルの設置までを行うものだった。必要資金1,400万円については福島県の太陽光発電実証事業(草の根部門)に応募し、建設費の3分の1の補助で444万円を確保し、残り3分の2の956万円は地元の信用組合から借り入れた。ちなみに整地に関して見積もりを取ったところ700万円ほどが提示されたが、これを自分たちで行うことにした。
 発電の状況は2014年4月に5,230kWh、売電金額では22万円の実績があり、天候が悪かった8月には4,306kWhで18万円の売電実績となった。月に一回は発電の状況と機器のチェックを組合メンバーで行っており、維持費用は自然災害の保険が約2万円となっている。借り入れをした銀行への返済が7年間で月額12万円なので投資回収は7年で終える予定である。そして、それ以降の収益金は組合を通じて地域づくりに使うことになっている。
 参加したボランティア人数は160人を超えた。ボランティアが集まるのか不安もあったが、タイヤメーカーのブリヂストンが趣旨に賛同し、多くの力強く心強いボランティアチームを派遣してくださった。このボランティアチームは、単なる現場作業だけではなく、津波被災地視察や復興商店街の訪問、コットン畑での農作業も合わせて行い、作業後は明日のいわきを共に考えるワークショップも実施した。被災地復興スタディツアーとして意義深いものになり、ともに汗を流す仲間としての関係に変わっていった。発電所ではその汗の成果としての発電が始まり、コットン畑では綿の収穫となり、2013年5月25日の発電所竣工式、6月22日のコットンTシャツの完成お披露目式など、その瞬間を共に喜び、時間を共有することができた。

(2) 自然エネルギーによる電源供給・レンタル事業
 弊組合の事業を知り、地域活動や復興イベントを商用電力ではなく、自然エネルギーで行いたいとの相談が寄せられることが多くなってきた。そこで、独立電源を活用したコンサート、クリスマスイルミネーションや名所のライトアップを手掛けることを積極的に行っている。その場所には通常の電源があるのだが、自然エネルギーをあえて使いたい、それが福島県民の主張である。実際に自然エネルギーのみを使ってイベントを開催するのは大変な労力が必要だが、多くの主催者から、今まで考えることがなかったコンセントの先を考え、自然エネルギーを使うことで福島の思いを込めたいという要望が聞こえている。
 こうした要望に応えるため、弊組合では、2台の電源供給車両を整備している。1台は、地域のバッテリー関係企業から提供を受けた蓄電池を搭載し、ソーラーで発電した電力を蓄えて現場に運ぶ形をとっている。もう1台はSVOでの発電設備を搭載し、廃食用油を投入すれば車内設備で精製し発電まで行える仕組みになっている。これらの車両を活用して屋外型イベントへの電源供給を行うほか、自然エネルギー教室の開催時にも活用をしている。

(3) 自然エネルギー教室の開催
 いわきコミュニティ発電所建設と並行し、太陽光パネルを手作りするワークショップや講座にも早稲田大学のW-BRIDGE事業から支援をいただき、仮設住宅やいわき市内の中学校において講習会を開催した。仮設住宅では、原発事故により双葉郡八町村から避難されている方々と太陽光パネルを手作りし、仮設住宅内の集会場に明りを灯した。中学校では生徒たちと作った太陽光パネルを使って防犯灯を立てた。教室や講習会の目的は、自然エネルギーは特殊なものではなく、ちょっとした知識で自ら作ることができ、活用できるものであることを広く伝え、体験し、学ぶことであり、こうした学びが福島の未来を担う人材へと繋がることを願っている。
 多くの小中学校から講習会の開催依頼がくるようになり、いわき市からも活動について理解いただき、支援体制が整いつつある。そうした動きが、福島県からの助成を受けた形での本事業の実施へと繋がった。


4. 事業実施概要

 福島県内での自然エネルギー教室は以下のような概要で進められた。

(1) 当日の流れ
 集合⇒自然エネルギーについての大まかな説明⇒作業体験内容の説明⇒作業体験(※ 4時間程度)⇒発電の確認⇒スケジュールによって完成したソーラーパネルの設置作業⇒感想の発表
 ※ 作業体験は会場や主催団体の意向、拘束時間の制約などにより4パターンに分かれる。
   Aパターン:共同でのソーラーパネル制作まで
   Bパターン:共同で制作したソーラーパネルの設置・利活用まで含む
   Cパターン:個々人が持ち帰ることのできるミニタイプの作品制作まで
   Dパターン:ソーラー電源で動くおもちゃなどを使用しての体験まで

(2) 実施状況
地域 月 日 実施場所 子ども
参加者
父兄等
参加者
制作パネル数 教室のタイプと
設置防犯灯数
いわき市 8月8日
9月12日
11月28日
2月27日
いわき市勿来吹風殿
いわき市中央台公民館
いわき市立内郷公民館
いわき市立小川中学校
77人 21人 21枚内19枚ミニパネル、内1枚破損 C 0
D 0
D 0
B 1枚
南相馬市 8月2日
8月22日
12月23日
3月12日
ソーラーアグリパーク 78人 25人 30枚内25枚ミニパネル A 0
B 1枚
C 0
B 1枚
県中
県南
6月6日
9月26・27日
12月5・6日
12月19日
玉川村立須釜小学校
鮫川村ぽんた山
ムシテックワールド
白河市立五箇小学校
70人 27人 4枚 D 0
A 1枚
A 2枚
B 1枚
会津 10月31日
11月22日
会津若松市立門田小学校
会津若松私立鶴城小学校
23人 9人 2枚 B 1枚
A 0
県北 11月1日
11月3日
蓬莱学習センター
飯坂学習センター
40人 16人 2枚 B 1枚
A 0

(3) 各地区のまとめ
《いわき・広野》
 いわき、広野地区で5回の開催を計画し地域団体、学校関係に広報を行った。しかし広野地域では住民が原発事故前の半数しか帰還しておらず、子育て世代の帰還は更に少なく、結果として広野町での開催は断念することになった。また、勿来での開催においては夏休み期間ということもあり、持ち帰れるサイズのパネルを希望され、小型のパネルを参加人数の子どもの数の19枚を制作し、そのパネルで動くモーター、プロペラを会場側で準備いただいた。内郷公民館、中央台公民館の開催においては、時間的制約があり、パネル作りより、再生可能エネルギーの仕組みを子ども達に体験を通じて学ばせたいとの要請もあり、太陽光パネル、風力発電機、水力発電機を準備し体験型講習会を実施、パネル作りはできずに終わった。小川中学での講習会では、テニス部の女子生徒が、部活後の通学路に明りが無く、そこに自然エネルギーで防犯灯を立てたいとの希望で部員20人が参加した。グランド内と通学路に設置すべく2枚のパネル制作に挑んだが、残念ながら1枚が制作過程で破損し、設置用のポール立ても2ヶ所行ったが防犯灯として設置できたのは一か所となった。計画にあった高校での講習会は何校も折衝したが、時期的なこと、学校側のスケジュールと合わせられず、同地区での開催はできずに終わった。高校生についてはいわき地区での開催を断念し、県立安達高校及び相双地区で高校生対象に講習会を行うことになった。
《南相馬市》
 福島県助成事業での連携先となる福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会(2016年1月、団体名変更 あすびと福島へ)との連携にて、4回の講習会を開催。ミニパネルを含む30枚のパネルを制作し、内2枚のパネルを敷地内に「希望の明り」として設置を行った。第一回から第三回は小学生を中心とし募集を行い、12月23日の講習会では持ち帰れるミニパネルを制作し、ランタンまで子どもたちと作り上げ、各自家庭に持ち帰った。3月12日はいわき地区で開催できなかった高校生を対象とした講習会を実施し、地元工業高校、農業高校から7人の生徒と教員2人が参加、1枚のパネルの制作と「希望の明り」の設置までを生徒たちと協力して行った。参加人数は子ども78人、大人25人の103人となった。
《中通り 県南》
 中通り県南地区ではムシテックワールドでの一回開催の予定であったが、強い要請もあり、4ヶ所5回の開催となった。須釜小学校では時間的制約があり、パネル制作まで至らなかったが、多くの子どもたちが親が迎えに来てもその場を離れないほど好評で、その後参加できなかった子どもたちからまた来てほしいとの手紙が届いた。鮫川村では講習会の前日に子どもたちと勉強会を開催し宿泊、食事をともにしたこともあって、非常に楽しく講習会が開催できた。ムシテックワールドでは、夏季開催を計画したかったが予定が取れず、冬季の開催となり、各学校関係に最後まで参加呼びかけをしたものの、参加者が少なかった。五箇小学校では白河市役所、白河地区再生可能エネルギー推進協議会の協力もあり、父兄も講習会に参加し、当日中に希望の明りとなる防犯灯の設置まで行えた。
《会 津》
 会津地区、門田小学校での開催、計画当初、会津電力及び会津高原での開催を計画したが、どちらも現地までの送迎が必要となり、冬季のため道中の子どもたちの安全確保と参加しやすい環境を考え、NPOと学校側と協議の上で小学校二校での開催となった。地域性なのか真面目にコツコツとパネル作りをする子どもが多く、予定通り講習会を進めることができた。鶴城小学校には津波で母親を亡くし、避難している子どもさんも参加し、地域の子どもたちと一緒に作業をすることが何よりの友達作りになると校長先生より言葉があった。また手紙を送られ、また来てほしいとの声が多数寄せられ、その中に同じ震災被害を受けたネパールにパネルを送りたいと書かれており、自分たちで明かりを灯せることが、他の助けに繋げられると子どもたちが思ってくれたことに活動の意義を感じた。
《福島市》
 福島地区での開催は予定では一ヶ所だったが、地域団体からの強い要請もあり、二回の開催となった。蓬莱団地では地域NPOがチラシ、ポスターを使っての告知をいただいたが、当日、参加した子どもは4人にとどまった。しかしながら科学、工作に興味が高い子どもだったこともあり、少人数ながら無事にパネル制作ができ、開催後もメールで電気の仕組みについて問い合わせをいただき、現在まで何度もやりとりを行っている。子どもさんからは福島を自然エネルギーで支える人になりたいとの声があった。飯坂学習センターでは、放課後学習を行う団体にチラシを送付したが事前の申し込みは全く無く、当日ポスター掲載のみの実施となったが、幸いにも当日子ども向けのイベントが同会場で開催されていたこともあり、多くの子どもたちが集まった。4歳の子どもから中高生、また孫と一緒に参加したお婆さんもあり、参加者からは大変意義のある楽しい講習会だったとの感想をいただいた。学習センター及び、立ち寄られた福島市職員から次年度も開催要請があり、オープンスペースでの講習会のやり方について私達も学んだ形となった。

(4) 参加者の感想
● 海外からの参加者からは、子どもが太陽光パネルを作るなんて、世界でも福島だけだと感嘆の声があった。
● とにかく楽しかったし勉強になった。暗くなると光るのが自分で作れるのにびっくりした。
● また作りに来たい。今度は友達も連れて来たいと思った。 
● ものづくりの難しさ、楽しさ、発電の仕組みを始めて学び、体験できたことで楽しく学べた。
● 子どもには少し難しい作業だったが、それだけに完成した喜びが大きかった。(保護者)
● 難しかったけど、皆でやれば電気が作れることが分かった。
● 電気をつくるのが大変だから、大切にしないといけないと思った。
● 初めて作ってみて、屋根の上のソーラーパネルがこうして作られているのが解った。
● 環境を大切にすること、外国からエネルギーが輸入されていることが解り、太陽光発電が環境に良いことも解りました。
● 完成してすごく嬉しかった。20年ももつなんてすごいと思った。

(5) その後
 「震災の時、世界の人が福島を応援してくれた。今度は私たちが応援してあげたい。」福島の子どもたちが書いたメッセージを手に、弊組合のコミュニティ電力事業部長が、5月10日ネパールへと向かった。持参した荷物の中には、福島の子どもたちが、ハンダゴテを使ってセルを1枚1枚繋げて作った70cm角のソーラーパネル、3枚。昨年の地震で被災したネパールの学校に、福島から希望の明かりを灯すためだった。彼が届けた先はティストゥン村とカトマンズ市内の小学校。これらの学校では、震災で二階部分が倒壊し、一階部分も壁が倒壊しブルーシートで塞がれた、危険な状態の中で子どもたちは学んでいる。そうした状況にある子どもたちへ、福島から希望の灯りを届けたのである。
 子ども達からの同じ震災被災地であるネパールに太陽光パネルを届けたいとの思いを実現される手助けをしていただいたのは登山家の栗城史多氏。また栗城氏より紹介いただいた在日ネパール人のジギャン・クマール・タパ氏の協力もあり、海外支援では最も大きな課題である、現地の受け入れ態勢が短期間に確立し、設置する小学校の校長、村長さん、地域の住民までもが訪問を歓迎していただいた。
 タパ氏は3.11の直後、震災の被害で水道が止まり、原発事故の影響で放射能汚染の恐怖から全ての物資輸送が止まり、真っ先に外国人が避難したいわき市に25人ものネパールの皆さんが大型トラック3台を連ね、カレーの炊き出し、避難所の子ども向けのおもちゃ、おむつや大量の飲料水を運んできたリーダーであった。その後は南三陸、陸前高田、盛岡と東北各地を走り回られた恩人でもあった。この事実をタパ氏は全く語ることなく、現在は熊本に何度も炊き出し、支援に行かれている。彼のブログには断水が続き、原発事故による風評被害から支援の手が届いていないいわきに真っ先に行こうと書かれていた。
 そんなタパ氏の母国ネパールでは昨年4月に発生した大震災により、死者9,000人、倒壊した学校が5,000校を超えている。更に世界遺産でもある歴史的建造物の倒壊により観光が大きな産業である同国に多大な被害をもたらしている。元より急速な都市化によりライフラインが追いつかず、計画停電が毎日のように行われ、1日の停電時間が10時間を超えることも珍しくない状態であった。震災より一年以上が経過してもまだ粗末なテントが多く張られたカトマンズでは水道が出るのが5日に1日しかなく、正に震災直後の東北地域の被災地と同じ状況の中、子ども達は生活をしている。農業と観光によって支えられてきたネパールでは、3.11での東北の苦難が震災直後のように今も続いている。特に被害の大きかった中山間地域では収入が途絶え、子どもの人身売買まで発生しているという。
 3.11を経験した東北の人間だからこそできる支援、子ども達から地震を理由に希望を失わせない活動を行うべく、福島で実施してきた「希望の灯りプロジェクト」を福島の子ども達とネパールの子ども達を繋ぐことにより更に希望の輪を広げる活動としていくことをめざしている。
(いわき、登米、南三陸、陸前高田と炊出し、支援物資を届けたネパールの皆さん。現在は熊本でも炊出しと支援物資を届けられている)
(現地の状況)


5. 20年後、どんな未来をつくるのか

 いわきおてんとSUN企業組合は、めざす未来を一つの絵にしている。そこには送電線が無く、公平に与えられた自然エネルギーを活用し、コミュニティの中に小規模な太陽光発電所、小水力発電、バイオマス発電があり、農業と自然エネルギーの二毛作が実現され、それを学ぶ寺小屋的な学校がある。
20年後の福島浜通り地域を思い描く

 私たちがめざす未来はエネルギーの自立が基本である。それは今回の震災、原発事故の苦い経験を、いかに希望ある未来に生かすのかということであり、縦割り的なものではなく、壁を取り払った横の繋がりの協働の場所でありたいと思う。その中で、新たなコミュニティビジネスや産業を創造すること、震災の教訓を生かしたシンプルな生活を送ること、環境被害を受けた福島を逆手に、とことん環境に配慮した製品を、自然エネルギーを最大限利用して作ることである。今、地域に最も必要なのは、それを具体的に表すことにより持つことができる希望と夢だと思う。