4. 事業実施概要
福島県内での自然エネルギー教室は以下のような概要で進められた。
(1) 当日の流れ
集合⇒自然エネルギーについての大まかな説明⇒作業体験内容の説明⇒作業体験(※ 4時間程度)⇒発電の確認⇒スケジュールによって完成したソーラーパネルの設置作業⇒感想の発表
※ 作業体験は会場や主催団体の意向、拘束時間の制約などにより4パターンに分かれる。
Aパターン:共同でのソーラーパネル制作まで
Bパターン:共同で制作したソーラーパネルの設置・利活用まで含む
Cパターン:個々人が持ち帰ることのできるミニタイプの作品制作まで
Dパターン:ソーラー電源で動くおもちゃなどを使用しての体験まで
(2) 実施状況
地域 |
月 日 |
実施場所 |
子ども 参加者 |
父兄等 参加者
制作パネル数 |
教室のタイプと 設置防犯灯数 |
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いわき市 |
8月8日
9月12日
11月28日
2月27日
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いわき市勿来吹風殿
いわき市中央台公民館
いわき市立内郷公民館
いわき市立小川中学校
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77人 |
21人 |
21枚内19枚ミニパネル、内1枚破損 |
C 0
D 0
D 0
B 1枚
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南相馬市 |
8月2日
8月22日
12月23日
3月12日
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ソーラーアグリパーク |
78人 |
25人 |
30枚内25枚ミニパネル |
A 0
B 1枚
C 0
B 1枚
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県中 県南 |
6月6日
9月26・27日
12月5・6日
12月19日
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玉川村立須釜小学校
鮫川村ぽんた山
ムシテックワールド
白河市立五箇小学校 |
70人 |
27人 |
4枚 |
D 0
A 1枚
A 2枚
B 1枚
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会津 |
10月31日
11月22日 |
会津若松市立門田小学校
会津若松私立鶴城小学校 |
23人 |
9人 |
2枚 |
B 1枚
A 0
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県北 |
11月1日
11月3日 |
蓬莱学習センター
飯坂学習センター |
40人 |
16人 |
2枚 |
B 1枚
A 0
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(3) 各地区のまとめ
《いわき・広野》
いわき、広野地区で5回の開催を計画し地域団体、学校関係に広報を行った。しかし広野地域では住民が原発事故前の半数しか帰還しておらず、子育て世代の帰還は更に少なく、結果として広野町での開催は断念することになった。また、勿来での開催においては夏休み期間ということもあり、持ち帰れるサイズのパネルを希望され、小型のパネルを参加人数の子どもの数の19枚を制作し、そのパネルで動くモーター、プロペラを会場側で準備いただいた。内郷公民館、中央台公民館の開催においては、時間的制約があり、パネル作りより、再生可能エネルギーの仕組みを子ども達に体験を通じて学ばせたいとの要請もあり、太陽光パネル、風力発電機、水力発電機を準備し体験型講習会を実施、パネル作りはできずに終わった。小川中学での講習会では、テニス部の女子生徒が、部活後の通学路に明りが無く、そこに自然エネルギーで防犯灯を立てたいとの希望で部員20人が参加した。グランド内と通学路に設置すべく2枚のパネル制作に挑んだが、残念ながら1枚が制作過程で破損し、設置用のポール立ても2ヶ所行ったが防犯灯として設置できたのは一か所となった。計画にあった高校での講習会は何校も折衝したが、時期的なこと、学校側のスケジュールと合わせられず、同地区での開催はできずに終わった。高校生についてはいわき地区での開催を断念し、県立安達高校及び相双地区で高校生対象に講習会を行うことになった。
《南相馬市》
福島県助成事業での連携先となる福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会(2016年1月、団体名変更 あすびと福島へ)との連携にて、4回の講習会を開催。ミニパネルを含む30枚のパネルを制作し、内2枚のパネルを敷地内に「希望の明り」として設置を行った。第一回から第三回は小学生を中心とし募集を行い、12月23日の講習会では持ち帰れるミニパネルを制作し、ランタンまで子どもたちと作り上げ、各自家庭に持ち帰った。3月12日はいわき地区で開催できなかった高校生を対象とした講習会を実施し、地元工業高校、農業高校から7人の生徒と教員2人が参加、1枚のパネルの制作と「希望の明り」の設置までを生徒たちと協力して行った。参加人数は子ども78人、大人25人の103人となった。
《中通り 県南》
中通り県南地区ではムシテックワールドでの一回開催の予定であったが、強い要請もあり、4ヶ所5回の開催となった。須釜小学校では時間的制約があり、パネル制作まで至らなかったが、多くの子どもたちが親が迎えに来てもその場を離れないほど好評で、その後参加できなかった子どもたちからまた来てほしいとの手紙が届いた。鮫川村では講習会の前日に子どもたちと勉強会を開催し宿泊、食事をともにしたこともあって、非常に楽しく講習会が開催できた。ムシテックワールドでは、夏季開催を計画したかったが予定が取れず、冬季の開催となり、各学校関係に最後まで参加呼びかけをしたものの、参加者が少なかった。五箇小学校では白河市役所、白河地区再生可能エネルギー推進協議会の協力もあり、父兄も講習会に参加し、当日中に希望の明りとなる防犯灯の設置まで行えた。
《会 津》
会津地区、門田小学校での開催、計画当初、会津電力及び会津高原での開催を計画したが、どちらも現地までの送迎が必要となり、冬季のため道中の子どもたちの安全確保と参加しやすい環境を考え、NPOと学校側と協議の上で小学校二校での開催となった。地域性なのか真面目にコツコツとパネル作りをする子どもが多く、予定通り講習会を進めることができた。鶴城小学校には津波で母親を亡くし、避難している子どもさんも参加し、地域の子どもたちと一緒に作業をすることが何よりの友達作りになると校長先生より言葉があった。また手紙を送られ、また来てほしいとの声が多数寄せられ、その中に同じ震災被害を受けたネパールにパネルを送りたいと書かれており、自分たちで明かりを灯せることが、他の助けに繋げられると子どもたちが思ってくれたことに活動の意義を感じた。
《福島市》
福島地区での開催は予定では一ヶ所だったが、地域団体からの強い要請もあり、二回の開催となった。蓬莱団地では地域NPOがチラシ、ポスターを使っての告知をいただいたが、当日、参加した子どもは4人にとどまった。しかしながら科学、工作に興味が高い子どもだったこともあり、少人数ながら無事にパネル制作ができ、開催後もメールで電気の仕組みについて問い合わせをいただき、現在まで何度もやりとりを行っている。子どもさんからは福島を自然エネルギーで支える人になりたいとの声があった。飯坂学習センターでは、放課後学習を行う団体にチラシを送付したが事前の申し込みは全く無く、当日ポスター掲載のみの実施となったが、幸いにも当日子ども向けのイベントが同会場で開催されていたこともあり、多くの子どもたちが集まった。4歳の子どもから中高生、また孫と一緒に参加したお婆さんもあり、参加者からは大変意義のある楽しい講習会だったとの感想をいただいた。学習センター及び、立ち寄られた福島市職員から次年度も開催要請があり、オープンスペースでの講習会のやり方について私達も学んだ形となった。
(4) 参加者の感想
● 海外からの参加者からは、子どもが太陽光パネルを作るなんて、世界でも福島だけだと感嘆の声があった。
● とにかく楽しかったし勉強になった。暗くなると光るのが自分で作れるのにびっくりした。
● また作りに来たい。今度は友達も連れて来たいと思った。
● ものづくりの難しさ、楽しさ、発電の仕組みを始めて学び、体験できたことで楽しく学べた。
● 子どもには少し難しい作業だったが、それだけに完成した喜びが大きかった。(保護者)
● 難しかったけど、皆でやれば電気が作れることが分かった。
● 電気をつくるのが大変だから、大切にしないといけないと思った。
● 初めて作ってみて、屋根の上のソーラーパネルがこうして作られているのが解った。
● 環境を大切にすること、外国からエネルギーが輸入されていることが解り、太陽光発電が環境に良いことも解りました。
● 完成してすごく嬉しかった。20年ももつなんてすごいと思った。
(5) その後
「震災の時、世界の人が福島を応援してくれた。今度は私たちが応援してあげたい。」福島の子どもたちが書いたメッセージを手に、弊組合のコミュニティ電力事業部長が、5月10日ネパールへと向かった。持参した荷物の中には、福島の子どもたちが、ハンダゴテを使ってセルを1枚1枚繋げて作った70cm角のソーラーパネル、3枚。昨年の地震で被災したネパールの学校に、福島から希望の明かりを灯すためだった。彼が届けた先はティストゥン村とカトマンズ市内の小学校。これらの学校では、震災で二階部分が倒壊し、一階部分も壁が倒壊しブルーシートで塞がれた、危険な状態の中で子どもたちは学んでいる。そうした状況にある子どもたちへ、福島から希望の灯りを届けたのである。
子ども達からの同じ震災被災地であるネパールに太陽光パネルを届けたいとの思いを実現される手助けをしていただいたのは登山家の栗城史多氏。また栗城氏より紹介いただいた在日ネパール人のジギャン・クマール・タパ氏の協力もあり、海外支援では最も大きな課題である、現地の受け入れ態勢が短期間に確立し、設置する小学校の校長、村長さん、地域の住民までもが訪問を歓迎していただいた。
タパ氏は3.11の直後、震災の被害で水道が止まり、原発事故の影響で放射能汚染の恐怖から全ての物資輸送が止まり、真っ先に外国人が避難したいわき市に25人ものネパールの皆さんが大型トラック3台を連ね、カレーの炊き出し、避難所の子ども向けのおもちゃ、おむつや大量の飲料水を運んできたリーダーであった。その後は南三陸、陸前高田、盛岡と東北各地を走り回られた恩人でもあった。この事実をタパ氏は全く語ることなく、現在は熊本に何度も炊き出し、支援に行かれている。彼のブログには断水が続き、原発事故による風評被害から支援の手が届いていないいわきに真っ先に行こうと書かれていた。
そんなタパ氏の母国ネパールでは昨年4月に発生した大震災により、死者9,000人、倒壊した学校が5,000校を超えている。更に世界遺産でもある歴史的建造物の倒壊により観光が大きな産業である同国に多大な被害をもたらしている。元より急速な都市化によりライフラインが追いつかず、計画停電が毎日のように行われ、1日の停電時間が10時間を超えることも珍しくない状態であった。震災より一年以上が経過してもまだ粗末なテントが多く張られたカトマンズでは水道が出るのが5日に1日しかなく、正に震災直後の東北地域の被災地と同じ状況の中、子ども達は生活をしている。農業と観光によって支えられてきたネパールでは、3.11での東北の苦難が震災直後のように今も続いている。特に被害の大きかった中山間地域では収入が途絶え、子どもの人身売買まで発生しているという。
3.11を経験した東北の人間だからこそできる支援、子ども達から地震を理由に希望を失わせない活動を行うべく、福島で実施してきた「希望の灯りプロジェクト」を福島の子ども達とネパールの子ども達を繋ぐことにより更に希望の輪を広げる活動としていくことをめざしている。
(いわき、登米、南三陸、陸前高田と炊出し、支援物資を届けたネパールの皆さん。現在は熊本でも炊出しと支援物資を届けられている) |
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