【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第2分科会 ~生きる~「いのち」を守る

東日本大震災から四年
~福島第一原発周辺の現状~

京都府本部/八幡市職員労働組合 岩崎 真哉

1. 常磐富岡インターから福島第一原発周辺へ

 福島第一原子力発電所の、あの忌まわしい事故から4年を経過し、マスコミの報道も再稼働のニュースばかりで、福島の現状を伝える報道は少なくなってきています。原発周辺自治体の復興は進んでいるのだろうか、現状はどのような状態なのだろうか、自分の目で確かめたくなり、現地へ向かいました。
 ほとんど事前調査は行っていないのですが、常磐自動車道と国道6号線は全線通行が可能だということでしたので、常磐自動車道の常磐富岡インターから、相馬市方面へと車を走らせることにしました。常磐富岡インターを降りると、まず目に入るのが「除染作業中」と書かれた大量の登りです(写真1)。「こんなにいらないだろう」と思われるぐらい並んでおり、この時点でただならぬ雰囲気を感じてしまいます。そして、畑の中には除染により発生した廃棄物と思われる袋が大量に放置されており、このような風景が延々と続いています(写真2)
 数百メートル走ると今度は、直進の道路がバリケードで封鎖され、通行ができません。看板には「この先、帰還困難区域につき通行止め」と書かれています(写真3)。常磐自動車道と国道6号線などの、原発事故関連の作業に最低限必要な道路は通行できますが、その他の道路についてはまだまだなのでしょうか。
 すぐに国道6号線にたどり着き、ここから福島第一原発のある北へと向かいます。福島第一原発の近くまで来ると、道路に放射線量の表示があり、驚いたことに「4μSv/h」を超えています(写真4)。京都府内の放射線量は大体0.04μSv/h から0.06μSv/h ですので、京都の100倍近い放射線量になっています。おそらく部分的には、もっと線量の高い場所もあるのだと思います。
 福島に来る前に、念のため簡易な線量計を購入し持参したのですが、車の中でも3μSv/hを超える数値を示しています。京都で測ってみたときは0.05μSv/h程度で、測定ができているのかいないのかよくわからなかったのですが、測定の精度は別として、外の風景は全く何事もないのに、明らかに高い数値が示されるのを見ると、放射線の恐ろしさをひしひしと感じます。


2. 福島第一原発から南相馬市へ(大熊町・双葉町・浪江町)

 カーナビをみながら、まず大熊町の役場を見に行ってみようと、国道6号線を左折しようとしたのですが、大熊町役場に続く道にはバリケードが張られ通行できません(写真5)。ほかのルートからならいけるかと思ったのですが、国道6号線以外の道路はことごとく封鎖され、全く通行することができませんでした。
 バリケードの奥には「大熊町立熊町小学校」の看板が見えますが、もちろん立ち入ることはできません(写真6)。「原発事故が起こるまでは、元気にこの学校に通い、校庭を走り回っていただろう子どもたちは、今頃どうしているのだろう」そんなことが頭をよぎり、胸が苦しくなります。
 道路沿いのあらゆる店は営業しておらず、地震で被害を受けた建物は全く手つかずのまま放置され、完全にゴーストタウンと化しています(写真7)。国道6号線が全線通行可能になってから1年近くが経ちますので、もっと復興が進み、コンビニやガソリンスタンドは営業をしているものと、勝手な想像をしていたのですが、現地のその姿は想像していたものとは全く異なるものでした(写真8)。そのまま国道6号線を北上し続けましたが、次の双葉町でも役場へ向かう道路は閉鎖されていました。また、国道6号線の福島第一原発付近は、自動二輪車、原動機付自転車、軽車両、歩行者は通行禁止で、このことを見ても「相当な放射線量」だということがうかがえます(写真9)
 次の浪江町まできて、やっと国道6号線から左折することができ、浪江町役場の前にやってくることができました。しかし、役場の入り口はバリケードで封鎖され、通行証・許可書証がないと中には入れない模様で、残念ながらこれ以上は、中の様子をうかがうことはできませんでした(写真10)
 ただ、今までは国道6号線を通行する車のほとんどが、除染などの原発事故関連作業の車と思われましたが、国道6号線から中に入ると、多少は原発事故関連作業以外の地元の方と思われる車も見られ、先ほどの大熊町、双葉町とは少し違う印象を受けました。
 国道6号線をさらに北上し、相馬方面へと走りますが、南相馬市では、まだコンビニ、ガソリンスタンド、カーディーラーなどの店舗は閉ざされたままで、相馬市に入るとやっとそれらの店舗が営業している姿が見られます。ただ、コンビニへ立ち寄ってみると、私以外の客は原発事故関連作業員と見受けられる人ばかりで、店内は何か独特の雰囲気を感じました。


3. 福島第一原発からいわき方面へ(富岡町・樽葉町~いわき市)

 相馬市まで来たところで、福島第一原発方面へ引き返し、今度は原発より南側の様子を見に行くことにしました。常磐富岡インターから少し南側にある、JR富岡駅付近は通行が規制されていなかったので、富岡駅方面に向かいます。道路の通行は規制されていないのですが、両脇に商店が並ぶ駅へと向かう道路は、崩壊した建物が並んでいて、通行規制がされていない場所でも復興のふの字もない状態です(写真11)
 駅があったと考えられる場所に到着しましたが、駅舎はなく(写真12)、ホームの残骸とその向こう側には、除染で発生した汚染物とみられる袋が無数に積み上げられいます(写真13)。近くに設置されている線量計の数字は3.17μSv/hで、まだまだ高い数値となっています。
 また、駅前周辺は津波の被害を受けたと思われる建物や(写真14)、津波で流されたと思われる車がそのまま放置されており(写真15)震災から4年以上が経過しているとはとても考えられない光景でした。当然、地震と津波の被害だけなら、4年以上もこの状態が放置されるはずもなく、原発事故の恐ろしさをまざまざと感じさせられます。
 さらに福島第一原発から離れ、竜田駅まで来るとようやく電車が運行され、生きた駅に出会うことができます(写真16)。放射線量は0.202μSv/h(写真17)で、まだまだ正常な放射線量ではありませんが富岡駅と比べると10分の1以下になっています。一見、何の変哲もないローカル駅に見えるのですが、駅のプラットホームまで来ると線路が封鎖されていて、電車はここから先へ進めなくなっています(写真18)。長閑なローカル駅ですが、ここから先は見えない放射線によって汚染されているのです。
 竜田駅から常磐線原ノ町駅までは代替バスが運行されているのですが、バスの乗客への注意書きが貼られていて、「このバスは原ノ町駅までノンストップのバスなのですが、1回乗車すると1.2μSv被ばくします」と書かれています(写真19)。1.2μSvですので、1回乗車するだけで、直ちに影響がある線量ではないのかもしれませんが、毎日往復する人にとっては看過できないものでしょうし、未だにこのような状況の中での生活が続いているということです。今、自分が住んでいる町がこのような状況だったらどう思うでしょうか。毎日通勤のバスで1.2μSv被ばくするとしたらどう思うでしょうか。
 さらに、いわき市方面へと国道6号線を走り、いわき市の市街地へ入ると、そこには震災や福島第一原発の事故による被害を感じさせられるものはほとんどなく、一見すると平穏な暮らしが営まれているように見えました。しかし当日の福島民報の道路の除染実施状況をみると、いわき市の道路除染実施状況は、全体計画3,480kmに対し、発注が92km、実績75kmとなっており、原発事故の後始末は序の口で、まだまだ終わりそうもありません(資料4)


4. いわき市から海岸線を小名浜へ

 翌日は、いわき市から太平洋側に向かい、沿岸の状況を見てきました。海岸沿いの道路はあちこちで、工事のために通行止めになっており、防波堤が作られたり、土地の造成が行われたりしています(写真20)。写真は塩屋崎灯台から、海岸線の様子を撮影したものですが、原発周辺とは明らかに違い、復興に向けた希望が感じられます。灯台の売店の方にも話をお伺いしましたが、震災当時は酷い状態だったが、なんとか見学もできるようになり、生活もそれなりにできるようになっているとのことでした。
 さらに海岸線を小名浜方面に向かいますが、住宅の建っているところもありますし(写真21)、防波堤も完成にはまだまだ時間がかかるのでしょうが、それでも着々と復興へと進んでいる印象を受けます(写真22)。小名浜の町中もそこだけを見ると活気があり、沿岸部を見なければ震災のあったことを感じさせない印象を受けました。
 今回、福島第一原発のEPZ圏内から、40km離れたいわき市まで見てきましたが、やはり原発事故の影響は想像を超えるもので、事故から4年が過ぎた今も、復興はまだまだ始まったばかりで、まったく先が見えない状況です。しかし、関西では震災関連の報道は減る一方で、あたかも原発の作業以外は終わっているかのような認識で、福島の復興について気にする人が、どんどん減っているような気がします。関西では全く報道されないのですが、福島民報では震災による直接死亡者、間接死亡者という記事がいまだに掲載されており、まだまだ震災による死者が増え続けているということがわかります(資料5)
 福島第一原発の事故による被害は、国や東京電力だけでなく、原発に反対しなかった、反対したが力が及ばなかったすべての人の責任ではないでしょうか。国や東電が悪いというだけでなく、国民一人一人が責任を感じ、復興を支援するとともに、二度とこのようなことが起こらないようにしなければなりません。地震や津波のような災害は、時に人間の想像を超えるものが発生します。悲劇を繰り返さないためには、原発をすべて廃炉にするしか方法はないのではないでしょうか。


【資料1】
 
写真1   写真2
         
 
写真3   写真4
         
 
写真5   写真6
         
 
写真7   写真8
         

【資料2】
 
写真9   写真10
         
 
写真11   写真12
         
 
写真13   写真14
         
 
写真15   写真16
         

【資料3】
 
写真17   写真18
         
 
写真19   写真20
         
 
写真21   写真22

【資料4】

【資料5】