【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第2分科会 ~生きる~「いのち」を守る |
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はじめに 城南衛生管理組合(以後、城南衛管)は、地方自治法第284条に規定されている京都府知事の許可を得て設置された「特別地方公共団体・一部事務組合」であり、構成団体は、宇治市・城陽市・八幡市・久御山町・宇治田原町及び井手町の3市3町。この管内から排出されるし尿の収集・処理、ごみの処理・処分・中継運搬・再資源化とそれらに関連する行政事務を担っている。 |
2013ショック、存亡の危機
城南衛管は、2013年度に相次ぐ不祥事が報道された。6月、宇治市にある折居清掃工場(一般廃棄物焼却工場)で排ガスデーターの改ざんが発覚。9月、城陽市奥山にある奥山最終処分場の浸出水処理方法が廃棄物処理法に抵触するとして保健所より是正命令・措置命令が出る。その命令順守期限は、2014年9月10日。また、11月に前述した折居清掃工場内の循環水が雨水経路をつたって場外へ漏水したことが判明。漏水事故直後の水質を分析した結果、「水銀」「ダイオキシン類」が場内敷地内の雨水側溝升から検出された。2014年1月、年末に酒気帯び運転した職員が検挙、その処分を巡る報道が地方紙の一面を飾る。さらに、し尿収集量に伴う分担金の算定ミスが発覚。 |
労働組合としての取り組み
なぜなら、城南衛管は他の自治体と同様、いやそれ以上に行政改革の大きな波にのまれていた。15年前から続く強引なアウトソーシングで、最大168人在籍していた正規職員は、工場や施設の民間委託が進められ約半数(52.9%)の89人にまで削減した。労組は、このままだと組織が弱体化し人材育成や技術の継承ができないなど、将来性と合理化の狭間から生まれる組織的な矛盾が解決しないとして、「職場要求」や「現業統一闘争」「春闘」で組織運営のあり方などを巡って、要求と交渉を繰り返した。当局は、その度に労組の考え方に真正面から応えようとはせず、曖昧な表現や『管理運営事項』との言葉で「当局の責任において行う」と突っぱねた。しかし、議会で今回の不祥事の原因追究が行われた際に、議員から「労働組合も長年、問題を指摘してきているじゃないか。」と厳しく追及があった。ようやく、当局も労働組合の指摘や考え方から逃れられなくなり、特に排水処理場の復旧について労組案を真摯に検討することになったのである。 |
違法状態の排水処理を巡って
城南衛管には2つの埋立処分地と2つの排水処理場がある。1つは奥山埋立処分地との名称で、既に埋立処分が完了し2004年に閉鎖している。もう1つは、新設した三郷山埋立処分地との名称で、現在の埋立最終処分である。それぞれの埋立処分地からは浸出してくる排水を処理するために、排水処理場が併設されている。問題となったのは、完了・閉鎖した埋立地にある奥山排水処理場の方。完了・閉鎖となっても、雨水の浸透で排水が発生する。問題の原因は本来その奥山排水処理場で処理する排水を組合所有のバキュームカーを使い、三郷山排水処理場に運搬し処理していたことである。理由として挙げられたのが、新しい処理場のほうが処理能力も高く、十分に基準値をクリアーする。また、全体的な処理量も安定させることができる。人員もランニングコストも抑えられるとのことである。 |
しかし、労働組合はこれまでもこの別処理は違法性があるのではないかと当局に疑義を唱えていた。2012職場要求書でも「廃棄物処理法・瀬戸内法に違反しているのではないか」と再度追及したが、衛管当局は「京都府にも確認している。法的に問題は無い。」と回答するばかりであった。 |
労組再稼働計画を決定 労組は「現場力=職員の技術力が直営堅持につながる」との方針で、さまざまな運動を展開してきた。そして、この排水処理の問題も自分たちが持っている力を総結集すれば復旧への道のりが開けるのではないかと考えた。それは、かつてその奥山排水処理場の処理方式を凝集沈殿法から二段活性汚泥法へ変更した経験がある現場を知る人材がまだ職員として存在していた。本人たちも職員の手で何とかできるかもしれないと、検討に加わってくれたのだった。 |
人員体制のマジック
まずは人材の確保だが、自治体の人事は柔軟性が乏しい。さらにこの間の人員減で職場に人的余裕はない。人の配置をどうするのか。まず、中心となる処理方式変更時に直接かかわった2人の職員を現在の職場から人事異動(10月8日辞令)で配置。別所属の営繕担当者(補修や整備担当)を全面的に協力できるようその所属に理解を求め、さらに、各職場からの応援を随時受ける。もちろん排水処理場を持つ原課の職員は優先的な業務として位置付けた。2人の職員が抜けた部署は残念ではあるが臨時職員で対応。そして、特筆すべき対策として組合休職専従を復帰させることとした。これらの体制についても労組が提案し短期間のうちに実行できたことがその後の展開へとつながったといえる。 |
復旧までの道のり ただし、再稼働=復旧事業への道のりは険しい。オール衛管といっても日々作業するのは前述した3から4人。現場は古い配管やポンプの残骸が放置されたまま。水槽のコンクリートは劣化が進んでいるところがある。また、重要設備の凝集沈殿槽と汚泥掻き寄せ機が動かないことには処理そのものができない。最初の1ヵ月はこの設備の改修に専念、水槽の補強・機械の整備・モーター関係の点検を入念に行いなんとか稼働でき、道が開けた。
不要な機械や廃材の撤去、劣化したコンクリートや錆びついた部分の補修と改修、新規設置機械のベース作成、空気配管や薬液配管の新設、新しいポンプやタンクの設置などを職員の手で着実にこなしていく。新たな高度処理設備や配電盤等は業者が設置したが、その基礎コンクリート打ちはオール衛管応援隊で行うなど、ほとんどを職員で行ったのだ。アドバイザーとして全国都市清掃会議の技術者に適宜訪問と助言をお願いしていたが、「職員だけでこれだけのことができるとは。あなた方だけでプラントのオーバーホールができる。」と技術力は高く評価された。 ちなみに、バキュームカーで運んでいた復旧期間中の排水処理は民間委託することとなり、その処理経費は1年間で1億1千万円を超えた。 |
復旧事業の成功
2014年9月10日が履行期限のこの事業は、8月7日に京都府の各命令の履行が確認され、晴れて再稼働となった。まったく処理ができない状態の処理場が10ヵ月で基準値をクリアーする処理場へと生まれ変わった。 |
今後は、安定した処理を行うため、120万リットル(1,200m3)の調整槽の設置や冬場の運転管理、電気・計装設備(警報関係)の改善など、まだまだ再稼働を手放しで喜ぶ状況とはなっていない。法令に定める水質基準値の継続と安定的な処理にむけた改修は続く。 |
最後に 何度も述べるが、今回の復旧事業・再稼働運転は労組として組織的危機であると位置付け、対応策の提案、また事業の主体的役割を果たした。人事異動で直接の担当者となり、また、協力体制で営繕を受け持ったのは労組執行部の役員。18キロメートル離れた本庁の役員も当局との調整をはじめ何度も応援に駆け付けた。各課の執行委員や組合員の積極的な応援もあった。
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