【要請レポート】

第36回宮城自治研集会
第3分科会 石巻に虹を架けよう~被災地の今を見る、知る、触れる、考える~

 東日本大震災以降、西東京市及び西東京市職労は、災害ボランティアに参加したことを契機に、これまで被災東北3県に対して継続的な支援、交流を展開してきました。特に、福島県新地町、宮城県石巻市、岩手県大槌町とは、毎年定期的に交流しています。この間の活動を踏まえ、市民協働の実践と政策提言のできる拠点としての西東京自治研究センターを設立しました。これまでの活動を紹介し、活動から学んだ内容について提起します。



地域の活動の中で生まれた絆と生命を守る力
―― 市民協働と交流がまちづくりを活性化し、人を繋ぐ ――

東京都本部/西東京自治研究センター 後藤 紀行・小笠原東生・石塚真知子(前西東京市議会議員)

 東日本大震災での津波、地震被害、原発事故の被災地、避難所の様子から現在に至るまでの復興の経過などを知ることで、私たち公共サービスを担う自治体労働者として、営み続けた地域の人々との交流、継続する支援活動で住民を支えるための工夫などの実践を通じて、「継続することの意味」「支援する、される関係から、相互に学び合う関係になること」「繋がることが、親和性と信頼性を創ること」を気づくことになりました。
 地域住民、行政、自治労西東京市職員労働組合と地域のNPO団体の協働の活動実践を紹介します。


1. 公民館を中心に継続的の取り組まれている市民同士の交流

(1) 被災地福島県新地町公民館の復興支援まつりへ
 2011年3月11日東日本大震災の発生を受け、西東京市の6館ある公民館の一つである芝久保公民館の芝久保公民館まつり実行委員会は、この気持ちを形にする方法として、「支援バザー」をすることと「体験コーナー」でチャリティ募金をすることとし、それに体験コーナーで折った折り紙を添えて被災地に届けることにしました。
 顔の見える関係の中で届けたいとの思いが実行委員会の総意でまとまり、公民館から候補地を自治労西東京市職員労働組合に相談し決定、西東京市、自治労西東京市職員労働組合、職員互助会として支援に行っている被災地の一つである福島県新地町の駒ヶ嶺公民館を通じて、被災された方に届けることができました。地域住民である公民館利用者の方々から提案された意見、アイデア。そのアイデア・想いを具体的な形にして自治労西東京市職員労働組合が繋ぎ、協力、支援を得て、公民館として新たな公共サービスを実現できたと思います。また、この活動を一過性、一方通行に終わらせることなく、継続可能な活動・双方向性を確保することこそ、私たちが担う重要なことであると思っています。この当初の計画は、5年後も受け継がれています。
 この支援は、引き続き現在まで続いています。また、市内の公民館のまつりでも同様に、義援金、売上金を送付することになり、着実に継続と広がりが進んでいます。

(2) 新地町・生涯学習フェスティバル参加


●しんちまち生涯学習フェスティバル
2014 風景
 2012年2月24、25日に初めて、被災地福島県新地町「しんちまち生涯学習フェスティバル2012」に、まつり実行委員会委員長、副実行委員長、そして公民館職員、及び被災地支援活動として西東京市職員労働組合の委員長及び特別執行委員で参加してきました。公民館まつりでの復興支援バザーの支援金で購入した西東京かりんとう、コーヒーメーカーなどがまつり当日大活躍しました。
 復興支援カフェなど、いろいろなコーナーが開催され、町民の方々には、西東京市民の制作した大豆雛と折紙をプレゼントして、お互いが楽しく時を過ごし、「絆」を深めました。2016年1月の「しんちまち生涯学習フェスティバル2016」まで、この交流は続いています。

(3) 持続可能な活動・市民レベルの交流・相互に学び合う
 持続可能な支援活動に繋げるため、私たちは支援する立場から、相互に学び合う立場に変えながらこれらの交流を通じて、お互いの理解を深め、新地町の皆さんから元気と勇気、地域の大切さ、絆の重要性を学んでいます。
 2014年1月の「しんちまち生涯学習フェスティバル」には、西東京市民の2つの音楽サークル吹奏楽団、江戸芸かっぽれの皆さん総勢50人を超える支援活動の参加がありました。
 私たちが新地町町長とお会いした折、「新地町の特産品のお菓子を産業振興のためにも、つくりたいです。」と述べられました。そのことを西東京に帰り、組合委員長が地元かりんとう製造販売会社の旭製菓の社長に伝えた結果、旭製菓と新地町農協等の共同開発でニラ等といった新地町特産品のかりん糖が生れました。人の繋がりの素晴らしさに感動した出来事でした。

(4) 相互に学び合う、もう一つの形
 新地町旅館「朝日館」の女将で語り部でもある村上美保子さんの被災体験と復興への取り組みについてのお話を聞く機会が、西東京市公民館で「被災体験者が語り継ぐ防災」の講座の中で実現しました。
 村上さんは、震災で140年続く旅館も家も全て流された当日の様子、避難所での暮らし、町や仮設住宅での様子、孤独死を出さないための取り組みなど映像を交えてお話されました。
 新地町は住民と行政とのコミュニケーションもよく取れており、比較的集団移転も早く、住宅建設が始まっている様子なども伺いました。会場では参加者の皆さんに新地町農協と西東京市の旭製菓とのコラボ商品「ニラかりん糖」の試食もあり、参加者同士の活発な交流の中で新地町への理解も深まったと思います。

2. NPO法人サポートハウス年輪との協働活動で地域包括ケアを考える

(1) 復興支援活動を通じ、災害時支援体制、地域包括ケアを学ぶ
 「いつまでも地域で暮らし続けるために」をキャッチフレーズに地域の中で365日、24時間のサービスの必要性を発信、デイサービス、訪問介護、グループホーム等介護保険事業および配食事業等の活動を展開しているNPO法人サポートハウス年輪と協力し、東日本大震災支援活動を展開してきました。
 毎年3月には、被災地支援バザーを実施しています。その上で、岩手県山田町、宮城県石巻市、石巻市社会福祉協議会、福島県相馬市のグループホームなどの福祉施設へ共に出向き、義援金等を届ける活動とともに現地の職員等と学習と交流を深めています。
 「災害時の体制づくり」を学ぶための講演会の開催、連合の制度政策集会への参加等を通じ、私たちの暮らす西東京市での「想定外を想定内にする」防災対策等を検討してきました。
 災害時は、想定外のことが多く発生します。特に高齢者等福祉施設では、生命に関わることが次から次に起きてきます。想定外を想定内にする平時からの災害協定や訓練等の重要性、市、社会福祉協議会、企業、NPO、市民との連携、地域づくりの必要性を学ぶことができました。福祉避難所の必要性も活動の中で提言されています。
 地域の一員としての活動に必要性を改めて感じ、市職労としても、「災害ボランティアサポートチーム」を結成、高齢者の地域の見守り活動をする「ささえ合いネットワーク」の登録団体にも登録しました。

(2) 夏フェスタ・インそうま、佐藤健作「不二プロジェクト」相馬公演
 福島県相馬市では、原発事故の影響もありスタッフ不足は深刻で、結果として閉鎖に追い込まれる施設も出てきています。2013年2月にサポートハウス年輪主催で開催された「震災から2年を前にして」のシンポジウムで、講師であるグループホームの職員から深刻な人手不足について報告されました。その上で、当日ゲスト参加した和太鼓奏者「佐藤健作」氏の祈りの太鼓を「是非相馬市で実施してほしい」という要望が出されました。被災地で過酷な中でがんばっている職員、住民を支援したいという気持ちで、福島の復興を祈念し、祈りの太鼓を演じる佐藤健作さんの太鼓講演の実現に向けた活動を相馬市職等の協力で展開、2014年8月には、「夏フェスタ・インそうま」4月12日には、相馬市民会館大ホールの公演を実現することができました。被災地での深刻な介護職員の人手不足については、政府も支援策を展開したものの効果的な対応には、至っていません。災害時は、福祉施設、介護施設の役割は増大します。自治体職員の場合も同様ですが、全国的な支援の財源と仕組みづくりの必要性を実感しました。

(3) 将来を担う子どもたちを支援 ―― 山田町ゾンタハウス
 2016年6月には、東日本大震災から5年を経過したことを踏まえ、岩手県山田町で中高生の学習施設の「ゾンタハウス」や高齢者の居場所「街かどギャラリー」を運営している舟田さん、子どもたちを継続支援している東洋大学学生にも来ていただき、講演と意見交換会が開催されました。震災直後、全てが劣悪な環境の中、子どもたちの学習環境の整備は置き去りとなり、そのことが学力の低下につながり社会から取り残されることが懸念されていたそうです。そのような中、東洋大学森田明美教授から中高生の居場所づくりと学習支援策が提案されスタートした被災地での子ども支援。5年間の活動を踏まえ、子どもたちを見守り支援する大人たち、継続的に学習支援や様々なサポートをする学生等の支援の中、子どもたちに将来を切り開いていく力がついていると報告されました。
 まちづくりの主人公となっていく子ども支援を重要な復興支援策として位置付けることの必要性を強く感じました。ゾンタハウスで活動した中高生は、国会議員との意見交換会等での被災地の現状と政策提言等も森田教授とともに行っているとのことです。


3. 宮城県石巻市への被災地支援活動から広がる今

 西東京自治研究センター:石塚真知子(前西東京市議会議員)

 東日本大震災発災後、当時私が所属していた民主党東京都連青年委員会(現:民進党東京都連青年委員会)において被災地支援活動を行うことが決定され、交流局を中心とした活動が始まりました。2011年7月、ニーズ調査のため同僚議員と共に石巻市社会福祉協議会を訪問し、支援の申し出をしたところ、当時大街道地区において個人ボランティアの統括をされていた原田豊氏をご紹介いただきました。原田氏は、大街道地区の復旧作業に従事される中で、多くの地域住民の方々の痛みに寄り添ってこられました。中でも、震災により多くの別れを経験した子どもたち、不安や辛い思いを抱えながら我慢し続けてきた子どもたちの姿を見守ってこられ、せめて夏休みの思い出作りができないかと考えられていたため、後方支援として私たち青年委員会は「大街道こども花火大会」の企画・運営をお手伝いすることになりました。

(1) 民主党青年委員会の被災地支援活動
① 2011年8月 大街道こども花火大会
 青年委員会は、花火や食材の準備を担当。関係者や関係団体に活動内容を話し、寄付を呼びかけた結果、西東京市職員労働組合より手持ち花火や打ち上げ花火を約1万本、連合東京よりお菓子等のご寄付をいただきました。また、女川町では不要なTシャツを再利用して草履づくりが行われていたので、不要なTシャツも大量に集めて現地に届けました。
 花火大会は雨天により1週間順延となったものの、地域の子どもたちがたくさん集まり、地域の方々やボランティアの方々と共に大盛況のうちに終わり、笑顔と笑い声の溢れる一日となりました。
② 2012年8月 釜小学校花火大会
 前年の花火大会を継続したいという声が地元の方々から多くあがり、石巻市立釜小学校で開催されました。ボランティアに依存し続けることのないよう立ち位置をそれぞれが変えていかなくてはならないという思いで、その年の花火大会の運営の中心を地域住民に委ね、私たち青年委員会は参加賞の寄付や運営の手伝いを行いました。
③ 2012年10月 上釜ふれあいフェスティバル
 東日本大震災直後、宮城県では火葬が追い付かず2,108人もの方が仮埋葬されました。「上釜ふれあい広場」では2011年4月から200人もの方が仮埋葬され、同年8月までにすべてのご遺体が荼毘に付されました。
 広場の再整備後の新たなスタートを切る催しとして、大運動会『再生、上釜。ふれあい広場フェスティバル』を地元自治会やボランティアの方々と開催することになり、企画・運営のお手伝いをしました。当日は、市長や地元の自治会、多数の関係者を含む参加者全員で鎮魂の儀式を執り行ったのち、大運動会を行い、子どもたちの元気な声が響き渡りました。過ぎ去った1年半の歳月に思いをはせ、新たな一歩を踏み出す大切な催しに関われたこと、私たちにとっても心に重く響く一日となりました。

④ 2013年4月 三多摩メーデー2013
 震災から丸二年。石巻市では、物産展の開催をする団体への補助金が創設されました。県内での物産展の開催及び、県外の物産展への参加にも利用できる補助金を活用し、石巻市の皆さまと青年委員会で連合三多摩主催の三多摩メーデー2013の被災地物産展ブースに出店することとなりました。
 連合三多摩加盟組織への告知、販売促進の呼びかけ、募金活動等のご協力をいただけたことにより、想像を超える規模での活動となり、石巻市の方々の「これまでお世話になった方々にお礼を伝えたい」、「石巻市の名産品をぜひ食べてもらいたい」、「こんなにも元気になっている姿を見ていただきたい」といった思いを多くの方に届ける貴重な機会となったこと、感謝の思いで溢れました。
 これまで行ってきた「被災地へ赴く支援」から、「外に向いた活動の支援」という変化は、私たちの活動の幅を広げることにつながったと思います。

⑤ 2014年4月 三多摩メーデー2014
 「継続することが大事」という連合三多摩の皆さまの熱い思いと強いリーダーシップのもと、再び物産展に参加させていただきました。前年のメーデー以降、全国の様々な物産展に参加するようになった石巻市の皆さん。カシオ労働組合、住友重機械工業労働組合、西東京市職員労働組合など、青年委員会メンバーだけでなく多くの方々にお手伝いいただきました。
 2015年、2016年と変わらず被災地支援ブースを設け、出店の機会を作っていただいている連合三多摩の方々、毎年楽しみにして買いに来て下さる方々、同窓会のように一年に一度の再会を喜んでくださる皆さまと石巻の皆さまの姿は、あの大震災が生んだ絆であると実感しています。

(2) 広がりと継続がもたらす相互の学び
 青年委員会の活動がきっかけで始まった石巻の方々との交流は、三多摩メーデーを機にさらに広がり、連合三多摩主催の政策制度討論集会では、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀氏、ボランティア団体代表の原田豊氏にパネリストとしてご登壇いただきました。想定外を想定内にする平時からの地域における取り組みや協定、企業や組織のつながりや連携のモデルケース、一人ひとりの心の持ち方から日々の大切さまで、多くのことをご教示いただきました。これだけの犠牲を無駄にしないためにも、大切な教えを私たちの地域の防災力向上に反映させていかなければなりません。私たち議員は、被災地支援活動を通じて、災害時の対応、また平時の備えや地域コミュニティの構築について数えきれないほどの学びをいただき、議会での政策提言につなげていくことができました。子どもたちの支援、仮埋葬という視点で考えるべきこと、生活再建への長い道のり、補助金の創設による市民活動の活性化、受援力を高めることの大切さ、新たなまちづくりへの市民参加の形……地域の特性は違っても、共有すべき課題はたくさんあります。災害がもたらした大きすぎる被害のうえにも、人々は歩みを進め、新たな暮らしを大切に育まれ、次の被害を少しでも減らしていく努力をされている姿は、継続した関わりがあるからこそ気づける姿なのではないかと思います。
 その他、近隣の自治体議員や労働組合の方々と共に石巻市、東松島市、女川町の視察へ行き、そこからまた新たなつながりが生まれ、企業の社員研修実施や個別の支援活動が始まるなど、さらなる広がりを見せています。西東京市においても、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀氏による講演会の実施、公民館でのさまざまな取り組み、市民活動等多くのつながりが面となって広がり、地域の防災意識を高めています。


4. 支援活動から見えてきた課題と提言

(1) ESD・持続可能な社会づくりへ
 ESDはEducation for Sustainable Developmentの略で「持続可能な開発のための教育」と訳されています。今、世界には環境、貧困、人権、平和、開発といった様々な問題があります。ESDとは、これらの現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことをめざす学習や活動です。つまり、ESDは持続可能な社会づくりの担い手を育む教育です……「日本ユネスコ国内委員会資料より抜粋」。
 私たち西東京自治研究センター及び関係者は、さまざまな活動を通じて、持続可能な社会づくりの一躍を担う事業を地域住民との協働のもとめざしています。このような順調な支援活動の継続、広がりには、いくつかの要因があります。その一つは、活動の主体となった地域住民、自治労西東京市職員労働組合、公民館及びその施設利用者等協働の信頼関係の構築があります。
 地域住民、公民館利用者、公民館職員の関係性を言えば、公民館という地域の教育・交流施設が、日常を通じて、住民の皆さんとの信頼関係が機能しているからこそと確信しています。
 また、自治労西東京市職員労働組合では、アースデイ(環境に関するイベント)復興支援活動等の場で地域住民との地道な交流地域活動を継続的に数十年にわたり毎年行っています。
 この間支援活動は市議会の質問で取り上げられ、市民レベルの活動の広がりが高く評価されてきています。

(2) 被災地支援と交流の継続することの意味
 「被災地支援と交流の継続することの意味」としては、将来にわたり支援者である担い手を育て繋いでいく人材づくりで、私たちがこの活動を一過性に終えることなく、まさにこれからがその真価を問われることになると思います。参画する住民の支援と交流、自らが行動できる住民を情報提供や学習の機会を継続的に設けることで自治体労働者組織である職員組合が、住民と共に成長していき続けることが重要だと思います。

(3) 支援する、される関係から、相互に学び合う関係になること
 「支援する、される関係から、相互に学び合う関係になること」は、被災地の支援と交流を通じて被災地の皆さんから多くのことを学んだことにあります。また、その学びの成果を地域に還元しながら、被災地との交流に繋げることが今大きな課題です。日本は、どの地域でも自然災害の被災地になりうる国土です。被災地から学ぶ個人レベルの姿勢はもとより、組織単位として自治体労働者組織である職員組合として、行政機関であればその責任として市町村行政レベルで、相互防災システムの交流システム「人材交流、ノウハウ交流等」の確立が、大きな震災時毎ではなく、継続的に事業システムとして必要ではないでしょうか。

(4) 繋がることが、親和性と信頼性を創ること
 「繋がることが、親和性と信頼性を創ること」、お互いに出会い、その出会いの継続を通じて繋いでいき続けることこそが、信頼を創ることになると思っています。信頼とは、ある意味相手にすべてを委ねることでもあります。通常時に交流を通じて親和性をはぐくみ、非常時には被災地からすべてを委ねられる関係性をお互いに築けたならと思います。


5. 立場を超え、連携する西東京自治研究センター設立へ

 私たち西東京市職員労働組合は、5年間の復興支援活動を通じ、多くのことを学びました。
 第1に現場を知り、絶えず現場の声を大切にすることの大切さです。
 被災地でのニーズも、西東京市内の市民のニーズも日々変化します。「行政は、地域の中で暮らす住民のニーズに敏感になってほしい。そしてそのニーズに迅速に対応してほしい。」と言われます。
 日々変化するニーズを把握することの必要性を活動の中で再認識しました。
 行政改革の名のもと、現業職場等住民に近い職場の民間委託、指定管理者制度の導入が進んでいます。現業職場、公民館、保育、児童館等現場の再前線職場を直営で堅持することの必要性を改めて感じるととともに現場を守る活動を強めなくてはいけないと組合員と意志統一しています。
 第2に市民協働の実践の中で、市民と職員が繋がり、成長するということです。
 市民との活動の中で、生活感覚、多様性の受容、コーディネート能力といったスキルを学ぶことができたと感じています。
 第3に、今、行政に求められる役割についてです。市民ニーズを実現していくためには、様々な機関が有機的に連携していくことが必要となります。行政には、コーディネート役が求められます。災害時は、特に日常的に培った能力と関係性が問われると思います。質の高い公共サービスの実現に向け、人をどう繋げていくのか、そのための、感性と能力を高めていく必要があると思います。
 職員が現場で汗をかき共に議論し考え、「地域の力」「人の力」を繋げていくという協働のまちづくりの実践を重ねていくことが「最後まで地域で暮らしたい」と感じるまちづくりにつながるということを学びました。
 第4に市民からの市職労へ信頼性の増大です。活動のなかで、市民団体との間にこれは、必ず、公共サービスを支える職員の雇用を守るちからとなります。
 第5に様々な立場を超え連携することで、様々な力、可能性は生まれてくると言うことです。市民、行政、市民団体、企業等の連携でそれまで想定できなかった活動が生まれてきます。
 第6は、政策提言のできる自治研究センターの必要性です。
 活動の中で様々な人、団体が繋がり必要性が明らかになった事項を政策に反映させるその力を自治研センターが持ち、地域を変える原動力になっていくことが求められています。
 以上のことを踏まえ、これまでの活動を継続的に実施する基盤整備のため、市職労としては、昨年12月、定期大会で、「西東京自治研究センター」の設立を決定しました。
 福祉、子育て、環境、生活支援、被災地支援、産業振興、平和等様々な課題を市民、関係機関等とともに学び、活動し、「住んでよかった。」と思える西東京市を市民とともに創っていく拠点としての自治研センターにしていきます。