1. 現 状
(1) 暮らしの再建
① 被災者の住宅再建
東日本大震災により本村では、281棟251世帯が被災しました。発災から2カ月後には村内3カ所に応急仮設住宅が建設され、最大時で140世帯416人が入居。その他、親せき宅等への避難を含めると177世帯511人が長い避難生活をスタートさせました。当時の村の人口は約3,800人。村民の13%余りが避難生活を送ることとなりました。
その後、村と被災住民・被災地区役員との懇談を幾度も重ね、集団移転先を決定しました。村では、住宅再建を最優先に取り組み、県下でもいち早く2012年10月に移転団地造成の起工式を行いました。翌年3月末には被災集落に近い小規模な移転団地の造成工事が完了し、災害公営住宅の建築がスタート。自力再建の住宅建設も同時に始まり、早い世帯では7月に住宅再建をすることができました。
このほか、村内に3カ所の集団移転団地を造成。埋蔵文化財の本調査が入ったり、造成工事を行う建設会社が倒産したりという問題が発生しつつも、2014年6月にはすべての団地の造成工事が終わり、同年12月には災害公営住宅の建設もすべて終わりました。(参考:応急仮設住宅は2016年6月17日で全員退去)
2016年6月末現在の住宅再建状況は次のとおりです。
※1 避難世帯数より再建等の世帯数の合計が上回っているのは、再建時に世帯分離を行っている
世帯があるため。人数の増は震災によりUターンした家族構成員をカウントしているため。
※2 未再建は各々の事情により、住宅再建を行っていない世帯(者)。
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② なりわいの再生
村の基幹産業は水産業です。ワカメの養殖業をはじめ、ウニ・アワビの採介藻漁業、サケはえ縄・定置網漁などが行われています。震災直後、船や漁具を津波に奪われたことは、自宅が流されるよりも大変なことだと漁師らは話していました。漁師にとって船と漁具は、命と同じに大切な物だと言います。
また、近年は海岸の景観や海洋資源・人材を活用した体験型観光にも力を入れて取り組んでおり、漁師がガイドとなって漁船で村の海岸を周遊する「サッパ船アドベンチャーズ」は本村の観光の代名詞にもなっていました。震災からわずか4カ月後には、以前から観光で交流のあった青森県のA漁協から4隻の小型漁船を譲り受け、サッパ船アドベンチャーズを再開。そして、津波を経験した者がガイドとなり「サッパ船&津波語り部」という新たなプログラムで観光業再生の第一歩を踏み出しました。行方不明者の捜索が続く中、観光業などと非難の声もありましたが、漁師が、そして村が生き残るためには、観光業も立派な"なりわい"でした。そう再認識したのは、漁師の人々であり、村を訪れてくれる観光客だったと思います。
震災から数カ月、多くの漁師は国の緊急雇用事業により、がれきの撤去や道路の草刈りなど慣れない作業に没頭しながら、新しい漁船が届くのをひたすら待ち続けました。そして、2014年度までには国の支援により希望者全員に305隻の漁船を確保することができました。
ワカメの養殖施設も共同利用として国が一括整備を行い、2013年度中に設備目標を達成しました。
被災したサケふ化場は、経営規模から隣接の村と共同経営になったものの、2013年7月に施設が完成・操業開始することができました。ふ化場で育ち、放流したサケの回帰とともに、今後の水産業が復旧・復興していく姿を見守っている状況です。
(2) 被災地の復旧・復興
① 浸水用地の復旧
津波により被災した用地は、農林水産省の漁業集落防災機能強化事業を活用し、災害に強い集落道や盛土による面整備、水産施設用地の整備と、効果促進事業による震災遺構・メモリアル公園の整備を急ピッチで進めています。村は住宅再建を優先的に進めたため、現在でも工事未着手となっている浸水用地もありますが、2017年度までに整備計画のある用地はすべての工事が完了する予定です。
② 防災安全施設の整備
東日本大震災の大津波では、指定避難場所に行く途中で犠牲になったり、指定避難所で孤立したりしてしまうなどの課題がありました。①と同様の事業を活用し、より安全で早く避難ができるルートを確保するため、避難道路や避難サイン、照明灯の整備を進めています。併せて、村内に備蓄倉庫を建設し、救援物資が届くまでの食料品・生活用品・寝具も備えました。
また、津波避難は「てんでんこ」と方言でも伝承されているように、自分の命は自分で守ること、どこよりも高い所に逃げることが大前提です。ハード面の備えだけでなく、ソフト面の心構えも重要です。年1回の津波避難訓練には子どもからお年寄りまで、沿岸地域住民のほぼ全員が参加し訓練を続けています。 |