【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第3分科会 石巻に虹を架けよう ~被災地の今を見る、知る、触れる、考える~

 西東京市では、子どもの居場所づくりの充実を図り、子どもたちが自主的に関わり、参加する機会の確保に取り組んでいます。特に、児童館は18歳未満の乳幼児や児童が安全かつ安心して過ごし活動できる拠点であり、子どもたち自身の意見や考えを取り入れた運営が行われています。
 彼らが周囲のおとなや友人・仲間等と関わり合いながら、自ら参加し、積極的な意見等の表明や体験の機会を得るなかで、自己の形成が図られるよう、家庭や学校以外の場として、安全・安心に過ごせる場所や機会を確保していくための仕組みづくりについて、その可能性を模索するため『子ども参加』として当該事業を試みることとしました。
 そこで、児童福祉行政の一端を担う自治体職員として、また児童館に勤務する者として、子どもたちとともに、「もし今、自分たちのまちで同じようなことが起きたらどうする?」をテーマに、「知る」「考える」「声にする」段階を大切にし、大学生から小学6年生の若者たちが中心となり、取り組みました。ここに、エファジャパン・自治労西東京市職員労働組合・西東京自治研究センターの協力のもと実施された一つの実践を紹介します。



若者たちの防災会議
―― 子どもの参加と子どもたちの居場所づくり ――

東京都本部/自治労西東京市職員労働組合 増田 淳子・島崎 寛巳

1. 子どもの参加に向けた取り組み

 今回のメンバーは、毎日のように児童館に来て、ドッジボールや卓球、おしゃべり、たまに宿題をするような、普通の子どもたちです。ある時何気ない会話の中で、「児童館で遊んでいるときに、地震とかきて家に帰れなくなったら、児童館に泊まれるの?」「児童館に泊まってみたい」といった話をきっかけに、子どもたちの声をいかし、実際に児童館に泊まってみることにしました。
 東日本大震災から5年目となり、震災の話も聞くことが少なくなり風化しているとの声も聞かれる一方、復興に向けた歩みの中で自分が体験した悲しみや辛さ、経過における喜びなど少しずつでも話をしてくれる子どもたちもいます。
 そのような中で、当時、中学生で被災した大学生や実際に被災した現中学生たちの学習支援などをしている大学生たちの「伝えたい」という思いと、当時の年齢にほぼ近い子どもたちの「知りたい」という思いをあわせて、子どもたち同士の繋がり・継承といった観点で、どのようなものが生まれるかを出発点に、参加者を募ることにしました。自治労西東京市職員労働組合にも相談し、協力・支援を得られることになりました。
 こちらのねらいとして、以下のように掲げ、子どもたちの気づきを期待しました。
① 子どもたちが自主的に取り組むようにする……主体
② 経験者など、経験談や交流に気づいていく……発見・傾聴
③ 自分たちでどう考えていけばいいか検討していく……積極
④ 子どもたちが自分たちで声を出していく……行動


2. 第1回防災会議(ホップ)

  2015年8月8日(土)~9日(日)「第1回若者たちの防災会議」を実施しました。参加者は、中学生3人・小学6年生8人・大学生4人(+3人テレビ電話出演)、それと大人。はじめは、「児童館に泊まれる」と、気軽な気持ちで参加しました。
 みんなで、自己紹介をしながら、まず、あの3・11の時(東日本大震災の地震発生時)に、何をしていたかみんなで発表しました。当時、下校時に出くわした人は、怖くてその場にしゃがみ込んだり、余震でも道路が揺れていたとの意見が多くでました。すでに帰宅していた子は、布団にもぐりこんで余震などに怖がりながら、しばらくして寝てしまったという子もいました。
 東日本大震災とはどんな地震だったのか、記憶を取り戻そうと、どんなことがおきていたのか映像で一部を振り返りました。(岩手朝日テレビ監修 3月11日東日本大震災岩手の記録より)
 大学生たちの進行のもと、被災地支援をしている自分たちの話をしてくれました。岩手県山田町で、地域の方とともに、東洋大学の学生が、特に夏休みなどの長期休業時を利用して、中学生を対象に学習支援をしたり、夕食などを手作りで提供しているといった、具体的な取り組みを教えてくれました。
 市が作成した西東京市防災ガイド&マップを見ながら、自分たちのいる地域で、どんな防災情報があるか、調べました。避難場所はどこが近いか? 避難所はどこにあるか? 家で持出用品等の準備はしているか? 地震が起きたとき、避難する時どんな危険があるかをグループに分かれて、各グループに大学生が進行役として入り、意見を出しあい、話し合いをしました。
 この日の夜に、この時に宮城県の南三陸町にいる3・11当時中学生だった現大学生たちと、インターネットテレビ電話で、話をすることができることになり、あの日のことを教えてもらうために、事前にどんなことを聞いてみたいか、みんなで考え、ホワイトボードに書き出し、大学生をまとめ役に、質問を絞り込んでいきました。
 夕食は、実際の非常食を試食してみました。備蓄品の中から、お湯だけで食べられるアルファ米と、大鍋でカレーを作って食べました。子どもたちの感想は、「意外においしー」とおかわりをしている子もいました。また、翌日の朝は、5年保存できるパンを試食しました。「これ××いー、食べたくなーい。」と一袋何とか完食していました。
 インターネットを使って、南三陸町とテレビ電話で直接会話をしました。
 自分たちの考えた質問を聞いてみました。なかなか、当時のことは思い出したくないだろうな……と思いながらも勇気をもって、聞いてみました。
 真剣に答えてくれる大学生の話に、聞き入りました。「あの時があるから、今、夢を持ち、将来のことを考えることができている。」という言葉が、心に残りました。
 翌日は、昨日の話を聞いて、「自分が同じ(被災した)状況になったときに、何をするか?」自分たちなりの意見を出しあいました。
 他の人の意見も聞いて、自分の考えをまとめていきました。なかなか難しいですが、できることから書きだしました。「部屋で物が落ちないようにする。」「建物の下敷きにならないように逃げる」「家族とどこに集まるか決めておく」……、と思い思いの意見を言いました。
 福島県いわき市で実際に避難所生活をした学生からも話を聞き、自分が同じ境遇だったらどうなるかを考えながら、「電気がないとゲームができない」「水がないと手や体が洗えない」「冬だったら寒い」「非常食はまずい」などなど、活発に意見がでました。
 頭を思いっきり使い、色々な人の話を聞き、自分の考えも言うことができました。
 最後に、次回までの宿題として、今回の報告をすることと、「災害にあった時にどうするか?」万が一の時に、家族の中での約束ごとを話しあっておくことになりました。


3. 第2回防災会議(ステップへの準備)

 9月27日(日)若者たちの防災会議 勉強会
 8月に実施した「若者たちの防災会議」の振り返り
 ①大学生に聞いて「学んだこと」、「自分達でできること」を振り返って、8月の防災会議で宿題となっていた「家族で、災害にあったときにどうするか話しあった」ことをみんなで確認しました。普段、親子で話しをすることが少なくなった。
 ②みんなの前で発表できるように、模造紙に書き出し、自分たちの言いたいことをまとめました。

4. 第3回防災会議(ステップ)

 10月10日(土)・11日(日)の両日、西東京市において、全国自治体シンポジウムin西東京が開催され、全国の自治体から多くの参加がありました。そんな中、シンポジウムの会場の隣の児童館において、10月11日(日)に若者たちの防災会議の報告&交流会を開催しました。
 参加者は、西東京市の子どもたち7人・石巻市&松本市の子どもたち4人・大学生9人・地域の大人の方たちで、隣のシンポジウムの会場から、ヨーロッパ子どもにやさしいネットワーク代表ヤン・ファン・ヒルス氏も駆けつけてくれました。
 冒頭に、8月の若者たちの防災会議のファシリテーター役を担ってくれた大学生から第1回防災会議の目的や内容等の概要説明をしてくれました。
 次に、西東京市の子どもたちが、8月に実施した「若者たちの防災会議」を振り返りました。「学んだこと」「できること」にまとめたものを大学生や地域の方々に発表をしました。
 そのあと、被災された大学生たちの話を聞きました。
 「町の指定避難場所になっていて、高台にある自分たちの中学校にまさか津波が来ることなんて思いもしませんでした。必死に裏山に逃げました。兄弟・家族がどうなったか心配しながら、不安でいっぱいの中、友達と寄り添って一晩を過ごしました。」……と想像を絶する体験を教えてくれました。
 今の自分たちと同じ年代(中学生)の時に震災にあったことを聞いて、いつ起こるか分からない、他人ごとではないということを実感しました。
 被災直後と比べて、現状・復興が進んできているものの、過去を思い出したくない人、風化させないために頑張っている人の話を聞きました。
 ヨーロッパ子どもにやさしいまちネットワーク代表、国際子どもの遊び評議会会長のヤン・ファン・ヒルスさんからこの発表に関する意見をいただきました。
 「大人ではなく、子どもたち(大学生)が、次の世代に伝えていることに驚いた。(忘れよう忘れようと)逃げ出さずにしっかり事実を伝えていることに感心した。」といった言葉をいただきました。
 エファジャパンの大島事務局長から、カンボジア、ラオス、ベトナム等アジアの子どもたちの現状について報告がありました。また、子どもの参加、子どもの権利について活動を通じた説明を受けました。
 最後に、西東京自治研究センター後藤理事長からも、「引き続き、子どもの参加と居場所づくりの活動を支援していきたい」と、メッセージをもらいました。
 報告会の後は、交流会をしました。コマ・けん玉・なわとびなど、むかしあそびで交流を深めました。ひととおり遊んだあとは、西東京市の子どもたちが、「おもてなし」をしてくれ、みんなに、炭火でホットドッグや焼きマシュマロの作り方を教え一緒に作って食べたり、焼きそばをつくって、みんなにふるまってくれました。


5. 第4回防災会議(ジャンプに向けて)

 2016年1月10日(日)「若者たちの防災会議」勉強会を実施しました。
 参加者は、中学生2人・小学生5人
 2016年1月10日(日)文京区白山にある、東洋大学で行われた「子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援」として、震災で被災した大学生、被災した子どもたち、それを支援している大学生たちが講演会やグループワークをしているところに見学にいきました。
 まず、参加している被災地の中学生や高校生たちが紹介され8月の防災会議にも参加してくれた大学生たちも、現在の取り組みについて、話をしていました。
 第2部では、地域ごとにグループに分かれ、今までのことをふまえた、「これからできること」を話し合っていました。
 それらを聞いて、「ひどい目にあったことを乗り越えて、進学など将来を決めていて、すごい」「自分の意見(意思表示)がしっかりとある」「(海外で被災の報告をするなど)世界のことを考えている(目を向けている)」「(自分のこと・地域のことなどの)将来のことをちゃんと考えている」……といった感想を持ちました。
 帰ってきてから、少し「振り返り」をしました。子どもたちの率直な意見を聞くと、
・実際に被災された当時中学生だった人の声を直接聞くことができた。
・思った以上に大変な目にあっていたことをあらためて知った。
・「自分にも、いつ起こるかわからないから気をつけていく。」……と、他人事ではなく、自分のこととして考えた。
・将来を見据えて、とても前向きに、自分の主張や輪を広げる、世界へ発信する、次の世代へつなげる……といったことに具体的に取り組んでいることがわかり、「自分だったら何ができるか」を考えるきっかけになった。……
など、この勉強会で、同世代の意見表明を聞いて、自分の思ったことを「声に出していい」んだ、と思うようになりました。


6. 課題とまとめ

 全体を通して、こちらがついつい結論に結びつけようとする大人の押しつけを我慢して、子どもたちの声・ペースを大切にしました。
 どちらかというと、「学校の勉強は好きじゃない」「考えるのは面倒くさい」といった前提の彼らが、「どうする?」と聞くと「やるー」と即答し、毎回一生懸命に考えている姿がみられました。
 そこには、「他人事ではなく、いつ自分が同じような目にあってもおかしくない」「(一緒に遊んでくれた、より近しい)大学生が、教えてくれ、一緒に考え、自分たちの意見を聞いてくれた」といった思いがあったと思います。
 課題としては、
 万が一の時に備えて、「自分だったら何をするか」、考えはじめた。(⇒ホップ)
 みんなの前で発表することができた。おもてなしができて良かった。(⇒ステップ)
 自分の意見を主張していいんだ・こういう人に自分もなりたい・自分だったら何をするだろう? と、より具体的に考えはじめ、何かできることをしていきたい、と自発的な行動に繋がっていることが実感できた。(⇒ジャンプへの準備)
・このような段階を、子どもたちのペース・時間軸で進めていくために、大人が、口をはさまない、手を出さない。誘導しない。結論を急かさない。といった関わりができるか。
・子どもたちのペースに合わせて、子どもたちが学年があがることで、部活動や塾通いなどで時間がなくなっていく中、継続的にこのような活動に関われるか。
・「声を上げていいんだ」という認識ができた後の、「これをしたい」という自発的な行動につなげていけるか。
・大人が求める、劇的に、飛躍的に変化して、みんなの前で堂々と「こうあるべきです」と提言・主張ができるようになるか。
など、といったことがあげられます。
 今後も、子どもたちの声を聞きながら、
・若者たち(大学生と中高校生)が一緒になっている、この活動を継続できるようにする。
・被災地のためにできることを見つけ出す。
・参加者の輪を広げる。固定メンバーではなく、横にも縦にも、継承できるようにする。
・最終的には、地元に還元するために、「自分たちのまち」をどうしていきたいかということを将来を担っている子どもたちから提言してもらう。
といったことができるように、つながりをもって、この活動を続けていこうと思います。
 幸いなことに、子どもたちが大学生たちと直接話しあい、「今年度も同じようにこの会議を続けていきたい」と確認しあっていました。
 これからも、活動の主体である「若者たち」の声が少しでも実現できるように、努めていきたいと思います。