1. 自治労のボランティア支援活動計画の考え方
自治労独自の、ボランティア支援=人的支援の取り組みについて、「被災者の支援・救援を行っている自治体職員・組合員の業務を支援する」ことを中心課題として対応する。
2. 計画期間
活動サイクル 日曜12:45熊本駅前集合→日曜午後引き継ぎ→月曜活動開始・土曜活動終了(避難所運営夜間対応は日曜朝活動終了)→翌日曜午後引き継ぎ 後帰郷の7泊8日
| 熊本駅前・引き継ぎ13:00 →宿舎移動14:30 | 支援活動期間 | 熊本駅前・引き継ぎ13:00 →解散14:30 |
第1G | 5/15(日) | 5/16(月) ~ 5/21(土) | 5/22(日) |
第2G | 5/22(日) | 5/23(月) ~ 5/28(土) | 5/29(日) |
第3G | 5/29(日) | 5/29(月) ~ 6/4(土) | 6/5(日) |
第4G | 6/5(日) | 6/6(月) ~ 6/11(土) | 6/12(日) |
第5G | 6/12(日) | 6/13(月) ~ 6/18(土) | 6/19(日) |
第6G | 6/19(日) | 6/20(月) ~ 6/25(土) | 6/26(日) |
第7G | 6/26(日) | 6/27(月) ~ 7/2(土) | 7/3(日) |
3. 支援活動
(1) 支援活動参加県本部の構成
① 支援活動参加者………………23県本部・28チーム 合計56人
大阪、兵庫、広島、山口、福岡 ~各4人
滋賀、京都、奈良、和歌山、岡山、鳥取、島根、香川、徳島、愛媛、高知、佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄、社保労連 ~各2人
② 現地事務局
熊本県本部・九州地連(各県本部)・本部役職員で構成
(2) 支援活動対象自治体と活動内容・活動場所
| 自治体 | 班 | 活動内容 | 活動予定場所 | 担当県本部・人数 |
阿 蘇 B C | 大津町 (おおづまち) | 大津班 | 罹災証明事務補助 | オークスプラザ | 奈良2、和歌山2 徳島2、大分2 |
西原村 (にしはらむら) | 西原班 | がれき搬入補助 | 西原村民グランド | 岡山2、鳥取2 香川2、宮崎2 |
益城町 (ましきまち) | 益城班 | がれき搬入補助 | 木山中学校 | 島根2、佐賀2 沖縄1、社保2 |
菊陽町 (きくようまち) | 菊陽Ⅰ班 | 避難所運営補助① | 光の森町民センター | 愛媛2、高知2 |
菊陽Ⅱ班 | 避難所運営補助② | 南部町民センター | 兵庫4 |
南阿蘇村 (みなみあそむら) | 南阿蘇班 | 避難所運営補助 | 南阿蘇中学校体育館 | 山口4、福岡4 |
山 都 C | 宇土市 (うとし) | 宇土班 | 罹災証明事務補助 | 宇土市民体育館 | 広島4、長崎2 鹿児島2 |
宇城市 (うきし) | 宇城Ⅰ班 | 避難所運営補助① | ウイング松橋(まつばせ) | 滋賀2、京都2 |
宇城Ⅱ班 | 避難所運営補助② | ラ・ポート | 大阪4 |
(3) 京都チームの具体的な活動内容(第1G及び第2G)
① 宇城市のウイング松橋(まつばせ)における避難所運営補助(24時間勤務×2交代制)
② 主な活動内容
・避難者への食事の提供
朝食7:00 昼食12:00 夕食18:00
・支援物品の管理及び配布
生活用品や飲料水等
・ごみステーションの管理
・施設内の清掃(体育館や共有スペースの床の清掃)とトイレや洗面所等手の触れる部分の除菌作業
・その他宇城市職員の指示による業務
4. 感 想
自治体職員が応援に入ることの意義
私が活動した1Gの時期は、被災からちょうど1カ月が経った頃だった。
活動場所のウイング松橋は、体育館と文化ホールが一体となった、大型の施設で、損傷もほぼないことから、車中泊の人たちを含め当時約270人の被災者が集まっており、その270人を市の職員4人で(12時間勤務)運営している状態だった。
初日、最初の感じでは、避難所内も一定落ち着きが取り戻せているように思えたが、実際は職員も避難者も疲労が蓄積され、少し危うく思われた。時間が経つにつれ「困ったときはお互い様」と言う言葉が薄れていき、また、職員もその苦情を裁ききる余力がない。
このような状況の中、現職の自治体職員がボランティアではあるが応援に入ったことは、大変意義のあることと思う。
ボランティアという立場で活動させてもらったが、このような直接被災者と接する業務に、もっと自治体からの職員派遣が必要と思われる。
被災地で働いている職員もまた、被災者ということを忘れてはならない。
マスコミを通して見える被害が全てではない
私が避難所運営補助のボランティアに参加したのは、地震が発生してから1カ月以上経過していた。派遣された宇城市や、宿泊した山都町では通常営業している店舗も多く、一見すると日常生活を取り戻しているように思えるが、建物の壁には亀裂が入り、道路には大きな段差ができていた。建物が完全に倒壊しているところは映像的にもインパクトがあり多くのマスコミも報道するが、それ以外の場所でも地震の影響はある。被災した現地を実際この目で見てみると、多くの人が日常生活に支障をきたしており、息の長い支援の必要性を感じた。
震災は現実にどこでも起こりうる
地元自治体の職員は、自身も被災しているにもかかわらず、通常業務をしながら避難所の運営を行っており、相当なストレスの中で献身的に働いていた。しかし、現場の責任者が明確でなく、避難所運営について十分な体制がとれているようには思えなかった。
全国の自治体では人員削減により、日々の業務ができるギリギリの人数しか職員がいないため、地震に対し普段からの準備・点検が十分できていない現実があるのではないだろうか。地元の人たちから、まさか熊本で地震が起こるなんて思ってもみなかったという感想を何度も聞いた。日々の忙しさの中で、地震は現実的な問題としてとらえることが難しいかもしれないが、震災はどこでも起こりうるということをしっかり受け止めなければならない。
ボランティア精神
私が参加した日程が被災されて約1ヵ月強がたち被災者の方達がストレスを感じはじめてきたのではなかろうかと思われる状況だった。1週間ボランティアに参加した中で感じた事は「非常に大変だった」が強く残る。
ただ単に宇城市職員の指示に従い、あくまでも運営補助をするだけだったら、これほど楽なボランティアはないと思われる。しかし自分が言うのもおかしいが、避難所の在り方・被災者の感情等をどれだけ感じとれるかで、ボランティアの中身も変わってくると思う。
自治労としてボランティアを送るのは賛成であり取り組みとして素晴らしいことだと思うが、私も含めて、ボランティア精神とは何ぞやを理解し(研修必要)派遣するべきだと思う。
第7G活動報告
仕事の内容は被災ごみ搬入者のごみを確認し、分別指導補助と搬入場所における荷降ろし補助を行った。解体業者の持ち込む被災ごみは木材や瓦類等、品目毎に分別されており、ダンプで降ろしていたが、市民やボランティアが持ち込む被災ごみの車両は混載であるため、それぞれの廃棄物の保管場所での荷降ろしとなり、かなり手間がかかった。1日だけ益城町のがれき搬入現場に行ったが、そちらでは最初は被災ごみを混載のままでも受け入れていたため、再分別の必要があり、西原村よりも更に手間のかかる作業になっていた。震災後の混乱した状況の中ではあるが初動において、きちんと対応しておかなければ、後に大変な状況になるのだと改めて感じた。
現地の自治体職員は初日のみ現場確認に来たが、2日目以降は自治労ボランティア班が中心となり、臨時職員、シルバー職員と連携し、運営を行った。
活動期間中、1日目~3日目は雨天が多く、宿舎出発後の活動場所変更や午後の活動中止等、自治体、ボランティア事務局、班長との連絡調整が必要な事態が多く発生し指示系統に混乱が生じる場面もあった。
4日目からは晴天となったが、炎天下での作業となり、熱中症の症状を訴える者もあらわれたが水分補給をして、なんとか乗り切った。5日目、最終日と熱中症対策を強化して、活動は無事終了した。
震災ごみの搬入には許可書を自治体で発行されているが、益城町の市民搬入が終了してからは、西原村に搬入したいために許可書をカラーコピーして搬入する者がいるとのことであったが、ボランティアでは偽造等の確認が困難であるため、搬入場所には、自治体職員1人を配置して、許可書の確認をする必要があると感じた。
5. 総 括
【活動期間】 | 2016年5月15日(日)~7月3日(日) |
【活動日数】 | 50日間 |
【支援自治体】 | 8つの自治体で活動 (熊本市、宇城市、宇土市、大津町、益城町、菊陽町、西原村、南阿蘇村) |
【参加県本部】 | 23県本部(西日本の各地連および社保労連より) |
【参加のべ人数】 | 3,057人(事務局含めた活動参加のべ人数は3,509人) |
京都の支援活動先自治体・任務内容
第1G 宇城市(避難所運営補助) 自治労京都市職×2人
第2G 宇城市(避難所運営補助) 自治労京都市職×2人
第3G 益城町(がれき搬入補助) 京都交通労組×2人
第4G 益城町(がれき搬入補助) 京都交通労組×2人
第5G 益城町(避難所運営補助) 京都市埋文研労組×1人、八幡市職労×1人
第6G 益城町(がれき搬入補助) 城南衛管労組×2人
第7G 西原村(がれき搬入補助) 自治労京都市職×2人
「困っている仲間、苦しい仲間を支えあう」のが労働組合の原点であるならば、今回の熊本での支援活動は、まさしく"自治労"という私たちの労働組合の団結があったから、自治労だからこそ成し得た取り組みと言えるのではないでしょうか。
「被災地の、そして苦しむ仲間の役に立てたのか」と感じる活動参加者もいるかもしれませんし、今後も長く続く復旧・復興にむけた道のりから見れば、私たちが関われたのは、ほんの一時期の少しの部分であったのかもしれません。
しかし、参加者の思いは確実に、そして熊本で流した汗は確かに、自治労の仲間に、自治体の職員に、そして被災した方々に届いていると思います。(支援活動事務局一同)
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