【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第3分科会 石巻に虹を架けよう! ~被災地の今を見る、知る、触れる、考える~ |
2011年3月11日の東日本大震災で被災した宮城県南三陸町と、南海トラフ巨大地震の被災想定により近い将来の被災が予想されている高知県黒潮町の自治体職員が交流を続けている。この度、黒潮町職員労働組合は宮城県を訪問し、研修を行った。南三陸町職員組合との交流研修をとおしての気づきを報告する。 |
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1. 交流の経過 南三陸町職組と黒潮町職労の関わりは、高知県の公衆衛生チームの一員として保健師が短期派遣されたことが始まりであった。その後、防災の自治研活動に位置づけ、単組間の交流を深めていった。
2. 南三陸町を訪問 2014年の約束を果たすため、2015年11月21日~23日、黒潮町職労より5人の組合員が南三陸町を訪問した。東日本大震災を経験した南三陸町職組から、震災の教訓を継承し、職員の生命の確保、防災、減災対策、町づくりの維持活性化に役立てることを目的に、被災地・南三陸町で交流研修を行った。
私たちは、復興期から発展期にさしかかった南三陸町を訪れた。防災対策庁舎のある志津川地区は、10mを越える盛土が行われており、盛土の上に新たなまちが計画されているという話であった。南三陸町のまちづくりや、盛土に囲まれた防災対策庁舎等、復興工事の実際を目にして、無意識のうちに黒潮町と重ね合わせて想像していた。今後予想される南海トラフ地震と津波被害の後に、私たちはどんなまちづくり、復興を行うのか? 2014年の自治研活動の中でも議題に上がった「事前復興」というキーワードを思い出し、私たちの町の防災、減災対策に活かさなければならないと感じた。 3. 職員の体験 研修会(交流会)では、業務多忙な中、南三陸町職組の方々に参加していただき、被災時の体験やその後の復旧・復興業務について話を聞くことができた。「九死に一生を得る」という言葉通りの壮絶な体験をし、自らも被災者であるにも関わらず、時には住民からの厳しい叱責を浴びながらも、懸命に自治体職員としての任務を遂行してきた話に、同じ自治体職員としてただ頭が下がる思いであった。また、震災後に町職員として採用された若手職員の方々からは、まちの復興に携わりたいという強い思いが伝わってきた。自らの役場職員としての歩みが、今後の南三陸町の復興に向けた歩みになるのだという責任感にあふれた青年たちであった。
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4. 当事者性の獲得 仙台空港から南三陸町に向かう途中で、石巻市の大川小学校を訪れた。大川小学校は、新北上川沿いにあり、震災時には津波が堤防を越えて押し寄せ、避難途中の小学生、教諭、住民の方々が多数尊い命を落としている。私としては、震災の被害を現地で学ぶために訪れたい場所の一つであった。
5. まとめ 単組間の交流が始まって、4年目を迎えた。職労の自治研活動として始まり、その後の取り組みを模索してきた中で、この度、黒潮町職労組合員が南三陸町を訪れる機会に展開した。 |