【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第4分科会 安全な場所・逃げる場所ってどこなの? ~防災を知ろう~ |
広島2014.8.20豪雨災害において、被災地域選出議員として行政・被災地域住民・災害ボランティアとの協働した復旧活動の取り組みを通じて、早期の復旧・復興に向けての「復興まちづくりビジョン」策定と今後の防災・減災のための骨格的な基盤施設の緊急整備の取り組みについての報告 |
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1. はじめに 2014年8月20日の未明、これまで聞いたことのないような激しくたたきつける豪雨の音と雷に目を覚まし、災害が起きなければいいがと念じながらウトウトとして夜明けを待った。これまで1999年の6月29日(6.29豪雨災害)に発生した豪雨災害を思い起こす、恐ろしい予感をさせる激しい音だった。午前5時過ぎに友人が「桐原が大変だ」と迎えに来てくれた。現地へは4本の道があるが3本の道は土砂崩れで通れず、最後1本の道路を通ってたどりついた。道路等をどことはなしに流れる水と小雨の中で、そこで見たものは、家が完全に土砂で流され、黒い屋根だけが少し浮き上がっている今まで見たこともないような恐るべき光景だった。長靴を履いているがぬかるんで歩けない。その向こうには、あったはずの集会所が跡形もなく消え、下側にあった道路を超えてさらに3mぐらい下にある田んぼに落ち込んでいた。わずかに残った茶色の屋根の一部が集会所であることを教えてくれた。まさに恐ろしく、異様な光景がそこにはあった。
まず、何を、どうすべきか迷ったが「人がいたはずだ」という声に、すぐに災害対策本部に捜索要請の電話をした。そして、その日の内に他の被災地も確認したが、家が土砂や流木で流され、道路は川となり、人の生活がそこにあったかと思うと胸が痛む光景が次々と飛び込んできた。「なんとかしなければ」と思った。 1人の人間の力は弱いが、それでも全力でなんとかしなければと思わざるを得ない光景だった。 |
2. 豪雨災害の概要 広島市安佐南区の一部と安佐北区の一部では2014年8月20日の未明に1時間で100㎜を超える集中豪雨となり、午前2時から4時までにかけて200㎜を超える場所もあるなど過去に経験したこともない豪雨となった。安佐北区三入東では午前3時から4時までの1時間で121㎜の雨量を記録し、24時間の累積最大雨量も284㎜を記録した。同様に上原雨量観測局(安佐北区可部東)も1時間で115㎜、24時間の累積最大雨量は287㎜、高瀬雨量観測局(安佐南区八木)も1時間87㎜、24時間で247㎜を記録した。三入東、上原両観測局では1時間雨量が広島の8月1ヶ月分の平均降水量(111㎜)を上回る豪雨となった。雨音も極めて激しく強く、水道の蛇口をいっぱいに空けたようなザーッという音で目を覚ます有り様だった。同じ場所で次々と積乱雲が発生する「バックビルディング現象」となったと考えられ、局所的に猛烈な雨に見舞われた。今回観測された短時間豪雨はアメダスや雨量観測所が設置された1975年以降の観測史上最大といわれ、降水の年超過確率規模からも500年以上に一度の頻度で発生する規模であると想定されている。 |
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3. 避難勧告等
安佐南区災害対策本部、安佐北区災害対策本部から発令された避難勧告は最大で68,813世帯、164,108人が対象となった(8月20日~24日)。その後、順次解除が進み2014年11月20日に全てが解除された。
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4. 災害復旧に向けた広島市の対応
(1) 民有地の土砂撤去
これまでの基本方針は ① 異常な天然現象により生じたものであること。(例として最大24時間雨量が80㎜以上の降雨、時間雨量20㎜以上の降雨、最大風速15m以上) ② 宅地であること。 ③ 原則、宅地から広島市が指定した道路に集積された土砂であること。 ④ 土砂等(泥土、砂礫、岩石、樹木)であること。 ⑤ 大規模災害であること。(大規模災害とは10戸以上が隣接して被災した災害) であったが、③に「ただし、大規模土石流等により流出した土砂等についてはこの限りではない。」を付け加えることによって、民有地内の土砂も撤去できるようにした。 しかし、すべての地域の民有地の土砂を撤去することは当面難しいことから被害の大きかった安佐南区緑井地区、八木地区、安佐北区可部東地区、三入南・桐原地区、大林地区について対象地域を限定した。2014年度決算を見ると災害復旧に50億734万円の支出となっているが、民有地災害復旧はその内23億6,376万円を占めている。全壊や大規模半壊などは個人では土砂を取り除き、建物を除去することは非常に困難な状況にあった。行政当局が撤去方針を示したことで民有地の復旧も大きく前進することになった。また、同様に田畑などの農地内に流れ込んだ土砂についても前述の5地域については市が直接撤去することにした。 8.20豪雨災害で被災し、撤去した土砂やがれき等は522,304トン(約32万m3)となった。撤去したがれき混じりの土砂は災害廃棄物となり、土砂、がれき等に分別したうえで最終処分する必要があったが、分別プラントの整備には多くの日時を要した。そのため、9か所の民有地や公園、事業用地等へ一次仮置きをした。分別プラントが整備された後は一次仮置き場から土砂等を搬入し、2016年2月にようやくすべての廃棄物が処分されることとなった。
(2) 家庭内の被災ごみの収集
(3) 家屋の解体・撤去
被災者は自力での復旧は極めて困難で広島市の新たな方針によって全体的な復旧が進められることになった。 なお、解体、撤去する家屋については、 ① 被災者台帳に登録され、全壊、大規模半壊と認定されたもの。 ② 撤去要望のあったもの。 ③ 権利者の代表者(権利者死亡の場合は相続人の代表者)の同意を得られたもの。 この新たな方針によって全壊家屋121棟、大規模半壊家屋18棟を解体、撤去した。なお、個人で家屋を解体した被災者については限度額100万円で義援金を充てることにした。
(4) 仮住宅の提供
(5) その他 |
5. ボランティア活動 災害復旧で大きく力を発揮したのが災害ボランティア活動と言える。災害発生当初は被災地域が避難指示区域になっていたためにボランティア活動が制限された。しかし、民家には土石流が流れ込んでおり、天候も回復してきたために一時避難場所から自宅に帰って片付けをする被災者も多くおられ、知人等を通じてボランティア活動が自然発生的に行われることになった。特に、家屋の床下、床上に流れ込んできた大量の土砂を取り除くには重機を使うこともできず、まさに、人の力で取り除かざるを得なかった。こうしたボランティア活動がなければ早期の復旧は困難であった。
安佐南区、安佐北区の社会福祉協議会は8月22日から災害ボランティアセンターをそれぞれ立ち上げた。災害が大きかった避難指示区域については避難指示が発令されている間はボランティア活動ができなかったが、安佐南区では8月24日から順次解除され、安佐北区でも8月31日に全て解除されたため順次ボランティア活動が行われ始めた。 この安佐南区、安佐北区のボランティアセンターの集約だけでも43,872人に達しており、復旧に大きく貢献した。 |
6. 若林新三議員の対応 若林新三市議会議員(安佐北区三入東)の地元でも大きな被害が発生しており、被災者の捜索、被災地域の早期復旧・復興と被災者の生活再建等の対応を行った。
(1) 災害時の初動
(2) 避難場所での活動
(3) ボランティア活動
(4) 要請など |
7. 義援金
8.20豪雨災害では全国各地から暖かい義援金が寄せられた。 |
8. 復旧・復興に向けて
広島市は2015年3月に「復興まちづくりビジョン」を策定した。 |
9. おわりに
2014年の8月20日以降、忙しく対応に追われたが、被災地は少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。国、県、市と連携して取り組みが進められるとともに、自治会等の住民組織も力強く協力していただいた結果だと思われる。
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