【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第4分科会 安全な場所・逃げる場所ってどこなの? ~防災を知ろう~

 5年前の東日本大震災に続き、2016年4月には熊本地震に襲われ、現在も復興活動が行われている。近い将来には南海トラフ巨大地震が想定されており、発生した場合には徳島県も大きな被害を受けるのは明らかである。そこで、地震を想定し、わが自治体では事前復興のまちづくりに取り組んでいる。その取り組みについて具体的に述べるとともに、地域住民との協働や安心して暮らせる地域づくりの課題を考える。



住民主体の事前復興まちづくり


徳島県本部/美波町職員労働組合 浜 大吾郎

1. はじめに

 先日の新聞で、『東北被災沿岸地域の人口減深刻』という記事を目にした。思えば私の町も3・11以降、何度も仮想津波にのまれたのかも知れない。町の高齢者達は大津波に対し諦め感を覚え、次代の町を支えるはずの若者達は、津波で何もかも流されてしまうのを危惧し、津波の心配のない町外へ転出する動きが見受けられるようになってきたからである。

2. 美波町の概要

 さて、私のまち徳島県美波町由岐湾内地区は、徳島県の南東部に位置する、海と山に囲まれた風光明媚な漁村である。古くから水産業が非常に盛んな町であったが、近年の漁獲量の減少や魚価の低迷等により後継者は減る一方で、かつての賑わいは"今は昔"という状況である。また、私の町は過去の南海地震によって、破壊と再生を繰り返してきた町でもある。美波町東由岐地区にある康暦の碑は、1361年の正平南海地震による被害者の供養碑と伝えられており、現存する日本最古の津波碑といわれている。

3. 被害想定

 3・11以降、内閣府と徳島県から南海トラフ巨大地震について、数回にわたり衝撃的な被害想定が公表されてきた。まず、2011年12月に徳島県が津波の被害想定に関する暫定値を公表し、その後、内閣府からも公表された。2012年8月には、内閣府から「美波町の最大想定津波高が24m」という衝撃的な数値が公表された。これは徳島県内最大で、地域住民、とりわけ高齢者には諦め感が広がった。2013年度に入っても、震撼させられるような想定が公表された。特に徳島県から公表された「美波町の死者数2,400人(人口の約31%)」という数字は、私たち町職員を震え上がらせたが、意外にも町内ではほとんど反響は聞かれなかった。おそらく、度重なる被害想定の公表と、想像がつかないほどの大きな数値だったため、「もういい加減にして欲しい」という思いだったのだろう。さらに、追い打ちをかけるような指定もなされた。2014年3月11日、徳島県は「津波防災地域づくりに関する法律」及び「南海トラフ巨大地震等に係る震災に強い社会づくり条例」に基づく津波災害警戒区域(いわゆるイエローゾーン)の指定を行ったのである。海側を見れば津波防災地域づくり法のイエローゾーン、山側を見れば土砂災害防止法のイエローあるいはレッドゾーン。行政は危険な区域の指定はしても、住み慣れた土地に住み続けるための妙案を示してはくれない。そのため、私の住む地区の住民達は、その土地に住み続けることへの自信を失っていったのである。

4. 事前復興まちづくり

 東日本大震災のリアルな被災映像や、度重なる衝撃的な被害想定の公表により、由岐湾内地区の住民は、地震・津波に対する諦めや、津波の来ない所に引っ越したいという意識が芽生え、就職や進学、結婚等を機に転出する、いわゆる震災前過疎という現象が起こり始めた。震災前過疎が進めばコミュニティが成り立たなくなり、自治体基盤の崩壊にも繋がりかねない。一方、高齢者は、南海トラフ巨大地震から生き残れたとしても、地区内での復興を諦め、町外に暮らす親族を頼って移住するだろうと思われる。すると、更なる過疎を招き、震災で地域が消えてしまうかもしれない。
 そうならないために、私たちは2012年1月から「事前復興まちづくり」に取り組み始めた。事前復興まちづくりとは、南海トラフ巨大地震・津波等の自然災害リスクや、人口減少・過疎化・高齢化等の社会リスクを受け止め、震災前から復興を含めた町の将来像を共有し、復興対策や地域活性化に取り組むことである。私たちの解釈では、復興準備という意味での事前復興は、災害が起きたとしても人口や町の成長を維持することを目標としているのに対し、事前復興まちづくりは、まちづくりの視点から、災害が起こる前から地域の持続性や豊かさ、住民の幸福度を向上させることを目標としている。私たちは、この事前復興まちづくりによって、地震・津波による被害を最小限にとどめ、震災前過疎をくい止め、生業やコミュニティの絆を守り、震災が発生しても地域の消滅を防ぐことができると信じている。
 ところで、事前復興まちづくりという言葉は、住民の方々にはまだ馴染みのない言葉であるため、私たちは「ごっつい由岐の未来づくりプロジェクト」と名付けた。

5. 「ごっつい由岐の未来づくりプロジェクト」の取り組み

 プロジェクトでは、由岐湾内地区にある3つの自主防災組織が連携し、2012年1月からさまざまな取り組みを行ってきた。なぜ、連携するかと言うと、事前復興まちづくりに限ったことではないが、1つの組織で解決できない課題も、いくつかの組織が連携を図ることによって解決へのヒントが見つかることがあるからだ。由岐湾内地区の3つの自主防災組織は、南海トラフ地震が発生した場合、同じように被災するだろうが、それぞれの強みや弱みを共通認識し、お互いに助け合うことで、事前復興まちづくりを進めていけると考えている。さらに心強いことに、プロジェクトには地元の徳島大学が当初からご協力してくださり、最新の科学的知見に基づいてサポートしてくれている。
 現在、プロジェクトでは、事前復興まちづくりの最大テーマの1つである土地利用について検討している。東北被災地の土地利用計画を参考に、由岐湾内地区での土地利用計画案を考えるワークショップを実施し、どのようにして災害とうまく付き合っていくべきか、住民どうしで話し合ってきた。なぜ、震災前に土地利用計画を考えるのか、その意義については次のように考えている。復興の妨げとなる問題を事前に解決することで復興にかかる時間を最低2年、最長4年短縮できるからだ。その根拠として、候補地選定と合意形成に1年、保安林等の指定解除や文化財調査に1年、そして土地造成に2年かかる。従って、それらを事前に短縮しておくことは、非常に有意義だと考えている。
 土地利用計画はまず、徳島大学の協力のもと、高地開発の候補地を地域内で6か所選定し、自然環境面、生活面、社会面の三つの状況から判断し、それぞれの開発工事の難易度を簡易的に評価した。そして候補地の現況特性から、開発に伴う環境、安全、経済、利便、快適などの項目に関して定性的に分析評価し、結果を出した。さらに6か所の中から2か所に絞り込み、具体的な高地開発プランを検討した。1つは山を削る案(対象地A)、もう1つは谷を埋める案(対象地B)。対象地Aは事前復興準備として震災後に開発すること、対象地Bは高台展開地として震災前に開発することを想定した。検討の結果、宅地1区画の面積を100坪とした場合、対象地Aでは29戸分の宅地を確保できることが分かった。私の町の宅地は近年、約50坪が平均と言われているので、おそらく倍の60戸の宅地が確保できると思われる。また、対象地Aは山の上に位置するため、暴風や法面等の安全対策に土地利用面積の多くを緑地帯に取られてしまうことも明らかとなった。工事費の概算は約27億円だった。
 一方、対象地Bの谷埋め案は、宅地1区画の面積を100坪とした場合、14戸確保でき、宅地1区画を50坪で考えると、約倍の30戸程度の区画を確保できることが分かった。土地利用の面積は、対象地Aよりも緑地面積が小さい分、有効利用率が高い、という結果となった。対象地Bの概算工事費は約3億円だった。

6. 住宅・住宅地計画コンペティション

 前述の高地開発プランをベースに今年度、対象地Bを安全な候補地対象として、住宅・住宅地計画コンペティションを実施した。徳島県建築士会や徳島大学の協力のもと、県内外の建築士や大学研究機関に対し、防災機能を併せ持ち、安全・安心で魅力ある住居環境像を提案競技方式で募集した。提案募集の主旨としては、震災前過疎を防止し、地域の将来を担う若者世帯に優先的に入居してもらうことで親世帯との近居関係を築き、平常時はお互いの世帯を支え合い、災害時には若者世帯が親世帯の避難先となって親世帯の生活再建を助ける、というものである。募集内容は、対象敷地に若者世帯のモデル住宅を計画し、良好な近隣関係が生まれやすいようにそれを敷地内に15戸配置し、さらに、近隣の既存集落の防災のための施設、たとえば避難所となる集会所等を計画することとした。その結果、応募は県内外から一般36チーム(49人)、大学からは5チーム(19人)あり、現地見学会や説明会を経て作品を提出して頂いた。そして昭和南海地震から69年目となる2015年12月21日、厳正なる審査会を開催し、最優秀賞1作品ならびに優秀賞6作品を選定した。入賞作品についてはジオラマを製作して広く住民に見ていただき、意見や感想を募りつつ、震災前の高台展開、さらには事前復興まちづくりの気運を高めていきたいと考えている。

7. 地域継承を考えるワークショップ

 ごっつい由岐の未来づくりプロジェクトでは、土地利用計画だけでなく、次世代に継承したいものを考え、それを共有するためのワークショップも実施した。自然・環境や人間関係等のテーマごとに過去と現在の状況を整理し、変化した理由を考え、その中から魅力や特徴を引き出し、次世代に継承すべきものを探った。その結果、次世代に継承すべき事項として、「里山里海」、「3世代」、「近所付き合い」、「祭り・地域行事」等の重要なキーワードが浮かび上がった。私たちはこのワークショップを通じて、由岐湾内地区の地域性や先人たちの気質等を再発見することができ、それこそが地域の魅力の根源になっていることに気付いた。

8. 今後の展開

 まず、緩やかな高台展開を推進していきたいと考えている。高台移転といえば国土交通省の防災集団移転促進事業の活用がすぐに思い浮かぶが、この事業は、津波防災地域づくり法のレッドゾーン(津波災害特別警戒区域)や移転促進区域の設定を伴うため、コミュニティの分断など、さまざまな課題をはらんでいる。従って、この制度を使わず、世帯分離等において今後、新たな住宅が必要になる際、地区内の高台も住宅の建築候補地として事前に準備しておくことで、徐々に高台移転を進めたいと考えている。しかし、前述で試算したように、宅地を造成するにも多額の費用が必要で、現行制度では行政からの補助も見込めそうもない。また、都会のように利便性が高いわけでもないから、民間の開発業者の介入も、あまり期待できそうにない。どなたか妙案があれば、ぜひともご教示頂きたい。
 次に、事前復興まちづくりから少し話が飛ぶと思われるかも知れないが、自主防災活動を起点に、平常時からコミュニティの持続・活性化に努めたいと考えている。その具体例として、2014年10月から町の遊休施設を活用してコミュニティカフェを試験実施し、多世代が気軽に交流できる場づくりを行っている。今年度は地方創生交付金等を活用して遊休施設の改修工事を行い、2月にリニューアルオープンした。事前復興まちづくりを実行するには、普段からまちの魅力を磨き続けることが大切で、そのような活動がきっと被災後の復興に繋がっていくと思う。
 このように、私たちのチャレンジはこれからも続く。なぜなら、次世代へ安心して託せる地域をつくること、また、東日本の教訓を活かすことが私たちの役目だからだ。決して諦める訳にいかない。