【論文】 |
第36回宮城自治研集会 第4分科会 安全な場所・逃げる場所ってどこなの? ~防災を知ろう~ |
東日本大震災では、東北地方沿岸部が、津波により壊滅的な被害を受けた。しかし、報道によれば、「浪分神社」という神社を境に津波の被害が分かれたとの報告や、広島の洪水では、安佐南区の地名に過去の水害・土砂災害を示唆する地名があると報道されている。そこで、前橋市の地名・過去から学び、前橋市で起こりえる自然災害を想定し、防災の一助になるか検討する。 |
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1. 東日本大震災や他の災害から見た地名・文化財
(1) 見直される地名や文化財 日本では各地に古いいわれのある地名や建物名がある。しかし、それは一般に意識されることは少なく、あるきっかけまでは、歴史マニアの興味を満たすものでしかなかった。それは東日本大震災である。 震災で見直された古い地名、あるいはこれに関連した名称としては、宮城県仙台市若林区の浪分神社がそれに該当する。2011年4月10日発行の河北新報によれば、869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震のような過去の地震で津波が到達しなかった場所といわれ、図で引用したとおり、今回も津波は到達せず、地域の伝承が今回の津波をトレースしたような形になっている。この話を浪分神社の奇跡という人もいる。また、東北大学の今村文彦教授の調査によれば、浪分神社の手前まで、貞観地震の津波による堆積物が確認され、伝承をさらに裏付けた形となっている。 ② 浪分神社周辺 浪分神社周辺を、より広域的にみると、さらに興味深い地名・名称がみられる。海からやや内陸に入った場所にもかかわらず「砂押」という海あるいは海岸を連想させる地名があるなど、地名に過去を示唆するような部分が多い。 ③ 歴史的建造物や旧街道 2011年8月20日放送のTBSテレビの報道特集によれば、福島県沿岸部にある神社などの所在地と、震災での浸水範囲を比較すると、神社は津波がぎりぎりで到達しなかった場所にあるケースが多いという。また、2011年4月25日付の河北新報によれば、旧街道や宿場町が津波浸水域をさけるように存在しているという。これらの神社については、貞観地震や慶長三陸地震などによる津波の到達しなかった範囲にモニュメントあるいは畏敬の念を払う場所として神社がたてられた可能性も考えられるし、逆にすでにあった神社が、津波被害から逃れた部分がたまたま残ったということも想定される。また、旧街道については、途切れないインフラの確保という面で、明らかに津波を教訓にその到達範囲をさけて設置されたと考えられる。例えば、江戸時代の江戸と京都を結ぶ主要街道は東海道であったが、大井川の増水などでこの街道が寸断することもたびたびあったため、朝廷と幕府の間の公式な街道は、遠回りで山道も多い中山道だったともいわれている。東北大学の平川新教授も、街道や宿場町は過去の津波の浸水域を避けて整備された可能性が高いとしている。 ④ 広島土砂災害と地名 記憶に新しい一昨年の広島土砂災害。特に被害の大きかった安佐南区八木地区について、2014年8月26日放送のフジテレビとくダネで、八木地区は元々「八木蛇落地悪谷」と呼ばれていて、蛇が降りるような水害が多い悪い谷であったため、このような地名であったという古くから地元にすむ人の伝承を交えた言葉が紹介されている。しかし、戦後は新住居表示に関する法律の施行に伴って、あるいは地価の問題などからイメージのよい地名に変更されるケースが多く、元来からの地域の特徴を冠した地名が消える傾向にある。前橋市でも、戦後に町名変更などにより、多くの本来の地名が地図上から消滅した。例えば湿地に多く自生する茅や柳の名前を持つ、萱町や小柳町などの町名が消滅した代表である。
(2) 地名の研究
しかし、福和教授の示した分類は、参考にはなるものの、建築学的視点が強く、よい地盤とは、軟弱地盤でない、すなわち地震の震動による液状化現象がおこりにくい場所とされていて、その他、山地の崖崩れや土砂災害について考慮されている訳ではなく、その部分の補足的研究が必要となる。 |
2. 前橋市の現状
(1) 前橋市における災害の想定と地名や文化財
龍蔵寺町は関東の三大師のひとつ龍蔵寺(通称:青柳大師)からとった名だが、「龍」は(龍がのたうち回るように)氾濫が多い地(広島土砂災害の「蛇」と同じ意味)、龍がすめるほど深い淵という意味がある。 これら3つの町はいずれも急峻な崖地となっていた。また、付近の崖下は浸水域でもある。写真は、川端町の様子である。 三俣町は、川の流れが二股になって合流するところを意味する。実際に赤城白川と桃ノ木川が合流する地点である。 片貝町は、片方の櫂(かい)で漕げるほど緩やかな流れという意味や、片方が急斜面の谷という意味がある。前橋には2つの片貝が存在し、一つは(旧)桂萱村片貝(現在の西片貝町・東片貝町)、もう一つは戦後の町名変更前の片貝町(現在の三河町)である。桂萱の片貝町は平地であり、前者の意味と思われ、現在三河町となった片貝町は南部が崖となっており、後者の意味と思われる。 最後に天川大島町を中心とした場所だが、島は川の中州をさす。近辺には天川町、上大島町、下大島町、天川町、天川原町などの似た名称の町がある。それらの町内には目立った起伏は見られない。
(2) 各エリアの現状
② 泉沢・荒砥エリア
③ 窪地・谷地の地名
(3) 文化財から見る前橋市の災害想定
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3. まとめ
全体として地名と地形、想定される災害にはある程度の相関関係があることが見て取れた(特に水や川に関係する地名の水害)が、特に川に関係する地名の場所は同時に崖崩れにも警戒が必要なケースもあることがわかった。 |