【論文】

第36回宮城自治研集会
第4分科会 安全な場所・逃げる場所ってどこなの? ~防災を知ろう~

 本論では、移動権の基本的考え方や熊本都市圏交通を例に取り上げ、熊本市営バスが民間バス会社へ移譲する過程で移動権を採算性から公益的な価値観が芽生えてきた経緯やその過程で全国でもまれとなる「交通基本条例」がいち早く制定された過程を考察し、移動権の確立をめざすとともに環境・福祉・まちづくりを考えた持続可能な社会へ繋がる制度・政策を提案します。同時に今回の熊本地震を受け、熊本市電の軌道を活用した物流システムの提案や緊急車両の通行確保を考えたシステムを提案します。



「熊本市営バス廃止を教訓にした
地域交通の活性化に至る経緯」と「熊本地震を
教訓とした熊本市電の軌道の有効活用について」

熊本県本部/都市交評・熊本市交通局労働組合 執行委員長 古賀  弘

はじめに

 公共交通の分野においては、2000年代に入ると規制緩和の影響で、貸切運賃や他の交通機関との間で価格競争が激化し、更に多角経営する多くの民間バス事業は、不動産分野や株式投資のつけがまわり、一気に負債を抱えました。熊本においては、バス交通の中心的役割を担っていた、九州産業交通が経営破たんしたことをきっかけに「交通権」の議論が高まりました。
 その後も利用者の減少や地域の経済の低迷で、民間3社の経営不振を加速化させたことにより、民間事業、公営事業が一篇に共倒れを起こす危険性を回避するために熊本市営バスを「面的」に「熊本都市バス会社」に全面移譲し、民間経営の立て直しを図り、熊本市交通局事業は、バス事業を廃止し、電車事業を中心とした経営の立て直しを図ることが議会で承認されました。
 その結果、熊本市営バスは1927(昭和2)年11月の開業から廃止される2015(平成27)年3月31日までの(87年4か月間)長い年月を1日も休むことなく市民の足として、多くの市民の通勤・通学や通院・買い物などこれまで驚くことに、約13億5,000万人の方々を輸送し、営業距離数では、地球の外周に換算にして約9,520周走行し歴史に幕を下ろしました。
 熊本市交通局労働組合は、これまで熊本自治研、連合熊本、熊本交運労協、国民の足を守る熊本県民会議などと連携し「交通弱者の足」を守る観点から、「バスの乗務員の確保も厳しい状況のなかで、路線網を移譲しても、結果的に民間事業者救済のための『空中分解』の先延ばしに過ぎないことや移譲後の市営バスの路線の維持ができない」ことを主張すると同時に「利用者優先の交通システムの構築」を強く訴えながら連携する団体とシンポジュウムや請願署名の取り組みなど、市民・利用者を巻き込みながら、全体の交通システムを熟成させるため、これまでの「競合型」から「共存型」へ、各社が儲かるシステムを提案してきました。
 本稿では、このような活動を通して、首長や議会、事業者、利用者が交通問題に対しての責任意識や役割意識の共有化がはかられたことで交通政策への意識向上が高まり、「交通基本条例の制定」や「熊本都市圏都市交通マスタープラン」の素案策定に繋がった過程を検証し、さらなる公共交通の活性化に向けて概説します。更に2016年4月16日に起こった「熊本地震」の経験から震災に屈しない熊本市電を活用した防災計画を提案します。


1. 公営交通(熊本市営バス)と民間交通(九州産交・熊本電鉄・熊本バス・熊本都市バス)の検証

(1) 市電廃止に伴う市バスの路線拡大と財政赤字
 1965(昭和40)年代に入るとモータリーゼーションの進展に加え、市電の老朽化や定時制の確保が困難になり、1965年2月には、熊本市の基幹交通であった市電川尻線が廃止されました。
 さらに、1968(昭和43)年に発足した「熊本市交通事業審議会」の答申において、市電の赤字路線を中心に市営バス代替が打ち出された結果、1970(昭和45)年には4号系統(上熊本駅~藤崎宮間)や6号系統(南熊本駅~辛島町間)、1972(昭和47)年1号系統(子飼橋~水道町間)が廃止になり、市電の廃止論争に拍車がかかりました。
 時代は市電を廃止し、バス交通で市民利用者の足を支えるといった交通政策へ舵が切られる中、九州産交をはじめとする民間事業者がそれまでバラバラに留めていたバスターミナルの統合化による利用者のサービス向上を目的に1969(昭和44)年に36ヶ所同時に留め置きできる西日本最大級の熊本交通センターを建設されたことにより、これまで熊本市民の足を守ってきた熊本市電が不要との認識がなされました。
 その後、1973(昭和48)年12月議会では「1978(昭和53)年度までに市電を全廃する」とする議案が可決されましたが市電の存続を求める市民や熊交運などが訴えた結果、市が組織する交通問題研究会のなかでは運行延期による存続が答申されました。
 その一方で、市電廃止後の市民の足をカバーする観点から市営バスの路線網の拡大を行った結果、坪井営業所、日吉営業所が新設され、さらに本山営業所に統廃合された結果、市営バスとしての最大旅客数を記録した1969(昭和44)年は3,900万人、車両数は231台まで拡大しました。
 さらに熊本市東部の人口増加に伴い、1979(昭和54)年2月には、帯山営業所を小峯営業所に移転し、14系統を新設しましたが8月には人件費高騰により採算が取れなくなった貸し切りバス事業が廃止に追い込まれました。また、1969(昭和44)年の旅客数最多が10年後のこの年には2,900万人(1,000万人減)となり収入の減少が深刻化されました。経営努力の観点から路線をわかりやすく、親しみやすくするため、1982(昭和57)年に「動物看板」を路線ごとに導入するなどの経営努力にもかかわらず1988(昭和63)年利用者が2,000万人を下回りました。

(2) 民間バス事業者の経営不振と九州産交の経営破たんから路線移譲が加速化する
 2003(平成15)年バブル期の多角経営の失敗により資金難に陥った九州産交が経営破綻したことにより、産業再生機構の支援を受けることになりました。これにより九州産交は経営資源を交通、観光、不動産賃貸の分野に集中させて経営再建に歩みだしました。2005(平成17)年には、大手旅行会社HISグループの傘下の企業になりました。
 これを契機に、2003(平成15)年には、「熊本都市圏バス路線網検討会議」が発足し、市営バスと民間バスが競合する8路線の移譲を進めるとし、2008(平成21)年までに移譲することを関係機関内で合意されました。これにより、2004(平成16)年4月に市道川尻線を九州産交、熊本バスへ移譲し、2005(平成17)年4月に国道川尻線、池田・大窪線、野口・健軍線を九州産交へ移譲、さらに2007(平成19)年4月には御幸木部線を熊本バスへ移譲し、7月には高平団地線を熊本電鉄へ移譲しました。翌2008(平成20)年4月には、画図線を熊本バスへ、楠・城西線を九州産交と熊本電鉄へ移譲しました。 
 公営交通対民間バス事業者連合という対立姿勢の中、九州産交が経営破綻したことにより、当初は民間事業者間でも信頼関係が崩れ掛かり、更に産業再生機構が支援した市営バスの路線移譲を九州産交だけに移譲するのはおかしいのではないか、熊本電鉄も熊本バスも経営状況が厳しい中で市営バスの路線を我々にも移譲するようにという要望がなされたことにより、市営バスの路線の奪い合いに一層拍車をかけました。

(3) 九州産交の経営破綻から4年、民間バス3社が共同会社を設立
 九州産業交通の経営破たんを受け、当時の産業再生機構は、熊本県・熊本市に対し市営バス路線の一部移譲を求めました。さらに民間バス会社2社(熊本電鉄・熊本バス)も経営不振のため市営バス路線の移譲の申し入れを県知事・市長に行いました。結果的に、「バスの再編なくして、交通権の確立は出来ない」と判断した市長は、議会に諮り、2008(平成20)年に市営バスの8路線を民間会社に路線の移譲を行うことや2009(平成21)年に受け皿として民間事業者が出資した熊本都市バス会社に本山車庫の面的移譲が進められました。
 その後、「官から民へ」の潮流が増す中、熊本市交通局は財政健全化法の制定を受ける訳ですが、翌年の2010(平成22)年には、市営バス上熊本営業所の面的移譲を余儀なくされました。一方熊本市は、市民にとって利便性の高いバス利用環境の構築をめざす具体的なバス網の再編や利用促進策を実施することを目的に「地域公共交通総合連携計画」を2009(平成21)年に策定し、市営バスからの移譲に関しては、運行状況を検証し、「的確かつ柔軟に進めるとともに、車両の整備体制、移譲段階での運行ロスなどについても考慮する」ことが盛り込まれました。

(資料出所:熊本県企画振興部)


2. 地域住民の意見反映やそこで働く一番現場を熟知している労働者からの国民運動を展開

(1) 交通シンポジュウムの開催
 「公共交通の新たな挑戦」と題して、2005(平成17)年から国民の足を守る熊本県民会議、熊本県地方自治研究センターと合同で開催しました。その背景は、熊本都市圏交通の維持存続を図り交通弱者の移動権を高める議論に結びつく政策がなされないまま、目前に迫った2011(平成23)年の「熊本市の政令指定都市問題」や2012(平成24)年「九州新幹線開業」に合わせた公共交通網の整備、まちづくりの政策をどうにかしなければならないという仲間が集まり企画しました。とりわけ、交通網の整備が進むどころか、市営バス移譲後の運行路線の確保すらできない状況に加え、人員の不足により、過疎地域の公共交通は、バス路線を中心に撤退がなされていることから現状をきちんと認識し、地域住民の足を守る観点から議論をスタートさせ、特に交通弱者の意見反映や現場を一番熟知している乗務員の視点から移動権を確立するという本来の政策が抜け落ちかねないよう地域住民の切実な願いを目的にしました。
 開催については、県の責任者、熊本市の責任者、事業者の責任者、住民の代表を交え責任者、代表で議論することで実現性を高めていくことにしました。
 また、幹事会で議論が進むにつれ、欧米の先進的な取り組みに対して、わが国は立ち遅れており、事業者任せの利益優先型の交通政策(競合的政策)では、単に利用者の奪いあいで終わり、最終的には共倒れするとの展開から、利用者が求める利用者優先型の交通政策(共存的政策)に大きく舵を切らなければ、持続可能な社会の実現はできないとの結論に至りました。その中で、熊本市営バスの在り方についてもっと議論していく必要があるとの見解を示しました。
 その結果、マスコミ等にも大きく取り上げられると同時に行政・事業者・利用者がオープンに議論をすることで本音の議論を引出し、一定の成果に繋がったと言えます。
 また、議事録を残し、独自の政策提言書を作成することで私たちが求める政策実現に繋がり意見反映に繋がりました。
 
 
(毎年、国民の足を守る熊本県民会議、交運労協、自治研センターで交通問題シンポジュウムを開催)

(2) 請願書署名の取り組み
 2006(平成18)年8月30日、当時の民間バス3社は、「市営と民間との共同運行や市営バス路線の早期移譲を求める要望書を提出しました。当時、民間事業者3社は、楠城西線・高平団地線・画図線・御幸木部線の4路線の速やかな路線移譲することや今後更なる市営バス路線の移譲に向けた検討を求めると同時に熊本都市圏における共同運行体制の検討の提案がなされました。
 最終的には、残る市営バスの24路線を民間に譲り、交通局が路線バス事業から撤退することを求められるものでした。翌8月31日、幸山市長は議会前の定例記者会見で、9月議会にも具体的協議の場を設置する方針を明らかにし、現在協議されている4路線以外の移譲についても「営業所単位や方面別などこれまでの『線』から『面』への移譲も考えている」ことを述べ、その上で、共同運行の検討について「『面』の移譲の受け皿として、共同運行が考えられる。バス網と運行体制の在り方は並行して協議を進めていきたい」と述べられました。そのわずか4日後の9月4日には、熊本市と4バス事業者で、「熊本都市圏のバス網再編に向けた事業者連絡会議が設置されたことから、市民連合市議団と連携を取りながら9月議会対策を行いました。9月議会では、当時、市民連合(会派)の上村議員と佐々木議員から、一般質問で、この交通問題を取り上げて頂いたが、幸山市長は「共同運行は利用者の利便性向上や適切なバス網、新たな運行体制を確立することが目的。公営バス事業については撤退を前提としたものではないが、その役割と位置付けを明確にし、将来のあるべき姿を描きたい」と答弁されました。
 2007(平成19)年3月27日には、民間バス会社3社の代表が、幸山市長を訪ね、市営バスから移譲される路線を共同で運行する会社「都市バス会社」を設立することを報告しました。これを受け、幸山市長は、「市としても対応する組織を作りたい」と述べたことから、その約1か月後の4月26日には、「バス網再編へ検討会議」が庁内に発足されました。
 こうしたことから、急遽、市労連共闘を中心に運動を拡張し、更に国民の足を守る熊本県民会議・連合熊本・熊本県交通運輸産業労働組合協議会を中心に社民党・民主党にも支援を頂き「市営バスの抜本的再編と拡充を求める請願書・署名の取り組み」を行いました。そのなかで、バス網の再編については、「採算性から、市営バスの路線移譲のみを前提とするのではなく、住民・利用者本位の交通手段の確保に努めること」を求めて取り組んだ結果、短期間ではありましたが、連日の街頭署名活動や皆様の温かいご支援・ご協力により約37,000筆の集約を行い、国民の足を守る県民会議の坂本会長、連合熊本の上田事務局長、交運労協の坂本議長とともに12月10日に牛島弘熊本市議会議長へ、11日には、幸山市長に提出しました。しかし、12月議会では残念ながら、自民党、くまもと未来の会派での「否決」の動きが活発化したため、議会委員会では「継続審査」に誘導し、引き続き、「可決」して頂く様、最大限の取り組みを行いましたが、「否決のための継続審査」との展開が揺らぐことなく、「否決」される前に、関連する3団体と連帯する組織との協議の結果、断腸の思いで取り下げることになりました。

 
《記者会見の様子:左から坂本交運労協議長・古賀
委員長・坂本熊本学園大学前学長・上田連合会長》
  《幸山市長(当時)に署名を提出された》

(3) 熊本都市圏における政策提言書の発行とあすの公共交通を考える市民の会を結成
 熊本市交通事業財政健全化計画では、熊本市営バス事業が撤退することを前提にしてあり、民間バス事業者の経営状況や人員不足による問題など、市営バスの「受け皿」として機能が果たされるのか疑問視されています。また、九州新幹線が全線開業し、熊本駅周辺の交通網の問題にあわせ、熊本市の政令市における区バスのシステムの整備など既存のバスの台数や人員からそれらをカバーさせる需要が不足していることから、新たな交通システムの転換を図らなければ持続可能な社会の実現に繋がらないことから独自の交通政策の提言の発表を行うと同時にあすの公共交通を考える市民の会が結成されました。
 結果的に政策提言書を蒲島県知事に提出し、その結果、熊本都市圏マスタープランの施策の多くに繋がっています。

 
《熊本都市圏における新交通体系構想を
過去3回発行された。》
  《結成総会:2010年2月23日の様子》
会長に熊本自治研理事の田上元県議が就任された
         
 
《記念講演会に大妻女子大学戸崎肇教授を
迎え多くの市民が参加しました》
  《関連の新聞記事》


3. 国民的運動が交通政策についての価値観が高まり、さらに交通弱者に対する移動権への認識が高まった結果、熊本市公共交通協議会が設立され熊本市公共交通基本条例が制定される

 2011(平成23)年度の熊本市バス交通のあり方検討協議会で市営バスを都市バスへ全面移譲する方向性を示し、更に今後のバス再編を行うなかで持続可能な移動権を確立する責務で市営バス廃止後も継続して協議を行うため「熊本市交通協議会」が設立されました。熊本自治研理事長で国民の足を守る熊本県民会議の坂本正氏(熊本学園大学元学長)が議長に就任したことにより、過度な自動車依存、超高齢化、環境問題、交通弱者などの社会情勢の変化を受け止め、そのための公共交通事業者の利便性向上や市民・事業者の積極的な利用促進を図るために熊本市は公共交通グランドデザインを描くと同時に条例化することで円滑に移動可能な地域社会の実現をめざすことになりました。
 この熊本市公共交通協議会では、「公共交通基本条例部会」「バス路線網再編部会」「コミュニティ交通部会」の3つの部会に分けられ移動権についての本格的な議論に繋がりました。

 
         
 
         
 


4. 今後の展望と課題

(1) 交通政策基本法の活用と熊本都市圏都市交通マスタープランにおける実現性について
 交通政策基本法(2013(平成25)年12月4日)が施行され、2015(平成27)年2月13日には、交通政策基本計画が閣議決定されました。この基本計画は、「交通に関する施策の基本方針」や「交通に関する施策目標」に加え「交通に関して政府が総合的に講ずべき施策」の三層構造になっており、2014(平成26)年度から2020(平成32)年度までの計画期間に国として全力で取り組んでいくことにしています。
 熊本県内においても、2012(平成24)年10月から約4万3千世帯約10万人のパーソントリップ調査などを踏まえ、現状及び将来にわたる都市圏交通の課題に対応するために関係機関が共同で都市圏交通の将来のビジョンを示すために「都市交通マスタープラン」の素案がまとまりました。
 このマスタープランは、「都市圏交通の現状と主な課題」を掲げ、「交通ネットワークの将来像」や「将来交通計画の対応方針」、「将来交通計画の視点」においての「将来交通計画」を行うことで「期待される効果」に繋げ、今後の取り組みを行うためにアクションプランを策定し具体的な施策を推進していくこととしています。
 大いに期待するものであるが、事業者の労働力の確保や財源の確保に加え、県のリーダーシップが大きなカギを握っていることから今後の熊本県に期待すると同時に交通計画施策においては、利用者のニーズを熟知している労働者の意見反映に加え地域住民の代表を交えた新たな交通協議会の設置を行い、使い勝手のある交通システムの拡充を「社会の装置」と位置付けられなければならないと思われます。このことで蒲島知事が掲げる県民幸福量を高める一つのツールとして、このアクションプランを確実な実現に繋げなければなりません。
 そのような中、未曽有の大地震が4月16日未明に起こり、都市圏マスタープランの在り方が今後の被害が拡大する中で、計画そのものの見直しや計画の中止が想定されます。被害総額が最高で4.6兆円におよぶことから復興に活かした交通政策の考え方とこれまでの計画を実現させるために必要な予算の確保が必要になります。このようなことから、これまで以上に国の交通政策基本計画の概要でも示されている「豊かな国民に資する使いやすい交通の実現」や「成長と繁栄の基盤となる国際・地域間の旅客交通・物流ネットワークの構築」、「持続可能で安心・安全な交通に向けた基盤づくり」を私どもが推進させなければならないと考え、交通需要をマネージメントする具体的な政策のツールに、路面電車を基軸にした「環境・福祉・震災に対応した街づくり」の実現に向けて取り組みを強化します。

(2) 災害復興における熊本市電の軌道を利用した物流システムの構築について
 国の基本方針においては「地域間のヒト・モノの流動を拡大する」として、これまで新幹線ネットワークや高速道路のネットワークの整備、スマートICの整備が行われてきました。新たな施策の検討課題に鉄道貨物輸送の拡大が示されていることから、熊本県における新たな鉄道貨物輸送へのモーダルシフトとして、軌道内の貨物輸送を加え、ネットワークの検討を行うことで物流の効率化を高めなければならないと考えます。
 そこで、熊本地震を教訓に軌道の延伸を図り、路面電車が営業しない(深夜~早朝)軌道とJRのレールを接続し、ピギーバック方式での新たな物流システムが実現できれば、港、JR貨物基地、空港の貨物が繋がり、低廉なコストで新物流システムが実現可能であることから、国土交通省に対し積極的に働きかけを行います。また、大規模な災害が発生した場合における軌道内の緊急車両の道路確保を行うと同時にその迅速な復旧を図るための対策を可及的速やかに進め交通機能を維持していくことが極めて重要と認識しています。特に災害軽減のためのシステム導入や帰宅難民対策も含めた災害時の誘導や迅速な機能回復に向けたオペレーション等の対応など全国に発信しなければなりません。


5. 最後に

 今回のレポートを通して、時代に対応した「公共サービス」の定義を確立し、地域住民の幸福量の拡大に繋げることを自治労組合員が共有化を図り、更なる行政サービスの向上を深めて頂きたいと願っています。民間との競合する市民サービス部門におきましては、常にコストとサービス・接遇のみ議論がなされる自治体が多く存在します。私たちは常にコストを民間事業者並みにサービスは民間事業者よりもと組合員の意識向上に努めながら、市民の足を守るたたかいを行いましたが結果的に市営バスが廃止され、1年もたたないうちに民間事業者は財政赤字を理由に路線の廃止やダイヤの削減に踏み切りました。
 理由は、人員不足と自治体からの補助金のアップができなかったためと言われていますが現実的に多額の補助金を出さなければバスを走らせられないのと同じです。
 いずれにしましても、一度廃止されれば手遅れになりかねませんので公共サービスを地域住民、行政、組合員みんなで育てることが最重要であり、そのための役割分担を平等に議論の行われる協議会の設置が必要になります。
 今回の地震を受け、熊本市電は4日目に復旧させ復興のシンボルになり、利用者の大切な心を運びました。
 市営バスが残っていたら、災害地の復興バスをいち早く走らせられたのにと残念でなりません。

 
(泊りがけで復興をめざす組合員)   (栗原局長も19日に職員を激励される)
         
(地震後2日目の18日深夜、試験運転開始)