【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第5分科会 まちムラの見方「見えているもの」と「見えていないもの」 |
道内有数のワイン産地である余市町。北海道におけるワインづくりの歴史をひもときながら、道内初の「ワイン特区」となった余市町の取り組みを紹介します。 |
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1. 余市町の紹介 余市町は、後志北部、積丹半島の東の付け根に位置する、人口約20,000人の町です。 |
2. ワインぶどうの歴史 明治時代以降、北海道開拓使が各種の果樹を海外から移入したことがきっかけで、道内に本格的な果樹栽培が広まりました。大正時代頃には、果樹栽培の生産を軌道に乗せた道内産地も現れ、優良品種の選定がなされました。大正8(1919)年の余市・仁木地方のぶどうの優良品種は、シヤスラードフォンテンブロー、シヤスラーローズ、デラウェア、カメルスアーリー(キャンベルス)、ブライトンという記録が残っています(『北海道果樹百年史』)。 同じ頃、昭和48(1973)年9月、ワインづくりを新たな道内産業にしようとした北海道は、ワインぶどうの栽培方法の確立と北海道の風土に合った品種を探すために、道中央農試の果樹課長(当時)の峯岸恒弥さんをヨーロッパへ派遣します。同氏は西ドイツの国立ブドウ果樹栽培教育試験場を訪ね、同試験場の栽培部長とぶどうの栽培や品種等について意見を交わしました。すると、栽培部長は峰岸さんのことを大変気に入り、時期外れの枝の剪定をするといい畑へ案内しました。そこでケルナーの枝を何本か剪定した栽培部長は、「枝をあげるとは言わない。だけど、落ちているものは拾ってもいいよ」と言ってその場を去りました。その当時ケルナーという品種はドイツ国外への持ち出しが禁じられている品種で、そのことは峰岸さんも知っていました。胸が熱くなった峯岸さんは、枝木を枯らすまいと、切り裂いて濡らした下着で枝木をくるんでトランクに詰めて、大切に持ち帰ったといいます。 そうした努力の結果、ドイツ系品種10品種、オーストリア系9品種ほか50種ほどの苗木が集められ、道内各地で試験栽培がはじめられました。昭和53(1978)、54(1979)年には試験醸造も行われ、同56(1981)年には北海道の優良品種が決まりました。早い時期から植えられていたセイベルの他、ミュラートゥルガウ、ツバイゲルト・レーベで、のちに注目を浴びることになるケルナーは入っていませんでした。 |
3. 余市町とワイン 昭和50年代後半、りんごやぶどうの価格が下落傾向となり、余市町では農協や生産者たちが新たな道を探すべく模索を続けており、ぶどうのハウス栽培やりんごの果汁製造に活路を見出そうとしていました。同じ頃、仁木町と余市町の農業試験地の責任者だった小賀野四郎さんは100を超える品種を栽培し、両町の農家の人達を20年以上にわたって指導しました。 |