【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第5分科会 まちムラの見方「見えているもの」と「見えていないもの」

 道内有数のワイン産地である余市町。北海道におけるワインづくりの歴史をひもときながら、道内初の「ワイン特区」となった余市町の取り組みを紹介します。



余市町とワインの歴史


北海道本部/自治労余市町職員労働組合

1. 余市町の紹介

 余市町は、後志北部、積丹半島の東の付け根に位置する、人口約20,000人の町です。
 町の北側は日本海に面し、他の三方はゆるやかな丘陵地に囲まれています。町内には縄文から続縄文時代の遺跡が数多く見られ、古くから人が定住していたことが知られています。江戸時代初期には、和人によるアイヌ交易の拠点として「運上屋」が置かれるなど、道内でも比較的古くから栄えた町であると言えます。
 江戸中期以降は、近海を回遊するニシンの中心的漁場として発展してきましたが、漁獲数は明治・大正をピークに減り続け、昭和29(1954)年を最後に余市湾への回遊が途絶え、今では「幻の魚」となってしまいました。現在は、ニシンに代わって、「えび」、「いか」、「かれい」漁などが盛んに行われ、また北限の鮎の生息地でもあります。
 農業では、明治時代に日本で初めてリンゴ栽培に成功するなど、古くから果樹栽培が盛んで、リンゴ、梨、ブドウ(ワイン加工用、生食用ともに)の生産量で道内第1位であります。
 また、豊富な山海の幸を利用した食品加工業の歴史があり、身欠きニシンや燻製など各種の水産加工製品、そしてワインやウィスキーの醸造業も盛んです。


2. ワインぶどうの歴史

 明治時代以降、北海道開拓使が各種の果樹を海外から移入したことがきっかけで、道内に本格的な果樹栽培が広まりました。大正時代頃には、果樹栽培の生産を軌道に乗せた道内産地も現れ、優良品種の選定がなされました。大正8(1919)年の余市・仁木地方のぶどうの優良品種は、シヤスラードフォンテンブロー、シヤスラーローズ、デラウェア、カメルスアーリー(キャンベルス)、ブライトンという記録が残っています(『北海道果樹百年史』)。
 戦後には復興にともなってさらなる新興産地が現れはじめ、全道的にりんごやぶどうの増産がはかられましたが、この頃はぶどうは主に生食用の品種が栽培されていました。
 道内ワインの先進地十勝管内池田町は、昭和36(1961)年、丸谷町長(当時)を中心にして、町内の農業青年26人の協力のもと「池田町ブドウ愛好会」が設立されたことがきっかけで現在に至ります(『池田町
史』)。それに続く富良野市では、同47(1972)年に山ぶどうと生食用のキャンベルス、デラウェアを原料にして最初の醸造試験が行われました(「かみかわ『食べものがたり』」上川総合振興局HPより)。
 同じ頃、昭和48(1973)年9月、ワインづくりを新たな道内産業にしようとした北海道は、ワインぶどうの栽培方法の確立と北海道の風土に合った品種を探すために、道中央農試の果樹課長(当時)の峯岸恒弥さんをヨーロッパへ派遣します。同氏は西ドイツの国立ブドウ果樹栽培教育試験場を訪ね、同試験場の栽培部長とぶどうの栽培や品種等について意見を交わしました。すると、栽培部長は峰岸さんのことを大変気に入り、時期外れの枝の剪定をするといい畑へ案内しました。そこでケルナーの枝を何本か剪定した栽培部長は、「枝をあげるとは言わない。だけど、落ちているものは拾ってもいいよ」と言ってその場を去りました。その当時ケルナーという品種はドイツ国外への持ち出しが禁じられている品種で、そのことは峰岸さんも知っていました。胸が熱くなった峯岸さんは、枝木を枯らすまいと、切り裂いて濡らした下着で枝木をくるんでトランクに詰めて、大切に持ち帰ったといいます。
 そうした努力の結果、ドイツ系品種10品種、オーストリア系9品種ほか50種ほどの苗木が集められ、道内各地で試験栽培がはじめられました。昭和53(1978)、54(1979)年には試験醸造も行われ、同56(1981)年には北海道の優良品種が決まりました。早い時期から植えられていたセイベルの他、ミュラートゥルガウ、ツバイゲルト・レーベで、のちに注目を浴びることになるケルナーは入っていませんでした。


3. 余市町とワイン

 昭和50年代後半、りんごやぶどうの価格が下落傾向となり、余市町では農協や生産者たちが新たな道を探すべく模索を続けており、ぶどうのハウス栽培やりんごの果汁製造に活路を見出そうとしていました。同じ頃、仁木町と余市町の農業試験地の責任者だった小賀野四郎さんは100を超える品種を栽培し、両町の農家の人達を20年以上にわたって指導しました。
 やがて試験栽培地であった仁木町にワイン醸造会社が訪れるようになり、同58(1983)年にはサッポロワインから余市町の農家へ600本の苗木が送られてきました。これを始まりとして、その後も続々と北海道や本州のワイン醸造会社が町内の生産者との契約栽培を結ぶようになりました。当初、町内で栽培されたのは道が選定した優良品種でしたが、その後小賀野さんをはじめ、地元の関係者がほれこんだケルナーもワインとして売り出されて、今では余市のワインの顔になりました。
 こうした経緯を経て、今日では、ワイン用ぶどうの生産量は、全道一を誇るまでとなり、その品質も高く評価され、全国のワインメーカーに出荷されるに至っています。
 また、ぶどうの栽培のみならず、直接ワインの醸造を手掛けたいという声も数多く寄せられるようになり、町外から移住してワイナリーを開設しようという新規就農者も現れるようになりました。
 しかしながら、ワインの醸造を行うには、酒税法の許可が必要であり、これは、最低製造数量基準として年間6キロリットルを超える生産が必要など、特に初期投資の面で、新規参入者への、高いハードルとなっていました。
 そこで、余市町では、ワインの醸造を希望する人が少しでも参入しやすくなるように、国の構造改革特別区域法を活用し、平成23(2011)年11月に道内で初のワイン特区となる「北のフルーツ王国よいちワイン特区」の認定を内閣総理大臣から受けました。このワイン特区認定により、ぶどうなどの町の特産品を原料に製造するワインなどの果実酒やリキュールについて、最低製造数量基準が年間2キロリットルに緩和されるなど、新規参入が比較的容易となり、今日では町内のワイナリーは7軒までに増え、現在に至っています。
 また、町では仁木町と連携して、平成28(2016)年に余市・仁木ワインツーリズム・プロジェクトを立ち上げ、ワイン用ぶどうの生産から消費だけでなく、観光も含めたワイン産業の振興を推し進めているところであります。