【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第5分科会 まちムラの見方「見えているもの」と「見えていないもの」 |
*あおぞら組ってなんだ?*2000年1月22日のこと。自分たちのアイディアで、自分たちの力でやれることをやっていこう。「私の青空」がきっかけだったんだして、「あおぞら組」でいいべさ、わがりやすいし。ということで、できあがったのが私たち「あおぞら組」。自主運営しているまちおこしゲリラ集団です。「おもしろがる心」をいちばん大切にしてやっていこうと、みんなで決めました。 |
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"切っ掛け"は偶然に…… 1999年秋。大間のマグロに脂がのる季節。2000年問題でザワつく役場内をよそに、大間町内はNHKの朝ドラ撮影でザワついていた。そう、2000年4月から大間町を舞台にNHK朝の連続テレビ小説「私の青空」の放送が決定し、町内の各地でドラマの撮影が行われていたのでした。「このチャンスを逃したらダメだべさ!」と、2000年の正月に大間のとある居酒屋で鼻息を荒ぐしたのは、我らが初代組長:島康子さんと、後に「あおぞら組」の主力メンバーとなる女子の皆さんでした。"あおぞら組"という名前は皆さんご想像のとおり、NHKの朝ドラ「私の"青空"」からとりました。
"チャレンジ"①「ちょっとした勇気」 2000年4月。大間町民が注目する中、華々しくNHK朝ドラ「私の青空」がスタート! その数か月前の正月、荒い鼻息とともに「あおぞら組」もスタートしていましたが、ワイは立上げ当初のメンバーではありませんでした。その年の7月頃、職場の20代から30代の職員8人が助役席(今の役職では副町長)の前に集められ、「オメども、あおぞら組やってみねが!? 」と、ほぼ上司命令のような雰囲気で声を掛けられたことが第二の切っ掛けとなり、既に撮影現場で対面していたワイは割とすんなり「あおぞら組」メンバーに加わったのでした。そして初めてやった活動が、(現)津軽海峡フェリーターミナルで「よぐ来たの~!」「へばの~!」と大声を出しながら、大漁旗をぶんぶん振ってフェリー乗船客に声を掛ける「フェリー旗振りウエルカム活動!」でした。
"チャレンジ"②「面白いことは待っていてもやって来ない」 世の男子が草食系などと呼ばれ始めた頃、そんな時代に走り始めた「あおぞら組」の発案や実行の主力は肉食系の女子メンバーでした。当時、小泉首相のタウンミーティングで「大間町を"一流の田舎"にする!」と言い放ったお茶目な猛女こと初代組長の島康子さん始め、"マグロ一筋"Tシャツ製作や町民がモデルのマグロ一筋TシャツPRポスター作り、青森朝日放送が主催する我が町CMの製作、漁師の大漁旗や使い古しの漁網などを使った"大漁だべさグッズ"製作販売など、そのほとんどが女子メンバーの発案によるものでした。
爽やかパワー炸裂! "大間高校めんちょこ活動部"
町おこしゲリラは地元小学校にも現れます。総合学習の時間に講師としてお招き頂き、今までやってきた地域づくり活動の話や「あおぞら組」を代表する発明品"マグロのぼり"を一緒に作ったり、漁港の壁画作製のアドバイスをしたり、そして卒業式の日には玄関前で大漁旗を振って、めんこいワラシ(子ども)たちを見送ったりしてきました。
"二代目組長の憂鬱" 2015年2月14日、恋人たちのバレンタインデーに「あおぞら組」総会を開催。数年前から割り箸入れを投票用紙にした「副組長選挙」が行われるようになり、今回もまた恒例の選挙か!? と思いきや、初代組長の口から出た言葉は「組長選挙やるべ!」だった??? メンバー皆が驚きと現実逃避する中、お酒も入りお祭りムードで選挙がスタート。有権者数12人の投開票はあっと言う間に終盤となり、4票ずつ獲得で並んだのはワイと旗振り隊長ケンジ。最終的に古株2人の接戦を見事に制したワイが二代目組長に就任したのでした。が!
初代組長が15年間積み上げてきた「あおぞら組」とその"組長"という重圧をワイがどう受け継いでいくべきか考えると、暫くの間は憂鬱な日々だったことを思い出します。更に同年4月から職場では課長補佐という責任ある立場となり、また職員組合においては副執行委員長であり、何かと責任の重さを感じさせられる日々ではありますが、しかし! 止まるわげにはいぎません! 元気に頑張る大間高校めんちょこ活動部や、同志である「あおぞら組」メンバー、更には職場の仲間達を巻き込みながら、これからもずっと面白がる心を忘れずに、町おこしゲリラ道を走り続けていきます!「へばの~!」 (↓念のため、添付します。) |