【自主レポート】 |
第36回宮城自治研集会 第5分科会 まちムラの見方「見えているもの」と「見えていないもの」 |
大分県玖珠町では、九州で唯一残された旧豊後森機関区の「豊後森機関庫」及び「豊後森機関庫転車台」の鉄道遺産としての保存・活用の取り組みを行っています。 |
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1. 玖珠町の概要 玖珠町は、大分県の西部に位置し、総面積は286.51km2、人口約16,000人の町です。 | ||
このような自然環境から、空気が澄み、九州でも有数の星の観測地とされています。 |
2. 玖珠町の文化と歴史 玖珠町には旧石器時代以前から人が住み始めたとされ、旧石器時代からの遺跡・出土品が多く発見されています。奈良時代に編纂された「風土記」のうち「豊後風土記」にも「球珠の郡」の記述があります。太古の昔より人が住み、はぐくまれた玖珠の地は神社仏閣などをはじめとした多くの文化財を残しています。30を越す神社では季節ごとのお祭りがそれぞれ開催されています。 |
3. 旧豊後森機関区 豊後森機関区は、JR久大本線・豊後森駅の広大な構内の東側にありました。整備前は、機関庫であった、鉄筋コンクリート造陸屋根の半円形の建築物と、機関車を車庫に導く、大きな鋼製転車台だけを残していました。 | ||||
豊後森機関区の建物は、直径18.5mの転車台を中心に半径47.84mで放射状に広がり、間口4.24m・奥はり幅7.9m・長さ22mの台形の1台分の機関車庫が13個連なって扇状に配置されており、直径65cmの円柱が56本立つ、階高6.4m・床面積1,785.8m2の巨大なものでした。また両端部には、床面積51.4m2の技工長室・工具室などが設けられていました。 |
4. 国の『登録有形文化財』『近代化産業遺産』としての旧豊後森機関庫・転車台 1970年~1971年のディーゼル化に伴い、その後機関庫も昭和の歴史の盛衰を見届けて、その役目を終え、2009年2月に旧豊後森機関庫と旧豊後森機関庫転車台が経済産業省の近代産業遺産に登録、2012年8月13日に、国の登録有形文化財に指定されました。 |
5. 「豊後森機関庫活用推進協議会」 1987年に国鉄が民営化され、それまで国鉄が所有していた土地や建物は、次々に売却されていきました。佐賀県鳥栖市にあった機関庫についても、解体され跡地は売却されました。 | ||
その後も「機関庫保存委員会」は、スケッチ大会、機関庫祭り、大分大学の学生による機関庫夢作品展、機関庫図面作成、機関庫シンポジウム、ビデオ「機関庫物語」作成など各団体を巻き込んでの積極的な活動を行いました。その活動を受け2003年に玖珠町は、機関庫とその周辺の敷地の買収について、JR九州と協議を始めました。 |
6. 玖珠町機関庫周辺整備計画 現在の「豊後森機関庫活用推進協議会」(以下協議会)から署名を受け取った以降、機関庫及び敷地を買収したのみで、町として積極的な動きはしていませんでした。 | ||
また、玖珠町観光協会企画委員会の皆さんが原動力となった、消滅寸前であった福岡県志免町の蒸気機関車救済運動とそれを実施することができたのも大変幸運でした。 |
7. 豊後森機関区と久大線の歴史 1914年 大分と湯平を結ぶ大湯鉄道(後の久大線)工事が始まる |
≪参考文献≫ |