【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第5分科会 まちムラの見方「見えているもの」と「見えていないもの」

 地域づくりの先進地を訪れたことで感じたことから、社会情勢の変化に伴い、私たち自治体職員に求められていることを探る。



地域づくりに見る
これからの自治体職員に求められていること

宮崎県本部/川南町役場職員労働組合 中村憲一郎

1. 地域づくりを考える

(1) 徳島県神山町を訪れる
 一昨年の7月、私は、友人の結婚式に参加するため、徳島へ向かいました。そのときにどうしても立ち寄りたかったまちがありました。まちづくりや移住関連の先進地であり、ここ最近では、消費者庁の部分移転先などとして取り上げられている神山町です。
 徳島での結婚式のあと、高知県を巡る計画だったため、宮崎から徳島に車で向かっていた私が神山に着いたのは、午前7時ごろでした。山間を流れる川沿いの細い道路を上がっていくと、アダプトプログラムの看板を見つけました。アダプトプログラムとは、一般企業や団体が幹線道路の一定区間の草刈りやごみ拾いをボランティアで行う事業で、その区間の管理者名が書かれた看板が立っています。県道沿いなので、企業名の入った看板の設置という課題を乗り越え、最終的には県の条例改正に至り、その後、全国的に広がった活動でもあります。
 神山町は、行政主体ではなく、住民主体でまちづくり、移住関連の取り組みを行ってきたまちとして有名です。このような自治体の場合、それらの取り組みを動かしてきたキーマンがいて、その人を取り巻くメンバーが中心となって活動している場合がほとんどです。実際、神山にも大南氏という人物を中心としたグリーンバレーという団体がまちづくりを行ってきました。
 さて、アダプトプログラムの看板を見ながら、まちの中心部に向かって走っていたのですが、神山町に入ってから、ずっとある違和感を感じていました。その違和感の正体は、道路沿いだけでなく、その後ろの山林、そして田の畔まで、人の手が入っていることだったのです。アダプトプログラムは、道路沿いの草やごみを綺麗にする活動ですので、その奥にある田んぼや山林までは対象としていません。と、するならば、この活動は、田や山林の所有者が行っていることになります。
 川南町の井出の上という地区に、川と山林に囲まれた、まるで箱庭のような場所があります。周りからは、全く見えず、そして人通りも全くないような場所です。でも、道沿いには、アジサイ、酔芙蓉が植栽されており、いつも道路沿い、田畑の畔の草は短く下刈りがなされています。この土地の所有者は、この風景づくりを楽しんでいるのです。わたしは、神山を訪れ、まち全体に同じ雰囲気を感じました。
 ここに、まちづくりにおける重要なポイントがあると考えています。
 それは、そこで生活する人が、「自らが楽しむために、主体的に環境を造る」ということです。

(2) 川南町がめざした自治公民館制度改革
 さて、川南町は、2014年度に、それまで53年間に渡り続いてきた、いわゆる公設公民館を主体とした「分館」制度から、小学校区を基礎とした6つの自治公民館制度に移行しました。私は、その過渡期に担当部署に在籍しており、今も異動していません。あわせて移住・定住担当でもあり、移住・定住の先進地事例に触れるにつれ、人口減少や少子高齢化、東京への人口一極集中など地方が置かれている課題解決の手段は、地域づくりだと考えるようになりました。
 本レポートは、公民館制度改革と移住・定住担当として見てきた地域づくりと役所という組織の課題、さらに職労青年部の活動について、まとめたものです。
① 川南町の公民館制度改革
 本町は、日本三大軽トラ市に挙げられる「トロントロン軽トラ市」、町内の農業、漁業及び商工業者などが集い、年4回開催されている「四季を食べる会」、若者連絡協議会が中心となって開催する「トロントロンフェスティバル」など、他の自治体から見れば、住民主体の地域づくりに活発な自治体と評価されていることが多いまちです。
 一方で、分館と呼ばれる公民館制度においては、制度の制定から約半世紀を迎え、制度自体の疲弊が見られていました。
 なぜ制度が疲弊していったのかを探るために、本町の歴史を振り返ってみたいと思います。
 本町は、戦後に行われた国営大規模開拓事業の成功事例として、青森県十和田市、福島県矢吹町に並ぶ、日本三大開拓地のひとつとして数えられています。
 国営大規模開拓事業とは、戦時中に基地として使われていた土地を開拓地として、国が払い下げた事業です。本町には、落下傘部隊の練習場や軍馬育成部が存在しており、事業の結果、日本全47都道府県から入植者があったことが、町史に記録として残されています。このことから、本町は、「川南合衆国」と自称しています。
 さて、本町を開墾していった人々は、まず家族単位など小さい単位で本町に入り、集落営農を営みながら、小さな集落を形成し、居住区の周りに田畑を持つ生活をしていました。
 しかし、世代が進むに従い、居住区が手狭になり、所有する田畑の外に家を持つようになってきます。すると、居住区は離れていながらも、同じ集落として営農を営んでいる人々がでてきます。その結果、道路や河川で線引きされた属地的な自治会ではなく、人と人の繋がり(属人)で形成された自治会が形成されていきました。本町では、この自治会のことを「振興班」と呼んでいます。
 自治会の本質とも言える属人的な組織であった一方で、自治会の担ってきた役割は、時代の流れとともに変わってきています。
 営農者などの自営業者より、いわゆる勤め人が増えたことによる就業形態が多様性を増し、冠婚葬祭などが商業として発達し、さらに、情報化社会を迎え回覧板以外でも行政の発信する情報を入手することができるようになったため、地域に属している必要性がなくなってきたと言えます。
 余暇の過ごし方でも、50年代ごろまでは、地域でソフトボールやバレーボールを行うなど、人口ボーナスも手伝って、地域の担い手が十分にいて活発だった時期を過ぎ去り、レジャーの商業化など、地域内でなくても余暇を過ごせるようになったことで、価値観の多様性が広がっていったことも、いわゆる地域への帰属意識の低下を招いた要因だと言われています。
 その結果、自治会への加入率は下がり、その自治会から構成される分館(公民館)自体の加入率も下がっていくという流れができていました。さらに、少子高齢化で、地域の担い手不足が深刻化していき、高齢のため地区の役員を引き受けられないため自治会を抜ける、結果、残された人への負担が増加する、負担が多いために自治会から脱退するというスパイラルに入っていました。これは自治会だけでなく、その集合体である分館でも同じであり、自治会ごと分館から脱退するという動きも出ていました。
 なんと、この課題は、1974年の地元紙「宮崎日日新聞」でも記事になっており、いかに長期に渡る課題であったかを知ることができます。
 そのような中、2014年度よりスタートした自治公民館制度は、それまで町内を24個に分けていた分館制度から小学校を基礎とした6つの自治公民館に移行しようとするものです。
 この制度は、自治会だけでなく、その小学校区に存在するPTAや消防団、長寿会、企業など様々な団体で構成されています。人口減少や就業形態の多様化などによる担い手不足を、より広域で捉えることで、今までの狭い範囲では含まれていなかった団体、組織、企業との連携を図り、補っていこうとするものです。
 この制度は、今まで別々に動いていた団体・組織を繋げていくことで、参画する人の負担を軽減することも一つの目的ではありますが、さらに、各々の団体・組織、そして今まで共に活動していなかった人々を繋ぐことで、新しい価値を創造していくことも、大きな目的の一つとしています。
② 新しい価値とは?
 私は、入庁以来8年間、自治組織との関わりが強い部署に在籍しているため、県内の地域づくりの先進地は、ほぼ訪れたことがあるのではないかと思うぐらい、自治組織の視察研修に同行してきました。宮崎県内でも、自らの地域資源を活かした商品開発を行うことで、一定の収入を得ながら地域内外の人との繋がりを生んでいる活動や、特定の個人が始めた花の植栽が新たな観光資源となったというような事例が数多くあります。
 私が大好きな地域づくりの団体に、五ヶ瀬町馬場地区にあるバーバクラブという組織があります。今は、会社組織となっていますが、もともとは農家民泊を進めていた地域の婦人部の集まりだったそうです。馬場地区のばばあの集まりだから、というネーミングセンスも好きな所以ではありますが、何よりもそこの方々の笑顔が素敵で何度となく、川南の自治組織を連れて視察に伺わせていただいています。
 ただ、今の評価や実績を生むまでには、多くの困難があったはずです。会社組織としても、会員のお小遣いがやっと出せる程度だとも聞いています。でも、そんなことを感じさせないぐらい、楽しみながら活動しておられることがひしひしと伝わってくる笑顔なのです。
 先述した神山町や本町の事例でも述べたようにキーワードは、「楽しむ」ことであるように感じています。
 そして、楽しいからこそ、主体性が生まれるのではないでしょうか。
 私は、新たな「繋がり」を育みながら「主体的に楽しみを生み出していく」ことこそ、「新しい価値創造」だと思うようになっています。
 そして、そこに住む人々が生活を楽しんでいることが、他の自治体からは輝いて見え、さらに繋がりを外に広げていく結果を生むのではないでしょうか。


2. 私たちも「繋がる」ことで「新しい価値」を生む

 さて、90年代に始まった「地方分権」の流れは、人口減少問題を皮切りに「地方創生」の時代へと変わってきました。今まで、上から降りてくるモノに従えば良かった時代から、自分たちで、自分たちの自治体に合った方法を考え、実施していく時代になり、さらにこれからは自分たちで創っていく時代となっています。
 今まで、人口ボーナスにより所得は増え経済も豊かになり、担い手も多く、元気に満ちあふれていた時代から、経済の先行きは見えず、担い手が減っていく、誰も経験したことのない時代に自らの自治体のあり方を自分たちで創っていく時代です。
 時代の流れの中で、縦割りで、前例踏襲で良かった組織が、これからは自ら考え、新たな価値を生み出す組織に変わるために、大きな変革を求められています。
 しかし、役所という組織の中に目を向けてみると、例えばマイナンバー制度や総合戦略など、課を超えた連携を求められるようになってきていながら、実際にはどうでしょうか。
 今まで、縦割りと言われてきた役所という組織の在り方においても、新しい「繋がり」方が求められていると言えます。
 先に述べたように、今私たち川南町は、新しい自治公民館制度の中で、地域の団体、組織、人を繋げて新しい価値を生み出そうとしています。
 これからの自治体職員には、組織外部の人や組織と連携を図り、外部の人と人、組織と組織を繋げるいわゆるハブのような役目が求められているのではないでしょうか。