【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第6分科会 復興・再興・新興!! ~消滅でも創生でもない地域づくり~

 近年、様々な条件で遊休公共施設となる施設が増えています。そのままでは、負の遺産でしかないものをみんなで知恵を出し合い有効活用することで、都市部と異なり少子高齢化や過疎化に苦しむ地方をいかに変えることができるかということに坂井市は挑戦しています。



遊休公共施設を活かした山村振興
―― 「ちくちくぼんぼん」が竹田を変える ――

福井県本部/坂井市職員組合

1. はじめに

(1) 坂井市と竹田地区
① 坂井市の概要
 坂井市は福井県の北部に位置し、2006年3月20日に坂井郡の三国町・丸岡町・春江町・坂井町、4町が合併して誕生しました。市の南部を九頭竜川が、東部の森林地域を源流とする竹田川が北部を流れ、西部で合流し日本海に注ぎ込んでいます。中部には福井県随一の穀倉地帯である広大な坂井平野が広がり、西部には砂丘地および丘陵地が広がっています。土地利用を地目別にみると、田畑が約36パーセント、山林が約31パーセントを占めており、豊かな自然環境に包まれています。人口は、91,900人(2010年国勢調査人口)、面積は、209.67平方キロメートルで東西に細長い地勢となっています。また、国の天然記念物「東尋坊」や現存する天守閣では最古の建築様式をもつ国の重要文化財「丸岡城」など多くの観光地を有し、年間約500万人の観光客が訪れるため観光業が主要産業となっています。
② 竹田地区の概要
 竹田地区は、山林が大部分を占める坂井市の東部に位置し、市唯一の中山間地です。地区の人口は現在370人で、この15年間で約52%減少するなど急速に過疎化が進んでいる地区でもあります。また、当地区は市にとって重要な水源地域となっており、かつての基幹産業であった林業の衰退やさらなる過疎化の進展により山林が荒廃する危険性があり、市民の生活を守るために如何に地区を継続させていくかが課題となっています。

竹田地区の人口及び高齢化率の推移


2. 竹田小中学校の廃校

(1) 休校から廃校までの経緯
① 竹田小中学校の歴史
 竹田小学校の歴史は古く、1873年(明治6年)地区内のお寺の堂内にて開校しました。その後、1947年(昭和22年)学制改革により、竹田村立竹田小学校となり、竹田村立竹田中学校を併設しました。昭和、平成の合併を経て、坂井市立竹田小・中学校として、また、地区内唯一の学校として地区住民の心の支えとなってきました。児童、生徒数は、地区民の減少ともに年々減少していき、2010年3月の休校措置がとられたときには、児童数は11人となっていました。2010年3月の休校から4年間、校舎から生徒の歓声がこだますることはなく、休校の状態では、この寂しい状況が続くということもあり、2014年3月、竹田地区の住民は、苦渋の思いで廃校を決断し、市に対して申し入れを行いました。開校から136年、竹田小・中学校の歴史の幕が閉じました。

竹田小学校児童数の推移

② 休校の経緯
 現在、日本全国で小・中学校の統廃合についての議論が高まっています。これは2015年1月に出された公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する事務次官通知が発端となっています。今後、日本が迎える世界に類を見ない少子高齢化による人口減少時代の到来に向けて、近隣の市町では統廃合となる小・中学校が増えてきています。通常、小・中学校の統廃合は、行政主導で行われるケースが多いのですが、今回の竹田小中学校の場合は、住民からの提案により、休校、廃校に至ったという点では、他自治体のケースとは一線を画しています。最終的に11人であった竹田小学校の児童数ではありますが、坂井市では複式学級のまま存続していく予定でした。しかし、児童の保護者からの「児童数の多い小学校で子どもを学ばせたい。」との意見もあり、竹田小学校の児童は、バスで約25分の近隣の小学校に通うことになりました。その当時の議論は、地区唯一の学校を存続させるという意見も多く、意見が割れましたが、最終的には地区として保護者の方々の意見を尊重し休校となりました。
③ 廃校の経緯
 2010年3月に休校してから、竹田小中学校は閑散とした状態が続いていました。竹田小中学校は、地区の中心地に立地し、閑散とした校舎は、地区の過疎化の象徴のように地区住民の目に映り始めました。そんな中、地区の住民が主体となり、かつての賑わいを取り戻すために2013年度の1年間をかけて、校舎を中心とした竹田地区の将来像を描いた「竹田の里将来ビジョン」をまとめ上げました。しかし、休校のままでは校舎を改修することができないため「竹田の里将来ビジョン」を実現するためには、竹田小中学校を廃校とするしか道は残されていませんでした。地区民が、136年の歴史を持ち地区民の心の支えとなっている竹田小中学校を廃校とすることは大変な決断ですが、地区の将来のため苦渋の思いで市に対し、廃校を申し入れることになりました。2014年3月、竹田小中学校は、多くの住民が名残を惜しむなか廃校となりました。

竹田の里将来ビジョン「こどもの夢と心を育む竹田の里構想」


3. 旧竹田小中学校改修事業

(1) 市の対応
① 廃校の申し入れを受けて
 地区からの廃校の申し入れを受けた市では、住民の策定した構想に基づき、国の交付金等を活用しながら旧竹田小中学校を改修することを決定し、大自然を活かした様々なプログラムを体験しながら宿泊できる「体験型宿泊施設」へ改修するべく2014年度に設計、2015年度において工事を実施しました。
② 設計するうえで工夫した点
 まず、設計者選定については、全国公募のプロポーザル方式を実施し、特に制限を設けず多くの設計者の提案から選定することを心がけました。最終的に10社から提案があり、最終的に最優秀提案者を選定の上、設計を実施しました。次に工夫した点は、設計に住民の声を出来るだけ反映するということでした。全3回の住民説明会を開催し、多くの住民意見を取り入れながら設計作業を進めることによって、元の小中学校同様、地元に愛される施設にしたいとの思いが強くありました。

(2) 改修のコンセプト
① 約100人が泊まれる自由度の高いデザイン
 一度に多くの利用者が利用できるよう宿泊室の一部を小上がりにした立体的な和室としました。また、子どもの合宿に限らず多彩なグループ客の宿泊に対応できるように2人部屋から36人の大部屋まで幅広く対応可能な宿泊部屋を設けています。
② イイタを使った外装デザイン
 外壁には近隣の山から切り出した杉のルーバー材を茅葺き屋根のように並べ、大きな民家のイメージで地域の誇りを表象するランドマークとしました。昔の地域共同体である「結(ゆい)」の精神を活かした住民参加型の建物づくりを実現するため、外装の一部には杉と樹脂の複合新素材を開発しました。竹田地区では「結」のことを「いい」と呼ぶためこの新素材の板のことを「イイタ」と名付け、実際に地域の人や学生と一緒にワークショップで製作しました。
③ バイオマスボイラーを活用
 1階および2階の空調設備の一部は木質ペレットを燃料としたバイオマスボイラーでまかなっています。木質ペレットは地元の間伐材を利用したものを使用することで木材の地産地消に努めていきます。また、環境にも配慮し林業が衰退する竹田地区において、林業を復活させるための試みのひとつです。

改修前

改修後

施設外観

 

 

施設内観

 

 
 

④ 施設の愛称決定
 完成後の施設の正式名称は、「坂井市竹田農山村交流センター」に決定しましたが、もっと親しみやすい愛称をつけた方が良いのではないかということになり、地元の女子短大のデザイン専攻のゼミ生にお願いし、数回の住民ワークショップを開催し、愛称は、「ちくちくぼんぼん」と決定しました。「ちくちくぼんぼん」とは、竹田の「竹(ちく)」とフランス語で"良い"を意味する「Bon(ぼん)」を掛け合わせた造語です。また、「ぼん」には、竹田地区の方言で、子ども、男の子という意味もあります。

ちくちくぼんぼんホームページhttps://www.chiku-bon.jp/


4. 「ちくちくぼんぼん」で村おこし

(1) 「ちくちくぼんぼん」がもたらすもの
① 雇用の場
 市では、「ちくちくぼんぼん」の運営を、指定管理者として竹田地区に任せています。指定管理者が、職員として地区民を採用することで過疎の地区に雇用の場が誕生しました。また、地区を離れ、都会で就職していた若者がUターンして採用されるなど今まで考えられなかったことが起きています。また、地区の高齢者が施設の維持管理に携わるなど地区内での高齢者の生きがいも創出することができました。
② 経済効果
 「ちくちくぼんぼん」は、2016年7月1日にグランドオープンを迎えましたが、7月末現在で、市内外から約3,000人を超える方が訪れています。多くの交流人口を呼び込むことで、周辺施設も含め多くの経済効果を見込むことができます。
③ 移住・定住者の獲得
 オープン間もないため実際実現には至っていませんが、交流人口が増えるということは、それだけ「竹田の良さ」を知っている人が増えるということになります。過疎に苦しむ地区にとって、移住、定住してくれる人は、かけがえのない存在です。そのきっかけになることを期待しています。

(2) 今後の課題
① 次の展開へ
 「ちくちくぼんぼん」を活用した村おこしは、始まったばかりです。「ちくちくぼんぼん」が出来たことにより、前述のように大きな効果を地区にもたらしています。今後は、現状に満足するだけではなく、さらに多くの効果を生み出す努力が地区に求められています。今後は、日本全国に同様の施設がさらに増えることが予想されます。生き残るためには、「竹田の里将来ビジョン」をまとめ上げたように住民一丸となって村おこしに取り組んでいく必要があります。


5. 最後に

(1) まとめ
 「ちくちくぼんぼん」オープンの反響は、市及び地区の予想を大きく上回るものでした。多くのメディアに取り上げられ認知度は、日々高まっています。今後は、前述したように住民が一丸となって、多くのリピーターを獲得し、全国に「竹田地区の素晴らしさ」をさらに発信していく必要があると考えています。ここ近年、竹田地区の認知度が上がるにつれ、市内外の多くの若者が竹田に住みたいと思い始めるようになりましたが、実際は人口増加に結びついていません。しかし、全国に多数ある「多くの人々が良い所と感じつつも過疎化に歯止めがきかない地域」の課題解決の先進事例として、この廃校舎を活用して多くの交流人口を呼び込み移住・定住に繋げていく「竹田モデル」を是非成功させたいと考えています。坂井市では、今年度さらに廃園となった旧竹田保育所をレストランに改修する予定です。そのままでは、地区の重荷でしかない遊休公共施設を有効活用し、村おこしの核として活かしていこうと考えています。